誹謗中傷、個人情報の掲載などは禁止
浜野さんが言及していたという生徒会の問題――しかも、イジメに関わるという――を探るべく、ぼくは六限が終わるとすぐに生徒会室に向かい、保管庫をひっくり返して過去の議事録を見つけ出した。いちおう、今の三年生の方にそれとなくぼかしながら訊いてみても、芳しい反応が得られなかったので、彼らが一年生の頃より前の記録を基本的に見ればいいはず、だ。
――なぜこんなことをしているのかというと、当然単純に気になったというのもそうなんだけど、ほんとうのことを言えば、なにか浜野さんの弱点をつかめるんじゃないかと思ったわけである。そうでなくとも、こちらの失点を先に掴んでおけば反駁も先に用意出来るし。
……しかし、議事録と言っても、毎回の会議について詳細に書かれているわけではない、というか、めったに書かれないのがやはりほんとうのところだ。例えば、予算会議なら、予算案が出来て一回、修正された予算案が通って二回、ほかの議題についてもほとんどこんなかんじ。だから、正直あまり期待しないで読み始めたんだけれど……。
一年にノート一冊を使うか使わないかだから、一年を五分くらいで遡れる。毎年、実に代わり映えのないことばっかりしている……。ほとんど毎年のように携帯電話の学校持込みの是非について見直しをしているようで、ほとんど毎年のように持ち込みの許可は時期尚早という結論に至っている。新しい校則が成立したのは、もう六年も前のことだった。それについても、女子の服装についてすこしだけ譲歩した、という程度で。このノートを見ていると、生徒会の存在価値というものを考え直してしまうが、するべきでない改革を無理にするのが一番愚かでもあるし、この長年続く停滞は、結局学校側の御用機関という今の立場が最も安定している、ということの証左になるのかもしれない。
半ば作業のように、年を経るごとにぼろぼろになっていく議事録をめくっていると、目の端に何かがひっかかった。いったい何がぼくの注意を引いたんだろう……とゆっくりそのページを眺めると、「浜野」という苗字が見つかったのだ。
もちろん、これが姪美さまのことである可能性はない。この議事録ノートは九年前のものだから、彼女は当時八歳である。
でも、浜野……そうよくある苗字だろうか? 浜野姪美の親族である可能性は?
議事録の内容の方に目を凝らせる。どうやら、この浜野さん……彼だか、彼女だかわからないが、とにかく当時の書記だったらしい。几帳面な縦長の文字は、男性らしくもあるが。
書かれている内容は、至ってふつうの議事録で……しかし、不自然な時期に唐突に九年前の浜野さんは議事録から姿を消した。
議事録の他のメインな用途に、主要な会議ごとの出欠管理というものがあって、ノートの一番前のページに張り付けられている。これをよく見ると、九年前の浜野さんが書記として議事録を書かなくなったその次の週から、出欠表の彼のところに斜線が引かれているのだ。
まるで――そう、思いついた単語をそのまま使うなら、除名処分のようではないか。
議事録の本文をいくら見てもこの浜野さんの突然の消失についての情報は得られない。ただ、さりげなく一行で「書記は副書記がその任を継ぎました」と書かれているだけ。
浜野さんが生徒会を去った理由……。否応なく、荒木さんの言った「イジメ」という単語が脳裏にちらつく。浜野さんがイジメを行っていて、そのために追放された? それとも、考えたくもないことだが――その逆で、浜野さんが生徒会メンバーにイジメを受けて、追い出された?
額に浮かんだ嫌な汗をぬぐって、ぼくは議事録を急いで片づけた。もちろん、今のぼくのように注意して読まないと気付かないような違和感ではあるが、ほかの生徒会メンバーには見せたくなかったのだ。その足で、図書館に向かおうとする。報頴新聞のバックナンバーを見るためだ。
議事録を無理やり倉庫に押し込み直して、立ち上がったぼくを後ろから今藤さんが覗き込んでいた。
「うわっ」
「……ごあいさつね。何やってたの?」
教えてもよかったんだけど……なぜか言葉は浮かんでこなかった。今藤さんが芦屋さんや浜野さんに肩入れしているという疑惑は晴れていない、というのもあったし、もしこの情報が役立つものであると確信出来たら――この時はなんでそんなことを思ったのか分らないのだが――今藤さんに褒めてもらえるような気がしたのだ。
「べつに、なんでもないですよ。それより、ちょっと、図書館に行ってきますね」
あまりに怪しすぎる僕の態度に眉をひそめる今藤さん。「いいけど……なにか生徒会の仕事なら手伝おうか? 今そんなにやることないし」
生徒会の仕事……と言えなくもないのだが。もうちょっとだけ、確信が持てるまではひとりで。
いいです、自分でできるんで、とかもごもご言いながらぼくは早足でその場を去った。
まず、図書館に保管されていた卒業アルバムを調べることで、浜野さんのフルネームと顔を特定しようとしたのだが……驚いたことに、ない。当時の浜野さんが、二年生で書記長をやっていたのではないと仮定して、その前後に年間を調べてみるも、やはり名前は見当たらなかった。もう、これが何を意味するのか……中退、それしか考えられない。もちろん、〝浜野〟という名前が偽名だとか、そういう可能性がないわけじゃないけど……。
仕方がないので、報頴新聞のバックナンバーを集密庫から出してもらって、調べ始めた。九年前、新聞部はどうやらその勢力の絶大期にあったらしく、少なくとも一週に一回……一週に二回発行しているときも多く、ぼくは少しだけ尻込みする、が、嘆いていても仕方がない。浜野さんの任期中の報頴新聞を、頭から読み通していく。
アルバムに名前がないことから不安視していたのだが、浜野さんのフルネームはすぐに特定できた。なんでも、彼は囲碁部のエースだったらしい。「浜野
その校長先生との囲碁勝負などは一面の半分を使う重大なニュース扱いを受けていたが、まぁ予選や練習試合の勝利程度では隅に小さな枠を設けてもらうくらいで、しかし、定期的に彼の名前は報頴新聞紙上で確認できた――が、それがあるときを境にぷっつりと消えてしまう。そしてそのタイミングは、彼が議事録上から姿を消したのとときを同じくしていた。
そして、その一か月後、彼の名前が再び報頴紙上に現れる。二面の隅、小さなベタにしかし大きく「囲碁のスーパースター、海頴を去る」の見出しと共に。
一段組みのベタには、浜野美明が海頴高校を中退したこと、その理由は生徒にも教師にも分っていないということ、彼が囲碁において県下でも有数の成績を残す名手であり、その指し筋は緻密にして土壇場においての磊落なひらめきがあったということが書かれ、その上で生徒会においても書記として活躍していたことが触れられているのみだった。
ここで、ひとつのヴィジョンが脳内に浮かんだ。十年近く前の生徒会。いまのぼくらはもうその実態を知る者はいないが、どうやら体育会系の生徒が多かったという。そんななかで、いくら冴えのあるプレイングをするとはいえ、囲碁部の生徒が一人……。彼は、閉鎖的で、部活動などと違って顧問の先生などもいない、生徒会室の中で、最初は軽いいじりくらいだったのかもしれないが――次第に強まるイジメに耐えられなくなり、生徒会をやめ、学校をやめることになる。結局のところ義務教育ですらない高校では、中退しようと思えばいくらでもできただろうし、学校側も、事情をあいまいに悟りながらも、止めなかったに違いない。いじめ問題は、発覚すれば学校の損にもなる。
もちろん、勝手な想像だ……勝手な想像なんだけど、どうしても頭から離れないのも事実なのだ。
そして……この浜野美明がもし浜野姪美の兄だとしたら……。
彼女の戦う理由は、単純なものになる。兄を迫害した、体育会系を生徒会から締め出すこと。兄を守れなかった学校に代わり、生徒会の監視と保護を担う役割を持った機関の設置――。
でも、このことを考えるとぼくはなぜか、その熱意に感動するというよりもむしろ……悲しくなってしまうのだ。
このことを今藤さんに伝える気にはなれなかった。憶測に憶測を重ねた推論だというのもそうだし、彼女には、せめて無邪気に戦ってほしいのだ。それに、いざとなったら、このネタを使って――もちろん、姪美さまには非常に申し訳ないと思うが――今藤さんを助けてあげることが出来るかもしれない。そのときにも、彼女にこんなことを知られたくはないだろう?
金曜日に発刊された報頴新聞は、荒木さんの尽力によってだろうか、かなり穏やかな文面に書き直されてはいたものの……それでも、立会演説で行ったのと同じくの、激しい芦屋さん、ひいては現生徒会の批難が溢れていた。ぼくから見ればやっぱり、たぶんに感情的なのだが、なにも知らない人間からすればやっぱりその文章は扱っている論調の過激さに反比例して理知的で、ところどころに入る、ただ非難するだけでないということを示す改善案は、思わずうなってしまうほどに正鵠を得ていた。
「吉川、この記事どう思うー?」
もう放送も討論会も、新聞の発刊も放送部や新聞部のほうに任せたことで、あとは中村さんの演説やマニフェストを考えるだけの仕事しか残っておらず(もちろん、それは中村さんのサポートに関しては、という話であって、選挙管理委員会の仕事はまだまだあるのだが)、余裕の出てきた選挙管理委員会室は、惰性のようにこうしてふたりで集まりながらも実のない話をしていることが多くなっていた。
「うーん……正直、浜野さんの語り口はかなり理性的だし、反論とか修正案とか、脅威を感じる内容ではあるんですけど……」
「けど?」かわいらしく小首をかしげる今藤さん。最近になってようやく、こういう行動は、わざとやっているんだろうな、と見当がつくようになってきた。
「彼女のキャラにあっていない、というか。ぶっちゃけ、彼女の支持者って言うのはこういうのを求めてたんでしょうか……?」
「難しいところよね。でも、ギャップ萌えって言葉もあるくらいだし……? それに、ひょっとしたら、アイドル候補なんかに投票するもんか、ってかたくなに思ってるインテリタイプの心を積極的にくすぐるような左翼的内容だと思わない?」
それは、確かに。
「今回の選挙、ふたりの有力候補が両方とも革新、ってのが恐ろしいところよね……。ほんものの選挙だったら、保守層の票っていうのはかなり固定が強いんだけど、生徒会みたいな学生選挙では、全ての票が流動的……しかも、保守っていうのはよほどのことがないと注目されない」
今藤さんがかぶりを振って机の上に上半身を投げ出した。髪がばさっとぼくのパソコンの上にかかったのでよける。
「あ……ごめんね」
いやべつに、いいんですが。
「……芦屋くんがこれにどう反応するか、ってのもなぁ。うまいこと、もうちょっと二人の対決がはっきりしてくれれば」
そういえば、と机にふせったまま上目づかいに聞いてくる。「一年生の教室のほうではさ、芦屋派、浜野派みたいなのはできてるわけ?」
ぼくはちょっとだけあごに手を当てて考える。「そう言われてみれば、自分の主張を明らかにしてる子は結構多いですね。それで互いに論戦をしたり、ってことはさすがにないですけど」
おお、いい感じじゃない。と今藤さん。「有権者内での話題度と、関心度だけでいったら市長選とかよりよっぽどうちの選挙の方が健全かもね」
「ほとんどの生徒が真剣になってるってことですか? ……たしかに、芦屋さんのマニフェストを人気取りだ、って見抜いてる子とかもいて、すごいな、とは」
今藤さんは満足げだ。「やっぱり吉川、この選挙、勝てるかもしれない」
唐突な宣言にぼくは驚くというよりも首を捻ってしまう。ほがらかな表情からはなんの屈託も読み取れないんだけど、一体今の会話のどこにそんな楽観的になれる要素があったのか……。
「だって、中村さんがどうやって票を取るか、今だによくわかんないんですよ」
ぼくは、ちょっとだけいらいらしていた。今藤さんの行動も言動も、分らないことばかりで、そのこと自体よりも、なにか策があるなら、それを信頼して教えてくれてもいいのに、みたいな、勝手に期待して裏切られた気分になってるだけなんだけど――そんな気分。
「どうしたの? そんなぴりぴりしちゃって」
さて、中村の討論会用メモ作るよ、今藤さんが話を切り替えるように言ったので、ぼくはしぶしぶそれに従った。
学校が休みの土、日曜日も自宅にパソコンを持ち帰り、九年前報頴でなにが起こったのかを調べようとしていた。が、いくら「浜野美明」の名で検索しても、出てくるのは囲碁の大会の成績を掲載しているサイトのみ。ダメもとで「海頴 生徒会」などのワードで検索するも、やっぱりなんの有効な情報も得られず。興味もない囲碁のサイトを巡って、彼の打ち筋がいかに高校生にして完成され切っていたか、そんな評価を与えているものを見ていると、虚無感に襲われてくる。
しかし。ここで、ちょっとしたひらめきがぼくのなかに生まれた。
学校裏サイトだ。
今やどの学校にも存在するという学校裏サイト、イジメ、暴力、援助交際、妊娠、喫煙、飲酒、ひょっとしたらドラッグ。ありとあらゆる高校生の持つ暗部の集まるそこならば――ひょっとして、というようなことを期待した。
だが、ぼくはもちろん学校裏サイトなんてものを覗いたことは一度もないし、興味本位でそういったものを見るのも絶対にしてはいけない、と自分に常日頃から言い聞かせていた。
禁を破って海頴の裏サイトを検索してアクセスする。裏サイトといえど、調べる気があればすぐに見つかってしまうし――黒字に赤で構成された悪趣味なデザイン、しらじらしい「誹謗中傷、個人情報の掲載などは禁止」の注意書きに辟易しながら、ぼくは掲示板に足を踏み入れた。
掲示板へのアクセスは、海頴の事情に通じていないとわからないようなパスワードがかけられていたが、それを越えてアクセスする。といっても九年前のスレッドなんて残っているわけないか……そう思って、まず過去ログの有無を確かめようとしたところ……。
一番上部にソートされているスレッドのタイトルが目に入った。「海頴生徒会選挙スレ」
どきん、と心臓が鳴った。ぼくらが、あくまで生徒会の活動の一環として行っている生徒会選挙が、こんなインターネットの辺境で――おそらく悪意すらを含んで――語られている。その事実に、足が震えた。カーソルを乗せて、一思いにクリックする。
一瞬前までの緊張はなんだったのか、そう思うくらいに裏サイトのスレッドというのは穏健なものだった。もちろん、インターネット上の他の掲示板で流行っているような汚い言葉遣いというのは横行していて、見るに堪えないのだが、それでもむやみやたらな誹謗中傷というのは見当たらず……もちろん、自分の支持していないほうの候補者に対し、かなり理不尽ともいえる批判だとか、ネガキャンをおこなっているようなレスはたくさんあるのだが。
ぼんやりとそのスレッドを、数えるわけでもなく芦屋派、浜野派でわけていったところ、驚いたことに、今藤さんが以前に推定したのとほとんど同じ割合であった。へえ、意外と当たるもんだな……と思いながらスクロールしていくと「あの選管の女の人かわいくね?」「あれ、二年じゃ有名な人だよ。今藤瑠依さん。めちゃくちゃ頭いいって」「それ選挙に関係ないだろ」「彼氏いんのかな」「なんかいっつも後輩連れてるけど」「付き合ってるわけじゃないでしょ」「知らなーい」
……頭が痛くなった。自分の周りの人間について陰に隠れて噂をしている人間がいるってのがまず単純に不快だったし――今藤さんをそういう目で見ているような人間がやはり存在するということも、彼女の実名があまりに簡単に取り扱われていることも、恐ろしかった。
っていうか、ぼくはこんな場所でも今藤さんの金魚のフン扱いされてるのか……。
いや、今は、九年前のできごとを調べるはずだった。正直に言えば後半のやり取りでちょっと上気した顔をさましながら、ぼくは過去ログを検索していった。
結論からいえば、生徒会に関するような記述はほとんど見当たらなかった。かろうじて、九年前当時の生徒会長についてのうわさが見つかる程度で。彼は、サッカー部で、たしかに友達も多いし気もいいやつなんだけど、ちょっとしたことでカッカとしやすい、手の出やすい――いや、言葉を濁すのはやめよう。そこにははっきりとDQNと書かれていた。浜野美明がイジメを受けていた、と断定できるようなことはどこにも書かれていないが、当時の生徒会長がクラス内でも立場の弱い子をからかって遊んでいるうちにイジメに発展した、というようなことはふつうに書かれていた。……浜野美明も、犠牲者の一人、そういうことなんだろうか。
ぼくは暗い背景に彩度の高い色と感情で描かれた、目に悪い学校裏サイトを見るのに疲れて、パソコンの電源を落とすとすぐにベッドに倒れこんだ。……誰が生徒会長になるのでもいいが、学校裏サイトはなくしてほしいな。そんなことを考えているうちに、ぼくは眠りに落ちていた。
「……芦屋さんの言い分だと、今の生徒会は文化系だからこそ体育会系の主張を理解できない、それどころか軽視している、というように解釈できるんだけどそれでいいのかしら?」
週明け、月曜日の六限。予定されていたように、放送部の全面協力のもと三候補者による公開討論会が行われた。月曜六限はロングホームルームなのだが、特別に学校からも、この企画に時間を割いてもらえたのだ。
ぼくと今藤さんは、討論を行っている放送室の隣、放送部の方たちは編集室と呼ぶ部屋でその様子を間近に聞いていた。
「そういっているわけじゃなくて……。単純に、今現在の生徒会では生徒からの要望に柔軟に応えきれてないんじゃないのかなって」
言葉をさえぎって、即座に浜野さんが口をはさむ。「それで、目安箱……」ここで浜野さんはぷっ、と軽く吹き出した。「……の設置? 小学生じゃないんだから」
芦屋さんが、この馬鹿にした態度にさすがに色めく。
「じゃあ、浜野さんは今の現状をどう……」
「今の現状って……馬から落馬みたいな。だいたい、生徒の要望、って言うけど、それを聞き入れるための制度が整ってない、って言うのが実情だと思います。予算会議の段になって急に各部活動から好き勝手言われて、応えきれなかったら要望を無視している、それは的外れな議論でしょう」
ごほん、と浜野さんはここで咳をする。「むしろ、普段から生徒側が意見を出せる――それこそ、目安箱じゃないけど、もっとちゃんと練られた形で、ちゃんと信頼できるソース、納得できる理論、それらを伴った要望を出せるような――機会を作らないといけない、それは確かね」
かなり入念な準備をしてきたのだろう、あらゆる流れの中でよどみなく発言できる浜野さんに対して、そういった臨機応変さとは無縁な芦屋さんは防戦一方だった。
いや、それはどうでもいいから中村さんも頑張ってくれ、せめて存在感を……。
手に汗を握りながらガラス越しの放送室を眺めるぼくの思いが通じたのか、数分ぶりに中村さんが口を開いた。「生徒の意見を拾い上げるシステムなら、今でも……」
しかし、ここでも浜野さんが余裕を見せた。「ええ、生徒会ホームページに確かに要望を受け付けているメールフォームはあります。それは知っています」
ですが、と続ける。
「残念ながらそれはフリーのCGIをそのまま使ったようなお粗末なものでした。必要とされているのは、要望者の氏名や学籍番号等、要望のタイトル、内容、必要性、妥当性などを埋めることのできる、客観性の高いフォームです。おまけに、現生徒会は、それを設置してから、一体何件の要望が実現されましたか? いえ、こう言い換えてもいいでしょう。そもそも、何件の要望が提案されましたか?」
うっ、と言葉に詰まる中村さん。「それは……」
おそらく放送を聴いている校内のみなさんにも伝わってしまっただろう。四年間で、ゼロ件である。もちろん、形骸化した機能がひとつあったくらいで、致命的な汚点ということには常識的に考えてならない、はずなのだが、浜野さんの追及の仕方がまずかった。
「……このような状況を鑑みた上で、わたしが前述しましたような制度を整えていくことこそが重要で、芦屋さんの主張――俺なら生徒の意見を拾い上げられる!――というのを無条件に信用することは、投票者の皆さんにとってもどれほどの無意味であるかを理解できたかと思います」
男二人がぐうの音も出ない、といった様子で押し黙る。もちろん、浜野さん自身の言を信じるならば、こういった理屈も今藤さんが協力して提供している可能性があるんだけど……。横目にちらっと見るも、今藤さんの表情に変わりはない。
「……たしかに、その点については浜野さんの意見に長があるようだ。それは認めよう」
悠然とたたずむ浜野さんを真正面から捉えて芦屋さんが反撃を試みる。「しかし、浜野さんの言うこのマニフェスト――オンブズマン制度、というのはいかがなものでしょうか」
今度は浜野さんが言葉を失う。彼女の出馬動機が、生徒会という閉鎖的空間内でおこなわれ、結局闇に葬り去られてしまった悲しい事件の再発防止、という点にあるとするならば、こここそが彼女のマニフェストのもっとも肝要な一部であるはずだ。逆に言えば、だからこそ、芦屋さんのように、そういった事情を知らない人間からしてみれば違和感を覚えるのかもしれない。
「オンブズマン……たしかに聴こえのいい言葉ではあります、が、彼女のこのマニフェスト――実に詳細に書かれていますが、それをよく読むと、これは生徒会活動に対する重大な枷のように感じられる」
そうして芦屋さんは、浜野さんのマニフェストを読み込んでいない人の為にも解説を始める。
「……生徒会とは無関係な生徒からなる集団に、生徒会の不正や不合理、怠慢を防ぐためにその活動を自由に調査、追求、糾弾できる権利を与える。ここまでは百歩譲って、いいとしましょう。しかし、それに加えて、このオンブズマン団体に顧問の教員を一人置く、この条件があるのが問題です」
喋っているうちに論理が組み立てられたのか、滑らかに語り出す芦屋さん。「これは――生徒会活動に対する監視に他ならないのではありませんか? このオンブズマン制度というのは、それを巧妙に言い換えただけだ」
となりで今藤さんが息を呑んだ。
「たしかに現状の生徒会の活動について不満点はありますが、この監視制度が根本としているのは、生徒会活動への不信感、そうとしか私には思えない」
芦屋さんはここで満足げに言葉を切った。放送室内にも、こちらの編集室内にも、おそらくは各教室にも、しばらくの沈黙が降りた。
「生徒会に顧問の教師がいない状況下で、そのオンブズマン団体に顧問の教師がいるというのは、明らかにパワーバランスが崩れているでしょう。生徒会は常にその目を怖れて活動しなければならない……。そのような状況では、生徒会は萎縮してしまって、どのような行動にも新しく踏み切ることはできないでしょう。私は……この海頴を、もっと明るくて楽しい、みんなが好きになれるような学校にしたいと思っています。それには、多少失敗が付きまとおうとも……無駄があろうとも、なにかを変える力が必要なんだ、俺は……いや私は、そう思います。今の生徒会はたしかに無批判に権力を行使できる状態にあるかもしれない、けどそれを私は、野放図ではなくて、自由だと捉えたい」
自らの語りに次第に熱を帯びていく芦屋さんの演説。彼は、一人で語り出すと強い。
中村さんがここで久しぶりにマイクに拾えるような声を放った。「確かに、お二方の言うように、生徒会には問題があったかもしれない……生徒全員の声に耳を傾けてきたか、声にならない声を拾い上げようと努力してきたか……そういわれると、我々にも恥じ入るところがある。それは認めましょう」
今までと打って変わって芯の入った語り口をする中村さんに、放送部の面々も驚いた表情を見せる。こいつら、中村さんがそもそも候補であるということを忘れていたに違いない。
「しかし……彼らのやる気は、確かなものなんです。最初はそれこそ、内申点欲しさに生徒会に入ったやつもいるかもしれないけど、そんな気持ちでやっていけるほど、生徒会の活動は甘くない。――あなた方がご存じかどうかわからないが、生徒会の活動は、想像しているよりは忙しいし、期待しているよりはつまらない。そんな仕事をなんで我々が続けてきてこれたかというと……たしかにそれは惰性とか言われる面もあるかもしれない、でも、我々がつまらないコピー作業をしているときや、貸出品のバレーボールがなくなったのを探しているときにくじけそうになる心を一番支えてくれるのは、やっぱり生徒たちのために働いているという、誇りなんです。たとえば、いま、ちょうどいまも私……私たちの選挙を滞りなく行うために尽力してくれている、選挙管理委員会の今藤と吉川。ほとんど毎日、下校時間すれすれまでふたりで残って作業をしてくれています。誰から頼まれたわけでも、ほめられるわけでも、感謝されるわけでもないのに」
話がずれてますね、小笑いしながら中村さんは咳払いを挟む。「……まぁ、そんなことは投票者の皆さんにとってはどうでもいいことでしょう。実際に不備があることは今回の選挙活動を通して、お二人の候補者から大変学ぶところがありました。……ですが。これは私の短い副生徒会長としての経験からも断言できるでしょう……そのような、不信感に基づいた監視の下で、我々はプライドを保つことはできない」
表情も放送で流せればよかった。この一年間で、中村さんは一番自己主張に満ちた、凛々しい顔つきをしていた。
……でも、よく考えたら中村さんのこの論だって、芦屋さんの主張を半分以上乗っ取る形で行われているんだし、実際に生徒会内で問題が起きたらどうするのか、という面については全く触れていない。
この穴を浜野さんがつくことは……しかし、できないのだ。彼女の兄が体験した、生徒会内であったというイジメを俎上に出さないことには、彼女の持つ強烈な問題意識というのは共有できない。問題意識を共有できない相手に対策の必要性を論じても通じるわけもなく、さりとて、身内の悲劇を公衆の面前で語ることはできない。
芦屋さんもこの中村さんの思わぬ反撃に力を得たのか、黙って唇を噛んでいる浜野さんに追い打ちをかける。
「それに、これから、当選して生徒会長になろうという人間が、なぜその権力を縮小するような動きに出るのか……」
「それは……」
「オンブズマン団体の長に身内を置けば、監視の目を形骸化することができて、その上で今度こそ反論を封じた圧政を行う? ……いや、すまない。今のは完全に邪推でした」放送には映らないというのに、律儀に頭を下げる芦屋さん。「しかし、ある意味では不可解ともいえるこの政策の真意をお聞かせしてもらえなければ、そういった疑問というのは残るでしょう」
「ですから、生徒会活動のより一層の健全化を……」
としか言いようのない浜野さん。芦屋さんと中村さんの二人の候補者は、彼女の弱点を知らないままにそこを突いてしまったのだ。
ひとりの放送部員がここで時間が迫っていることを示すサインを出した。一応存在したパーソナリティ役の放送部員が慌てて話の収集に入る。
「……さて、白熱した議論ではございましたが、残念ながらお時間となってしまいました。なお、この討論の様子はあとで報頴新聞のほうでもまとめられるようです……」
スイッチを入れて流される、クラシックのメロディー。三者討論は、ずいぶんと歯切れの悪い終わり方をした。
放送が終わり、生徒会室に帰ると同時に今藤さんが肩にすがりついてくる。「あーもう、緊張したー!」
「あなたは別に緊張するようなことないでしょ」
名残惜しく感じながらも邪険に今藤さんを肩から払うそぶりを見せると、彼女はため息を吐いて「だって、中村くんたら原稿にないことばっかり……」
やっぱり原稿は用意してたんですね……。
「しかも、あんなゆるゆるのロジックもなにもないスピーチで……時間切れになったからいいものの、姪美が冷静さを取り戻してたらいくらでも反論されて、却って心証が悪くなったかもしれないのに」
あまり似てない浜野さんの声真似で、予想されうる反論を言いまくる今藤さん。いつもと違うその間抜けにすら見えるひょうきんさは、たしかに彼女が動揺していることを感じさせた。
「でも、結果的にはそんなに悪くない討論会だったような気もしますけど……。芦屋さんと浜野さんがそれぞれ弱点をさらけ出した形で、中村さんは……あれがプラスに働くかどうかはともかく、大きな失点はないはず」
むしろ、やっと存在感を示せた、という点はとても大きいはずだ。
「結果的には、ね」
でもわたし、想定外のことって苦手なのよ……。弱弱しく言って、髪を触り出す。
「そもそも、本当はもっと積極的に現生徒会の持つノウハウとかコネとかをアピールして、さらに言えば彼らみたいな外様がいきなり生徒会長になったときの反発とか、不慣れから来る事故とか、そういうものをことさらに言い立てて、下手な政権交代のデメリットみたいなものを植え付けるつもりだったんだけど」
「まあ、そんな強気に口をはさめる空気ではなかったですね……」
むしろ、中村さんもよくぞ芦屋さんの尻馬に乗る形でも発言してくれた。
「でも、これでやっと討論会も終わったし……あとは、報頴を一号挟んで、ついに選挙なのね……」
「感慨深げなところ悪いですけど、その報頴……出るのは明後日でしたっけ? それに載るはずの中村さんのインタビューのために今から想定問答集を作っとかないといけないんじゃないですか」
うめき声を一つ上げると黙ってMacbookを立ち上げる今藤さん。「今日も――中村くんの言葉を借りれば下校時間すれすれまで残って作業することになりそうね」
せいぜい茶目っ気を出したつもりなのかウインクをしてくる。
中村さんの原文ママなら「下校時間すれすれまでふたりで」ですね。とは言わなかった。
火曜日、さすがになんとか無事にインタビューを終えたらしい中村さん(なにせ、あの討論会の後だから、新聞部のほうが質問を重ねてくるのだ)の話を聞くに、出来上がりに……というか、温度に不安のあった報頴新聞ではあったが、水曜日に出来上がったそれは予想以上に中立的な立場から、中村さんの主張をまとめていてほっと胸をなでおろした。
のだが、当然のごとく紙面のほとんどは月曜日の討論会のダイジェストと解説、社説にあてられていて、そのせいかやっぱり中村さんの存在感が……。いや、まあいい。
この記事も水曜日の昼に完成すると、新聞部の部室の前に立ち並んでいた生徒たちがあっというまに持って行ってしまい、六限までの間には学校中に行きわたっていた(ここだけの話、荒木さんを含め新聞部員のうち何人かは授業をさぼって増刷にいそしんでいたらしい)。
今や芦屋派と浜野派の議論は白熱し……というか、どちらの派閥も無邪気に自分の支持する候補者の正しさとか優位を信じられなくなって、そのためにお互いのあらさがしを始めている。
「芦屋さんの言うことだって、結局最後まで理想論ばっかだったじゃん。ああいうタイプって、いざ生徒会長になったら……」
「姪美さまこそ、何がそんなに憎いんだかわかんないけど今の生徒会の批難ばっかりで、何も面白いことやってくれなさそうじゃん」
「だからその、面白いことってなんなのよ? ちょっとくらい強引でもいいから、みんな楽しく何かできればいいなって?」
「学校の生徒会くらいでなにを大げさな。そんなに手続的な正義が重要か?」
「そうじゃなくて、起こりうる問題についてあまりに無配慮なこと自体が……」
侃侃諤諤。どうやら、それについては今藤さんのクラスについても同じだったらしい。
「うちじゃ、姪美がそもそもクラス内にいるもんだから、それこそ報頴新聞が腫物のように扱われちゃって……。応援してる子と、反発してる子が直接つかみ合いにならないように姪美が配慮してすぐに席を外すんだけどね……」
なんか、申し訳ないことしちゃったな。そうつぶやく。
「でもまぁ、やれることはやったでしょー」
背伸びしてあたかも選挙が終わったかのように振る舞う今藤さん。
「……でも、明日の投票ですべて決まりますからね」
芦屋さんと浜野さんの両候補者の支持をかなり突き動かすことは出来たような気がするけど……。それでも、以前に出した数をひっくり返せるほどかと考えると……。でも、両陣営から一三〇票づつ奪い取ればぎりぎり……? 無理でしょ。
しかし確かに、もうじたばたしても仕方がない。実際にやれることはすべてやった――はずだ。その上で、まともな手段で勝てる気がしない……それは、民意がそうであった、それだけのことだ。なぜか、ぼくはもうすでに諦めるような気分になっていた。ここまで戦ってこれただけで満足してしまったのかもしれない。
「じゃあどうする? このあと、どこかに遊びにでもいく?」
そんなぼくの表情を見抜いてか、今藤さんが、軽いノリで誘ってくる。
このひととカラオケ行くと、布施明とか歌うからやなんだよな。
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