まともでない手段

 ――まともな手段で勝てる気がしない

 そう言ったと思う。な手段では。

「……浜野姪美さん。お話……頼みごとがあります」

 朝、早くに目が覚めたぼくはまっすぐに学校に来て、校門で張りこんだ。浜野姪美を待ち伏せするためだ。彼女が現れると、ぼくは声をかけて人気のない場所に誘導する。

「吉川くん? ちょっと……それは、選挙に関わることかしら?」

 突然校門の陰から現れ、いきなり人気のないところまで連れ込んだのだから当然の疑問だろう。ぼくはこれからしようとしていることに動悸の乱れを抑えられないながらも、せいぜい堂々とうなずこうとした。

「簡単に言えば――出馬を取りやめてほしいのです」

 浜野さんは一見平静を保っているように見えたが、この人は焦ったりして感情が揺さぶられると、右手の人差し指の第二関節の臭いを嗅ぐ癖がある。

「……選挙管理委員会としての決定?」

 いや、違う。ぼくは首を振る。「ぼく個人からのお願いです」

 浜野さんはふぅっと息を吐く。呆れてるのだろう。ぼく自身、何を言ってるんだかよくわかっちゃいない。

「どうして、って訊いても、もちろんいいんだよね」

「私怨だからです」

 真正面から浜野さんを見すえる。や、しかしほんとに美少女だな……。整った眉の角度は、時と場合によっては凛々しい威圧感の演出に一役買う。

「それは……」

 ぼくの言葉の真意をつかみ損ね……いや、気付いてはいても理解したくないのだろう。

「生徒会の議事録、まずあれを最初に見たんです。浜野、あなたのものと同じ苗字がそこにはありました。あなたのお兄さんも、生徒会の役員だったんです……しかし、公立校の常でしょうか。海頴は進学校ですから、一応教員の交代はそう多くないはずなんですが……それでも十年一昔、当時の事情を知る教員ももうすでに転勤なさっていて、ほとんどは残っていないでしょう」

 そこで。彼女に息をつく暇を与えずにぼくはそのまま言葉をつなげる。「当時の報頴……まだバックナンバーが残ってるんですね、それを見ると、あなたのお兄さん、浜野美明の囲碁部における活躍がたっぷりと書かれていました。しかし、その囲碁部としての浜野美明も、生徒会書記としての浜野美明も、ある時期を境に全く表に現れなくなりました。……そして、一か月後、報頴新聞の小さな囲み記事に、浜野美明がこの学校を去った、という記事が載りました」

 もちろん浜野美明が浜野姪美の兄ではない可能性もある――が、「美明」というのは、読みを無視して感じをひっくり返せば「めいみ」と読めないこともない。「美」という漢字の共通からも、ふたりは兄妹だとぼくは確信していた。

 浜野さんは、大きく目を見開いた。「よくそこまで調べたわね」

 呆れちゃう、と肩をすくめる。でも、それがわたしの出馬辞退と何の関係があるの? 目線でそう聞いてくる。

「……それで、彼が学校を去った理由はなんなのでしょうか。ところで、海頴にも当然学校裏サイトというものはありまして、ぼくはそこの過去ログをいちいち調べて行ったんです。九年前まで。当時の生徒会長、先生の目につかない程度で、さんざんいじめを行っていたそうですね」

「だから、それがどうしたっていうのよ」

 焦った浜野さんがようやく感情を表に出し始めた。

「もちろん、これがそのままある事実――あなたのお兄さんが、生徒会内でのイジメを受けて中退したということに短絡するわけではありません……が、この場合はもはや真実などどうでもいいのです。当時の生徒会が体育会系の巣窟だった、あなたの兄は囲碁部に所属していた、生徒会長は弱い者いじめをして楽しむ傾向があっ……」

「お兄ちゃんを弱い物呼ばわりしないで!」

 ……っ! 掴みかからんばかりの勢いで吠える浜野さんに、数瞬動けなくなった。表情筋の一つも動かせない。

「失礼……しました。ですが、今は時間がありませんので話を進めさせてください。以上の証拠と、あなたが選挙に出馬して、誰もが問題視していなかったような、生徒会の閉鎖的環境を改善しようとするようなマニフェストを突然提示したこと……この二つを結び付けて考える投票者は少なくないはずです」

 目の端に浮いた涙を人差し指で拾って、浜野さんは気丈に振る舞おうとする。

「それで? いったいそれの何が悪いのかしら? 問題は問題だし……そもそも、そんなことをいまさら明らかにしても、生徒会の過去の闇が暴かれるだけなのよ」

「その理屈を、みなさんも理解してくれるでしょうか。それに、生徒会の闇と言っても、十年前のことですし」

 浜野さんは頭をかきむしった。普段の彼女からは考えられないような振る舞いだ。

「なんで、あなたはそんなことをわたしに要求するの? 思い出させるの? 苦しめるの? そんなに中村を勝たせた……あぁ、そういうことか……」

 あんた、そんなに瑠依のこと……。

 当然予想されていた言葉なので、ぼくもうろたえたりはしない。むしろ今藤さん自身がぼくを駒に使って浜野さんを追い詰めることを望んでいて……ぼくはこうすることを最初から仕組まれていたんじゃないか、そうとすら感じる。

「……で、どうなんです。出馬は取り消していただけるんですか?」

「待って。そもそも、わたしが出馬を取りやめたところで、中村が勝つとは限らないじゃない。もしかしてあなたたち、芦屋にもこうやって卑怯な脅しをかけてるの?」

「あなたたち、っていうのはやめてほしいですね。全部ぼく一人でやってることですから。……いえ、芦屋さんにはこういったことは一切していません。でも、あなた一人を候補から落とすだけでいいんです」

 なぜなら、とぼくは以前に推定した予想得票数をそらんじる。「……もちろん概算ですが、この程度の票が見込まれるとき、浜野さんが出馬を取りやめたとしましょう。ここで、浮いた分の四一四票はどのように流れるでしょうか。まず確実に、あなたの賛同者たちは、芦屋さんには投票しないのです。……そう、あなたと芦屋さんがさんざ今藤さんに入れ知恵されたように、対立姿勢を取ったから。今更、浜野さんのいう理知的かつ厳粛な――インテリが好みそうですね――生徒会制度を夢見た人間は、もう芦屋さんの無邪気な学級会では満足できない。じゃあ、誰に投票するか? 中村さんというわけです」

 もちろんこんな理屈を本気で信じてるわけではない。だが、少なくとも二人の人気候補者に票を取られている事態に比べればまだ勝機があるはずなのだ。

「……。ほんとうに、瑠依は関係ないのよね」

 ええ、ほんとうに。浜野さんのゆらぐ目からひとときも目を逸らさない。

 それが一〇秒だったのか、それとも十五分だったのか、よく区別がついていない。それでも浜野さんが次に口を開くタイミングは来る。

「でも――」

「ちょーっと待ったー!」

 ……っっ! そのとき、物陰から突然今藤さんが飛び出してきた。

「危ない危ない、姪美、いま吉川に脅されてたでしょ。大丈夫? 乱暴なことされなかった?」

 ばくばくと止まらない胸を押さえて、かろうじてぼくは口を開く。「なんで、ここが」

 浜野さんもこの突然の来訪者に疑問を隠せないらしく、疑わしげな目線でぼくら二人を眺めている。

「吉川の様子がおかしいようだったから、パソコンの中身を勝手に見ちゃった。あの、学校黒サイトの履歴、それに、この前弄ってた議事録も。……ねえ、きみが達するくらいの結論なら、わたしにも当然分って当然じゃない?」えっパソコンの中勝手に見たんですか。

 それで、と今藤さん。「これまでもきみの行動はよく見てたけど、なんの動きもなかったから、例えばきみが姪美に接触するとしたら今日しかなかった。予想以上に見つけるのに手間取ったけど……」

 人差し指をぼくの眼の前で振る。「それに、生徒会選挙実施細則に、候補者の出馬取り消しなどは、しかるべき理由と手続きのもと、認められる、ってちゃんと書いてあったでしょ。そもそも、吉川だけの判断で姪美を表舞台から引きずりおろすことは不可能だったのよ」

 ぼくは言葉を失った。そんな細かいところ……全く目を通していなかった。もしかして、こういう事態まで想定してたのか……?

 ここで今藤さんは浜野さんのほうに向きなおる。「この度はうちのものがご迷惑をおかけしました」頭を下げる。ぼくも頭をつかまれて、無理やり首を曲げていっしょに謝罪させられる。

「ですが……まだ実害が出たわけでなし、できれば今回ばかりは見逃していただけないでしょうか?」

 たしかに、ここで浜野さんがぼくのイレギュラーな行為を追求し続けることは可能だったろうが、そんなことをしてもぼくの首が切られるだけで、彼女の選挙に何の得になることもない。それに、どうせなにを言っても今藤さんの口八丁に騙されるであろうことをそろそろ理解してきたらしい。腕組みをして、あらぬ方向をみて考えるそぶりを見せた後、ゆっくりこう言った。

「……まあ、あなたがそう言うなら、いいわ。その代わり」

 浜野さんはひと時見せた恐ろしいほどに整った目つきを再び形作って、「わたしが選挙に引き続き出馬することに、あなたたちは今後何の異議も挟まないし、そのあなたたちの不快な憶測も即刻破棄し、むろん一切口外しない。……さもないと、選挙妨害があったとしてこの選挙自体をひっくり返してやるんだから」

 もちろんもちろん、ととにかく低姿勢の今藤さん。ぼくはといえば、まるっきり事情についていけていない。「じゃあ、わたしは急ぐから……」

 まだ何かを言い残した様子で、それでも踵を返すと一度も振り返らずに浜野さんは立ち去った。あとに残されたぼくはといえば、戦々恐々の思いで、こっそりと今藤さんの目を下から覗き込んだ。

「……吉川、あんた昨日はももクロなんか元気に歌ってたのに影じゃこんな腹黒いこと考えてたのね」

 いやまあ、その。油断してたら、固めたげんこつの、中指で額を思い切り強打された。

「……っ、で、デコピンとかじゃないんですね」

「そうじゃなくて、まずごめんなさいでしょ」

 すいませんでした……。

「まったく……。いくら人に勝つためでも、迷惑をかけちゃいけないし、ルールも破っちゃいけない。これが基本のキ。たとえば姪美が言ってた、生徒会があまりに自由に行動でき、それを罰する規定、監視する規定がない――ってのは、きみの行動のようなことも指すんだよ」

「おっしゃる通りです……」

「今回ばかりはやる気が先走っちゃった結果だと思って見逃してあげるけど、もし浜野さんが当選した時に、きみの行動をやり玉に挙げられるとか、そういう可能性もあるんだから」

 はあっ、と肩を落とす今藤さん。「もう、そんなに吉川が馬鹿だとは思わなかった……」

 言われてみれば言われてみるほど、自分の行動の非常識さとか、理不尽さが明らかになってきて、このまま消えてしまいたいような気がしてきた。

「それに、姪美が言ってた『あんた、そんなに瑠依のこと……』ってなに?」

「いやあのそれは大した意味がないと思うんですけど」

 ふうん、とニタニタ笑う今藤さん。こういうところは苦手だ。

「姪美のほうには選挙が終わった後でもう一回ちゃんと謝りにいくとして。……なによりも、選挙に勝つためには、姪美が絶対に必要なんだから」

「それって、どういう意味……」

 へこみながらも疑問を呈するぼくに、今藤さんは久しぶりに笑みを見せる。「それは、投票してみれば、わかるわ」

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