新聞部と放送部

 印刷所で受け取ったA3のポスター一二〇枚を抱えて、また学校に戻る。学校と印刷所の間は歩きで五分ほどしかないのだが、それでもこのあとこれを校内にいちいち貼って行くのかと思うと気が重くなった。

 ポスターを入れた紙袋がやぶれないか注意して、うつむきがちに歩いているぼくの目の前で今藤さんが立ち止まり、ぼくは背中に軽くぶつかってしまう。「急にどうし」「……姪美だわ」

 今藤さんの肩越しに見やるとたしかに浜野さんが(数人の男を連れて)歩いている。引き連れている男たちは全員、たしか吹奏楽部員のはずだ。浜野さんが入部して以来、吹奏楽部に入部する男子が増えたという。金管パートとしては体力のある男子を入れられたのはいいことだろうが、浜野さん目当てで入部した子が長続きすることもまれらしいので、迷惑な話でもある。

「……もしかして、彼らが浜野さんの選挙活動を手伝ったりするんですかね」

「どうだか。姪美はせいぜいあの子たちのことをトランペットケース持ちくらいにしか考えてないみたいだけど」

 こちらに気付くと、微笑をたたえて軽く手を振ってくる。もちろん、ぼくらが選挙管理委員会でありながら中村さんの後押しをしているなんて浜野さんは知らないので、純粋にクラスメイトとしての今藤さんに対する挨拶である。今藤さんは手を振りかえし、ぼくは軽く会釈する。

「……あの子には、ちょっとかわいそうなことになるかもしれないけど」

「? 選挙の話ですか? むしろぼくらの方が痛めつけられそうな気もしますけど」

 彼女のあげつらう現生徒会のシステム不備についてはまだ十分な論駁が用意できていないというのが本当のところだ。でも、今藤さんはあまり気にしないで、とぼくの頭に軽く手を置いて、そのまま早足で歩きはじめてしまった。


 次の日、五限の授業が終わると一年生から三年生まで全生徒が体育館に集められた。確定した三人の出馬者による、全校生徒を前にした最初の演説機会である。

 ぼくは幸運なことに体育館の冷たい床に体育座りさせられることもなく、生徒会メンバーとして、舞台袖で会の開始を待っている。

 その間中、ついに今の今まで捕まらなかった中村さんに、選挙演説について入れ知恵しているというわけだ。「中村さんの演説順は三番目です。前の二人の演説をよく聞いて、とりあえずは彼らに負けないくらい堂々としていてください」

 明かりのほとんどない舞台袖、しかもこまごまとした体育器具とかのせいでスペースもないので、ほとんど中村さんと密着するようにして資料を読んでいく。

 よく考えれば先輩相手にとんでもない失礼な口の利き方であるが、そうも言ってられない。

「大丈夫大丈夫、そもそもあいつらより俺の方が一応生徒会としての経験もあるし、人前に出るのは慣れてるんだから」

 とはいうけど、中村さんがこれまで副生徒会長として、人前に立ってなしてきた仕事って、壇上で用意された原稿を読むくらいのものだった気がするけど。

「芦屋先輩も浜野先輩も中村先輩と同じく……いや、それ以上に見られることに慣れてますから。油断はできません。それより、初演説では政策の内容より、印象が大事です。彼らと違って先輩はまだ全校生徒に対してこれといった印象がないでしょうから、ここでよい印象を与えておかないと、このあとが厳しくなります」自信満々にアドヴァイスしている今のセリフも、全部今藤さんの考案によるものだけど。……そういえば、今藤さんはどこにいるんだろう?

 中村さんは唇をゆがめる。

「ずけずけというね……。たしかにその通りではあるけど」

「芦屋先輩がどちらかというとカリスマで人を引っ張って行くタイプで、浜野さんが美貌で人を引き付けていくタイプですから、中村先輩は誠実だけど仕事はできそう、という感じで行きましょう。変なキャラづけはたぶん逆効果です」

 そうだね、とどこか投げやりに肯く中村さん。ぼくはちょっと彼に同情しないわけでもない。なぜなら。例年通りなら、なにもせずとも、去年とほとんど同じ原稿を読み上げるだけの演説で信任が得られたのに、今年は彼が悪いわけでもなんでもないのに、二人のライヴァル……しかもかなり手ごわい二人と争わなくてはならないのである。ぼくだったらやる気が出ようはずもない。原稿を読むわけでもなく何度も裏返したりしている中村さんに、何を言おうか迷っていると、芦屋さんとなにか会話を交わしながら今藤さんが舞台袖に入ってきた。……? 芦屋さんと何を話してるんだろう? 今日の演説手順についての質問を受けたんだろうか?

 中村さんにこっそり作戦を与えてるところを見つかるわけにいかないので、ぼくはあわてて資料をばたばたと片づけ始める。誤魔化すようにして、今藤さんに話しかける。「今藤さん、今日の演説会って芦屋さんがはじめで、その次が浜野さんですよね?」

 暗がりからいきなりぼくの声が聞こえてきたからだろうか、今藤さんがちょっとびっくりしたような声で「あ、吉川、いたの?」とかなんとか言いながら、芦屋さんから一歩距離を取った。

 ぼくの疑問には芦屋さんが答える。「俺が一番だよ。マイクチェックとかはさせてもらえるのかな?」

「いちおう候補者演説の前にぼくたち生徒会の方から全校生徒にあいさつがありますので、その前にやっておきますけど……」

 ふうん、と一声、芦屋さんはどっかと椅子に腰かけた。手に原稿を持っていないように見えるが、もしかして用意していないのだろうか。

 そのあとすぐ、浜野さんも入ってきて、舞台袖に候補者がそろったことになった。なんとなく緊迫した空気が流れたところで、六限開始のチャイムが鳴る。

 反対側の舞台袖から、生徒会長が出てきた。生徒総会の始まりだ。

 会長が簡単なあいさつをしている間もざわざわと私語の止まない生徒たちが、「ではこのあと、候補者による立会演説会となります。まずは芦屋信之さんから……」のセリフと共に、一瞬静かになって、湧いた。おそらく、野球部のチームメイトや彼のクラスメイト、友達たちが悪ふざけであげた声だろう。芦屋さんがちょっと迷惑そうに苦笑いして、堂々と壇上に出ていく。

 さて、お手並み拝見と行こうじゃないですか。


 芦屋さんの演説は、最初の挨拶をしているうちうちはあーだのえーだの不要な間投詞が多く、ふざけた友人からヤジが飛ぶと曖昧に笑ってみたりと、いかにも素人のそれだったのだが、続けるうちに熱が入り、具体的な政策を語る段になると身振り手振りを交え、ほとんどマイクを使わずに、体育館全体に通る声で語るようになった。

「……ですから、海頴は確かに進学校ではあります。ですが、その教育理念はそもそも、自立、創造、そしてなにより文武両道であったはずです。海頴の進学実績は確かに、県下ではトップクラスに入るでしょう。ですが、スポーツ面ではどうでしょう? どの部活動を取っても、ここ数年は県のレベルで行われる予選や大会ですら入賞できないありさまです。そして、ここでその原因を考えてみましょう」

 どの部活もやる気がないだけなのでは……。とは言えず、それは聴衆も同じらしい。場が彼の語りに圧倒されていた。

「第一に、配分される予算の少なさが挙げられます。例えば私の所属していた野球部を例にとれば、硬式球は一球で千円。これを年間で何百球も使うわけです。備品の他にも遠征費、グラウンドの使用料、審判の方に払う謝礼などを考えると、毎年貰っている予算だけでは到底間に合わず、OBの方々からの寄付金に頼っている状況です。他の部活動でもほとんど情勢は変わらず、多くのところで資金難は深刻で、そのため、日々の練習を満足にこなすだけでも厳しいのに、これ以上の設備投資など考えられもしません」

 ここで息を切り、壇上脇に立っている生徒会長の方を見る。

「……この状況については我々の方からも再三、生徒会の予算決定に際してアピールをしたのですが、残念ながら目に見えた改善というのはありません。ですが! 私が当選した暁にはより柔軟に生徒の皆様からの要求をお聞きすることをお約束します」

 なるほどね、そうきたか……。生徒会と他の部活動の両立というのはなかなか難しいので、特に役職が上の方になるほど部活動と委員会の二足のわらじというのは少なくなるし、なにより体育会系の部活動と生徒会の両方に所属する生徒というのはほとんどいない。というより、ぼくの知る限りでは一人もいない。そういう風土と言われればそうであるし、体育会系の子がもし一年生の頃に生徒会に入ったとして、その彼は半年もしないうちに両立が難しいことを悟って生徒会室に来なくなるだろう。十年くらい前まではむしろ、学校側も文武両道という観点から、体育会系の生徒の方が多く生徒会に所属することを望み、実際そうなっていたようだが、どうやら実害の方が大きかった、といわれている。

 というような事情を知ってか知らずか、彼は、生徒会内部の、体育会系事情に対する疎さを弱点と見たらしい。と、いうより、彼の主な支持者層となるであろう体育会系の生徒の人気を取るために、軟弱で頭でっかちな生徒会との対立構造を作ろうとしている、そういうように思えた。

「もちろん、改善すべき点はそれだけではありません。現場、海頴高校の文化祭はその集客力や……」

 芦屋さんはあからさまに体育会系へのウケを狙い、また現生徒会との対決姿勢を示し過ぎたと思ったのか、続けて比較的穏健な政策を述べる。しかし、文化祭の開催日を一日伸ばすのは実現可能性としてはどうだろう……。どれもこれも、お金のかかる政策ばかりで、現実味がないといえばない。

 それでも、ところどころにたとえば文化最後に後夜祭を行うことにし、そこで男女混合のフォークダンスを行うなどの、学生にウケそうな政策を盛り込んできて、場の空気をコントロールするのが上手だ。

 最後まで自信に満ちた彼の口上は、その分実現するかどうかといったら怪しいものがあったが、生徒の耳を心地よくすることには非常に長けていた。確かに、どことなく期待できるような、わくわくしてしまうようなことを言うのが非常に得意なのだ。

 締めくくりに演説台に両手をついて聴衆をぐるり、と見渡すと彼はこう言ってその演説を締めくくった。

「……以上でスピーチを終わらせていただきます。皆様、二週間後の投票日には私、芦屋信之に清き一票を!」


 大きな拍手――といっても、一部の人間が大仰に拍手をしているだけなのだが、それが鳴りやまず、生徒会長がマイクを使って何か喋っても聞こえないありさま。そんなところに、まだ名前を呼ばれていない浜野さんがかつかつと歩み寄る。

 彼女が壇上に上がると、それだけで空気が一変した。

「静かにしてください」

 彼女のファンクラブだろうか、そいつらが周りの人間に控えめながらも注意することでだんだんと浜野さんに注意が集まる。「……ありがとうございます。六分しか時間がないので、手短にやらせていただきますね」

 柔和な笑みを作ると、早速既定の時間を数分オーバーした芦屋さんにまず皮肉を浴びせる。芦屋さんと違って、最初から一切の怯みがない。

「さて、わたしが今回の生徒会長選挙に出馬したのは、ちょっと変わった動機があります」

 ざわ、少しだけ聴衆が反応した。そう、浜野さんはそもそも学園のマドンナであって、政治に関わってくるとは誰も思っていなかったのだ。

「直入に言いましょうか、私はこの学校の生徒会のシステムそのものを変えたいのです」

 この話は、ぼくらみたいに選挙について関心のある人間ならだれでも知っているが、今初めて知る人間も多いだろう。波紋が次第に聴衆の間に広がる。

 その波が治まるのを待つことなく、浜野さんは言葉をどんどん継いでいった。

「そのための手段として、わたしは生徒委員として内部から変革するのではなく、生徒会長としてのポストを手に入れてから、上から変革していくことを決めました」

 演説台のマイクを上品に片手で支えながら、滑らかに論を述べる浜野さん。

「現状のシステムの問題点とはなんでしょうか? いろいろありますが、その根を詰めて考えていくと、結局のところ生徒会活動に対する監視の目、というものが挙げられましょう」

 ひとつ咳払いをする。「もちろん、ここであまり多くの具体的な例を挙げる煩は避けますが、しかし、今の生徒会が、やろうと思えばなんでもできる――そして、それに誰も文句をつけることが出来ない、教師ですらも、というこの状況は、みなさんも疑問を持たれたことがあるかもしれません。今後、何度かマニフェストを配布させていただきますが、わたしはこの選挙を、そもそも当校の教育理念上、〝民主主義のルールを体感するため〟設けられているはずの生徒会のあり方について、今一度みなさんと考える最良の機会だと思っております」

 浜野さんがあくまでしとやかに一礼すると、少しの間があってから拍手が起きた。


 芦屋さんのスピーチは場をつかんでいたけど、その分瑕疵が目立って、いくらでも論駁しやすいものだったけれど、浜野さんの、普段のアイドル然とした様子からは考えられないほど硬派な主張はそのそのギャップで聴衆に大きな印象を与えたようだ。

 ……そして、そのあとに行われた中村さんのスピーチに関して特に言うことはない。聴衆はもうほとんど中村さんの言葉に耳を傾けていなかったし、いかにもてきとうに昨年までの伝統を踏まえ~より生徒に密着した生徒会運営を~と語るだけのスピーチはむしろマイナスイメージすら与えていかねない。いや、深く考えるのはやめよう……。

 閉会後、体育館からぞろぞろと帰って行く生徒たちの私語を聴く限りでも、芦谷さんのスピーチに関して言及している者はあまりなく、浜野さんについて語っているものが多い印象。あのスピーチだけだと、なにがそこまで問題なのかはよくわからないみたいだけど……。

 ぼくがこれからの戦いに不安を覚えていると、片づけを終えた今藤さんが舞台から降りてきて、淀んだ目をこちらに向けてきた。

「……このあと、作戦会議しようか」

「……そうですね」


「……そうですね、わかりました」

 そう言って新聞部部長の荒木さんはうなずくと、さっそくメモ帳に紙面構成の案を書きはじめた。

「毎年この時期は取り扱うようなネタも少ないですからね。選挙の日までに三回くらいは出せると思います」

 新聞部部室は校内でも数少ない、パソコンを置くことを許可された部室で、他には生徒会室とパソコン部しかない。画面に映ったDTPソフトにはすでにある程度の雛型が出来ていた。右上には「報頴新聞」のロゴ。

「それは頼もしいんですけど……ほんとに三つも出せます?」

 荒木さんは大きくうなずいて。「ええ、候補者も三人いますし。最初の二つで芦屋さんと浜野さんをクローズアップして、最後にそちらの……えっと、中村さんでしたっけ? のことを取り扱って、ついでに各候補者まとめみたいなものを……みたいに考えてるんですけど、それでもいいんですよね?」

「ええ、お願いします。それと、今年は信任投票じゃないから選挙用紙も作り変えなきゃいけないし、それもできたらサンプルとして掲載してくれるかしら」

 そのくらいならお安いご用ですよ、と荒木さん。

 生徒総会のつぎの金曜日、ぼくと今藤さんは新聞部の方に校内選挙特集号を作ってもらうことをお願いしに来たのだ。

 例年、新聞部は選挙の終わった後におざなりにその結果を伝えるだけの号を出すだけだったのを、今年は選挙の二週間前から盛り立てていこう。それも〝戦略〟のひとつだ。

「この状態のまま選挙に突入したら、知名度の面からも、人気、インパクトからしても、あの二人に票が割れるのは確実だわ。まずは、全校生徒に選挙について関心を持ってもらうこと。それからじゃないと世論の誘導もできないから」

 とは今藤さんの言。ぼくとしては全校生徒について関心を持ってもらうとそれだけでこっちの弱点が明らかになっていくだけのような気もするのだが……。たしかに現状のままだと敗北は必至である。

「……芦屋さんと浜野さんの方にコンタクトを取っておきますか?」

 ぼくがそう言うと、荒木さんは苦笑する。「大丈夫だよ。もうあの二人にはなんどもインタビューしたことがあるから。ある意味いつも通りの手順だからね」

 そういって、後輩の部員ひとりを呼びつけて、その場でアポイントメントを取らせに向かったようだ。「この通り、ね」

 その慣れた手つきに嘆息しながら、今藤さんは荒木さんとのやりとりを続けた。

「ありがとうございます。もちろん、その三号分について印刷用紙代等はこちらで負担しますので」

「ああ、それは助かるな……。ついでに、部費の方も増やしてくれないかい?」

「それは選管の仕事じゃないから難しいですけど……。あ、ダメですよ、候補者に有利なことを書く代わりに、当選後の便宜を図ってもらったりするのは」

 今藤さんがくぎを刺すと荒木さんが顔をしかめる。「分ってるって。じゃあ、作業があるから」

 手で追いやるようなジェスチャー。今藤さんは何事もなかったかのように軽く会釈して退出しようとする。「……それと、〝面白い〟記事にしてくださいね」

 一瞬きょとんとした表情をする荒木さんが、すぐに納得した顔になる。

「いいのかい」

「ええ」


「あれはどういう意味だったんです?」

 あれって? と今藤さんが首を捻る。「面白い記事、ってところですよ」

 前を歩く今藤さんがこちらに体ごと向けて立ち止まる。

「つまりね、どうしても選挙報道となると、校内新聞といえ筆が鈍りがちでしょ? 先生の目も厳しいでしょうし。でも、わたしはむしろ、芦屋くんと姪美の対立構造をどんどん煽っていってほしいのよ」

 さらっととんでもないことを言う。

「漁夫の利を狙うってわけですか」

「まぁ、当然それもあるけど。そうして煽った方が生徒の関心も高まるでしょうしね」

 だんだんやり方があくどくなってきた……。あのやりとりで理解してくれる荒木さんも荒木さんだが。たしかに、普段の新聞を見る限りでも、今の新聞部はかなり物怖じをしない筆致ではある。

「ほら、まだやることあるんだから、生徒会室戻るよ」


 週末を挟んでの月曜日、投票方法についてルールなどの細則を生徒会で決める。その草案を選管の方で作っておかないといけないのだ。

「……じゃあ、わたしが規則の方作っておくから吉川は投票用紙作っておいてくれる?」

「わかりました……けど、どういう風に作ればいいんです?」

 今藤さんはうーん、と一瞬考え込んでから、「投票者の氏名欄とかはもちろんいらないけど、選好順序もちゃんと投票者に書く場所がはっきりわかるようにしといてくれれば、あとはいい感じに」

 いい感じってどんな感じだ……。とりあえずパソコンを立ち上げて、ご要望の通りに作っていく。A4に八枚入るサイズで作ればいいかな。

「そういえば、これもできたら新聞部の方に持って行くんでしたっけ」

「そうね……。まあ、今日じゃなくともいいけど」

 言われた通りのものならすぐに出来上がってしまうので、案分票や無効票に対する注意とかを盛り込んでおく。

 作業しながら今藤さんの方を見ると、珍しくキーボードをたたく手が遅い。やっぱり一から文章を考えるのはめんどくさいんだろうか。

「……。吉川、選挙で勝つために重要なことはなんだと思う?」

 ぼくの視線に気づいたのか、唐突に今藤さんが訊いてくる。「? 投票者の理想に沿うことですか?」

 ちっちっと舌打ちをする。

「今のうちの生徒に理想があると思う?」

「じゃあ、投票者を上手く扇動して、自分のやりたいことを正当化する?」

 ナチスじゃあるまいし。

「違う違う。そういうことを言ってるんじゃなくて、票を多くとればいいのよ」

 ……? 当たり前のことを言ってるように思えますけど。

「しかも、中村さんが他の候補者より多く票を取るのって……やっぱり相当難しいように思うんですが」

 問題は、と今藤さん。「そこなのよね、このまま二週間いくら立派な公約を用意して、演説に努めて、他の候補者を論破して……やったとしても、それが選挙に与える影響は低いでしょう。そもそも生徒にとって生徒会運営なんてどうでもいいこと。よくある、文化祭の縮小危機問題とか、そういう華のある問題を抱えた選挙じゃないもの。だから、結局のところ最後の投票行動は、容姿やイメージに左右されやすい」「じゃあ」「だから、よ。中村くんに必要なのは、他の候補者より、多く点を稼ぐことなの」

 ……。議論が循環してるように思える。「でも、だからといって、あの二人の候補者を争わせたところで、ふたりに票が二分されるようになるだけで、中村さんの得にはあまりならない気がするんですけど……」

「そこをどうにかするのがわたしたちの仕事ってわけよ」

 どうにかなるレベルなのかなぁ……。しかし、言うだけ言った感じの今藤さんは満足した横顔で、気分よくキーボードをたたきはじめた。


「……選好順序を導入した投票用紙で、より柔軟に投票者の総意を反映することを目標としました。吉川、お配りして」

 月曜日の放課後、さっそく生徒会メンバーを集めて選挙ルールについての確認作業である。ここで三分の二の同意が得られれば、細かな修正を施した後それが採択され、公示される。

 ぼくは命令の通り、作っておいた投票用紙を持ってくる。といっても、シンプルに三つの記入欄と、こまごまとした注意の書かれただけのものである。

「さて、投票後の当選者選出過程についてですが……総当たり式の……」

 しかし、ぼくも含めて誰も今藤さんの話を聴いていない……。わざと回りくどい説明をしてるんじゃないかって思えるくらいなので、たしかに厳密性を重要視する議論なんだろうけど。

「ほか、違反の規定などについては生徒手帳末尾にあるものと、過去の資料にあるものを転用しました。基本的には収賄などは全面的に当然禁止、ほか、こまごまとしたところもありますがすべて常識的な範囲でしょう。なにか疑問点、おかしな点等ございましたら、今のうちにご指摘ください」

 生徒会長以下各位がペラペラと資料をめくる。今藤さんの事務能力についてはだれも疑いを持っていないので、その分かえって誰も真面目に検討していない。かくいうぼくも今日の会議の前にこの資料を人数分コピーする前ざっとチェックしたはずなのだが、おかしいところはなかったように思える。

 しかし、ぼくも今藤さんといっしょになって選挙に向けて準備を進めてきたはずなのに、列席するほかの委員とほとんど認識について差がないのは……。どことなく疎外されたように思うのは、気のせいではない気がする。

 もちろん、今藤さんが、策があるとだけ言って具体的には教えてくれないのもあるんだけど、それでもやっぱりぼくももっと積極的に動いていかないといけないんだろう。中村さんを勝たせるのが正直に言って難しいことを痛感しつつあるだけに、尻ごみしそうにはなるけど。

 今日だって、校門のところで精力的に挨拶をする芦屋さんに圧倒され、各クラスを周ってマニフェストを配布する浜野さんの努力に感服したところだ。このままじゃ、絶対に負ける。

 ……でもどうやって勝てるか、といったときに、もうあの二人の足を引っ張る方向でしか頭が働かないんだよな……。

「……川、吉川!」

 考え込んでいたら、今藤さんに耳元で名前を呼ばれていた。「は、はいっ」

「もう会議終わったよ? 今出た修正、ここにメモしておいたからそこだけ直しておいて。早めに終わったら職員室に持って行って、掲示の許可ももらっといてくれるとうれしい。じゃ、わたしはちょっと別の用事があるから」

 言い終えると、資料をまとめてさっさと部屋を出て行ってしまう。ぼくは肩をすくめて、とりあえず言われた作業に取り掛かることにした。


 修正自体は二十分かそこらで終わったので、すぐに職員室に持って行く。軽く中身に目を通した数学の林先生はすぐにハンコを押してくれた。

「今年の選挙は盛り上がりそうだなあ」

 幾何の証明問題に赤を入れながら、世間話といった体で林先生が話しかけてくる。

「そうですね……。立候補者が立候補者ですから」

 とぼくが言うと、ぼくの渡した草案に目を通していた林先生は軽く首をかしげた。「ん、お前……あぁ、いや、なんでもない。これを書いたのは今藤か?」

 そうですけど、とぼく。「なるほどな。いや、よくできてると思うよ」

 ? ぼくは今藤さんの書いたそれを眺める。それは、彼女の書いたものならそうめったに間違いはなかろうが。

「まあ、ここだけの話、学校側としてもな……あの二人のマニフェストはちょっと、な……。目指してるところはいいと思うんだが……」

 あ、これはオフレコな、と口の前でバッテンを作ってみせる林先生。もちろんです。むしろ、ぼくらの側で有利な点と言ったら、常に学校側と問題を起こさないようにしてきたその伝統こそにある。

 その点、予算増は確実である芦屋さんや、手間は確実に増大する浜野さんが生徒会長となったときの面倒は誰しも避けたいだろう。学校側からの介入は校則にのっとったもの以外はどのようなものであれ認めない、と、今藤さんの書いた細則には当然記載があるんだけど。

「まあ、頑張れよ。といっても、お前が頑張るわけじゃないか。中村のスピーチはあれだな、すこしはリハーサルしたほうがいいな」

 立場上中村さんを応援しているとは明かせないぼくは、愛想笑いでごまかすにとどめる。丁寧に礼を言って職員室を退室すると、その足で投票用紙を新聞部の方に届けに向かった。


 新聞部のドアをノックすると、部長の荒木さん自ら出迎えてくださった。「……なんだ、きみか」

「今藤さんじゃなくてすいませんでしたね」

 咳払いでごまかす荒木さん。やたらぼくたちに協力的だと思ったらやっぱりそういうわけか。まぁ、別に……いいけど。

「投票用紙が出来上がったので持ってきました。サンプルとして載せてくださるとありがたいです。あと、お聞きしても構わないならお聞きしたいんですが、芦屋さんを特集したものはいつごろ出せそうですか?」

 荒木さんはうーん、と考え込む。「明日の昼にインタビューするはずだから、急げば明後日には出せるはずだな」

「じゃあ、浜野さんの方は」

「姪美さまの方は明後日のお昼にインタビューするから、早くて木曜日、まぁ金曜日ってとこだな」

 うん、それなら、とぼくは満足げにうなずく。「それ、印刷する前に放送部の方にお渡しすることってできますか?」

 荒木さんはこの提案の真意をほんの少しだけ考え込む。「もちろんできるが……、お昼の放送のときにそれを流すってことか?」

 話のタネを独占したいであろう新聞部としては受け入れられがたいだろうが……「もちろん、新聞が出来上がった後にそれを放送してもらうんです、そうすれば、興味を持った生徒がもっとそちらの新聞を手に取るでしょうし」

 報頴新聞は基本的に掲示板への掲載がメインで、希望者は新聞部に赴くことでそれを一部もらえるというシステムである。お昼休みや放課後に校門で配るというようなことも、なかったわけではないらしいが、最近は新聞部自体の部員の減少のせいかほとんどない。

「校内放送で報頴新聞の宣伝をすれば、多くの部数がさばけると思うんですけど」

 荒木さんはあごに手を当てて、考え込む。

「……うん、うん、ありだな。それはとてもありだ。なんなら、あいつらの放送用に原稿を用意してやったっていい」

 先週の演説会以来、芦屋さんと浜野さんの対決、というのは校内中で話題になっていて、それを取り扱うことは放送部にとっても注目してもらえるチャンスだ。もちろん、すでに放送部の方に話はつけてある。

「どうでしょう、書き言葉と話し言葉は違うでしょうから、インタビューの音源とかを渡してあげた方がいいかとは思いますけど……。なんにせよ、前向きに検討していただけますか?」

「おう、お前、なかなか賢いな。お前が生徒会長になった方がいいんじゃないのか?」

 全部今藤さんが考えたことですけどね……。

「それと、もし可能なら、来週の頭くらいに、放送部の方で三人の討論をやりたいと思ってるんですが」

 この提案には荒木さんも驚いたようだ。しかし、すぐにぼくの意図に気付いてくれる。

「もしかして、それも俺たちの方で記事にしていいってことか」目を輝かせる荒木さん。

 ぼくは鷹揚にうなずく。「どうです? 悪い話じゃないでしょう」

 生意気な口をききやがって、と半笑いで荒木さんに小突かれる。でも、もちろん彼もやぶさかではないようだ。

「そういうことなら今回はいつもの数倍の部数を用意しないといけないかもな……。いや、わかった、ありがとう。感謝する」

「いえいえ、こちらもご協力感謝します」

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