コンドルは飛んで行く
田村らさ
選挙管理委員会
生徒会活動っていうのは小説で描かれるほど忙しくはないし、四コマ漫画で描かれるほど暇ではない。というか、少なくともぼくの所属する海頴高校生徒委員会ではそうだ。
二十年くらい前までは教師との闘争に体育祭や文化祭の運営から校内美化、果ては各教室の時計の電池の交換やトイレットペーパーの補充までをこなしていて、めちゃくちゃな忙しさだったそうだけど、いつの間にかそれぞれの仕事は新設された委員会に移譲されるようになり、結局今となっては各部活動の予算を決定したりだとか、五月雨式に学校の方から仰せつかるお仕事だとか、他には他校との交流イベントの実施とか、そういうことをやるだけになっている。要するに、やることは多いけどルーティンワーク。退屈な時期の方が多かった。
しかし、今は、一学期が始まって少し、五月半ば。つまり、選挙シーズンである。
というわけで、今ぼくらは目下次期生徒委員を決めるための校内選挙の準備に追われている、というわけだ。
「吉川、そこのファイル取って! ちがう、青いのじゃなくて、黄色いの、早くして!」
「この書類持って中村のとこ行ってくれる? そう、あいつ物分り悪いからさ、しっかり説明しておいてほしいんだけど」
「ねえ、これちゃんと五百部ある? 五百枚じゃなくて五百部なんだけど!」
……それにしても、普段よりよほど忙しい。先輩たちに訊いても、やっぱり今年は例外的に忙しいらしい。
なんでかというと、簡単に言おう。今年の選挙で、今の副生徒会長が確実に落選しそうだからである。
海頴高校の生徒会選挙は、基本的に現高校二年生の各副委員長に対する信任投票という形で行われ、生徒会長、書記、会計の三役職が決定される。五月末に生徒会長、十月頭に残りの書記、会計についての選挙が行われるのだ。つまり、今回は生徒会長選挙。
もちろん、立候補は自由だから対立候補が現れる可能性がないわけでもないのだが、毎年そういった対立候補は現れず、大した争いはめったに起きない。なぜなら、わざわざ生徒会長だの書記だのやりたがるような人間はすでに高一の時点で委員として生徒会に入っているはずだからである。委員になるのは選挙などを経なくても、立候補するだけでいいし、そこで一年間他の人間より頑張れば大体副委員長にはしてもらえる。というか、毎年最初に各役職に数人づつくらいの志願者は来るのだが、一年もすれば二人くらいしか残っていないので、中でも真面目な方が副委員長になる、というだけのこと。
そういうぼくは生徒委員会の選挙管理委員で、おそらく来年には副委員長になることだろうし、その次には委員長になることだろう。ちなみに選挙管理委員会の会長は選挙では選ばれず、委員長によって任命される。
さてさて、現副生徒会長であるが、簡単に言ってかなりの保守……というか、自ら何かを起こそうという考えのないタイプの人間だ。もちろん、仕事はきっちりとこなすし、性格に難があるわけでもないのだが……いかんせん地味であることは確か。
しかし、である。今年はなんと、対立候補が現れたのである。しかも、一人ではない。二人も。
もちろん、校内選挙の立候補者募集の公示を出したのは我々選挙管理委員会だし、きちんとルールにのっとって立候補してくれることはむしろ歓迎すべきなんだろうが……形骸化久しいこの立候補という制度、しかも生徒会長のポストをめぐる選挙でこのようなことが起こってわが生徒会は完全な混乱に陥った。
なにが問題って、その対立候補となった二人が、校内でも特にカリスマを持つ二人であったことだ。
ぼくの気苦労もわかってもらえただろうか?
さきほど名前を呼ばれた吉川とはぼくのことだ。ヘタしたら外様に生徒会の座を乗っ取られかねない今、選挙管理委員会のぼくは選挙管理委員会委員長であるところの今藤さんにこき使われている。
信じられないことかもしれないが、この非常事態にうちの生徒委員会は選挙管理委員会が現副委員長の選挙活動のサポートにあたることを決定した。常識的に考えて、校内選挙における違反行為を取り締まるはずの我々が、特定候補に肩入れするというのは自分たちでもいかなるものかと思わないでもないが、入学時に配られる生徒手帳の後ろの方に小さな文字で三〇ページほど続く生徒会細則のどこをみても、選挙管理委員会が特定候補を支持することを妨げる(またはそのように解釈できる)ような文言は存在しないのである。
……というのは、もちろんぼくが用意した屁理屈ではなくて、委員長の今藤さんが考えたものであるが。
今も生徒会室の奥、パーティションで区切られた選挙対策本部(名前はご大層だが、ふつうの教室にある学習机を四つ並べただけの貧相な空間だ)で、ぼくに先ほどから延々と指示を出し続けている――かたわら、自らも熱心にパソコンの画面と向かい合って資料を作成している――彼女が今藤瑠依さん。
現在高校二年生。なぜ高校二年で選挙管理委員会の委員長を務めているかというと、聖さまが卒業なさったあとのロサ・ギガンティアと言えば分りやすいだろう。……いや、その、つまり、三年生がいないからである。学年でも随一の成績を誇る才媛らしいが、その才能はふだんの生徒会活動においても存分に発揮されている。
選挙管理委員会といってももちろん年に一度の投票のために一年中おいておくポストではないので、ふだんはいわゆる総務という肩書になるのだが、だいたいの行事は彼女の完璧な渉内活動によって滞りなく行われているといっても過言ではない。のだが、その実ぼくにとって重要なのは顔の右脇にゆれる三つ編みだけだったりする。
「あ、吉川。中村呼んできてくれた?」
与えられたお使いを終えて生徒会室に戻ってきたぼくを、今藤さんは上目でちらっとだけ見てすぐに画面に目を戻す。
「なんでも、今日は塾だそうで。もう駅の方に行かれましたね」
舌打ち。「……あいつ、もうあと二週間しかないこと分ってるのかしら?」
先ほどから話題に出ている中村さんであるが、これが現副会長である。現在高校二年生。偏差値は五十五。身長は一七二センチメートル。体重は知らないけどたぶん五〇キロ代の後半。先輩のご尊顔について恐れ多くも申し上げるなら、街で会って二秒もすれば忘れそうな顔。
……もちろん、悪い人じゃない。今藤さんは大仰に怒ってるけど、そもそも学校の選挙程度で塾を休むとしたらそっちの方がたぶん委員長として……というか学生として不適だろう。
「もちろん、暇な放課後は全部こちらに顔を出せ、って伝えましたけど……。あと、資料の方もちゃんと渡しておきました」
「そう、ありがとう」
しかし、悪い人じゃない、ってだけじゃ選挙に当選しないのが悲しいところだ。なぜなら、対立候補の二人が悪い人じゃないばかりか、さらにいい人でもあるから。
後ろから今藤さんのMacBookを覗き込む。デスクトップは付箋アプリに書かれた
そして、その中でもデスクトップの右上とそのすぐ下にある、ひときわ大きな付箋にはライバルとなる二人の候補者の情報が書かれている。
一人目の候補は野球部の元副主将。名前は芦屋というのだが、現在二年生で、これからがレギュラーとして、部活動も本番なんじゃないの? そんな彼がなぜ政治活動に転身したかというと、故障のためである。
これからを期待される投手だったらしいのだが、あいにく周囲の多大な期待に応えようとして練習しすぎた結果、肘を痛めてしまったらしい。ドクターからは、数年大人しくしてればまた大学では野球を続けられる、と言われたらしいのだが、それでも野球とかかわることを諦められない彼は、委員会内部に入り込むことで野球部の便宜を図ろうとしたらしい。らしい、らしいの連続で恐縮だが、この辺の事情は付箋に書いてあるわけじゃなくて、ぼくが勝手にうがって想像しただけである。
そういうわけで、彼は現在生徒会委員でないにも関わらず、生徒会長選挙に出馬を決めたわけ。はなはだ迷惑な話。
こまごまとマニフェストとかがその下にまとめられてるんだけど、一番目を引くのはそこだけポイント数の大きなフォントで書かれた「イケメン」の文字。厄介なことに芦屋氏、とんでもないイケメンなので、例えばバレンタインデーなどには彼のいる教室にチョコレートを渡す女の子の行列ができるというし(うちの学校は土足だから下駄箱に入れておくという情緒ある風景はない)、これまでに交際をお断りされた女性も両手の指では足りないという。現在特定の交際相手はいないそうだが、この様子だと元交際相手も何人かいるはずで、ぼくなんかはこの辺が彼の弱点なんじゃないかとにらんでいる。
さて、二人目の候補は打って変わって美女である。海頴高校吹奏楽部、トランペットパートの浜野姪美さまだ。さまがついているのは、ぼくが特別彼女に心酔しているとかではなく、もはやこの呼び名が定着しているためだと思ってもらいたい。フルネームにさまを付けて呼ばれるということは、いわゆる学園のマドンナというやつである。いくらマドンナという言葉が死語になろうとも、概念自体はこうして各所で生き延びていたりするもんだ。
そんな彼女がなぜ生徒会に所属していないにもかかわらず生徒会長に立候補したかというと、なんと浜野さん、現生徒会のシステムに不満があり、それを改革したいとのことである。
学園のマドンナの秘めたる野心に、はたして以前からのファンのどれだけが幻滅せずについてきてくれるのかはわからないが、彼女の挙げるわが生徒会のシステムや体質の不備というのはくやしいが確かに的を得ているし、明日からの選挙演説の結果次第では大きく票がなびく可能性がある。
……そう、選挙二週間前となる明日からは校内での選挙演説が解禁されるのだ。こうなってくるといよいよ選挙も本番という雰囲気。一番忙しくなる時期だ。
どうやら後ろから覗き込まれても気にせず作業できるタイプの人であるらしい今藤さんは、ちょうど今やっている作業が終わったらしく、大きく後ろに反って伸びをして、すると後ろから覗き込んでいたぼくと目が合う。
「よっし、じゃあ吉川、印刷所行こう」
軽く言った後、背を伸ばしたまま左右に体を曲げてぽきぽきと音を鳴らす。「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないから、荷物持ちに連れて行くんじゃない」
あ、そうか。校内選挙の周知ポスターの出来上がるのが今日だったらしい。
「何百枚刷ったんでしたっけあれ。一二〇枚?」
「そうそう」
久しぶりに信任投票でなく、鼎立した候補者から選ぶということで、毎年同じことをやるだけであった選挙管理委員会は、そもそもの選挙用紙を作り変え、ルールを明文化し、投票の義務を生徒に周知するところから始めなくてはならなかった。
ハンガーからブレザーをさっと取って、目でついてこいと促す今藤さんに慌ててついて行く。なにせ、この人なまじ背が高いし、足も(じろじろ見たことがあるわけではないにしろ)たぶん長いし、あと単純にせっかちなので歩くのが速いのだ。
「実際、勝てるんですかね」
右斜め前を歩く今藤さんの方を、ちょっとだけ見上げてぼくは話しかける。確かに、中村さんには前副生徒会長という肩書があるのだが、彼の知名度は著しく低い。
マニフェストの妥当性と言ったものより知名度、人気度で投票先が別れるんじゃないか……そんな懸念は常にあるし、そもそも中村さんにはそのマニフェストすらないのだ。
芦屋さんと浜野さんという強大な対立候補をどうやって崩していくか……これからの二週間の目下の懸案事項だ。
うーん、とちょっとあごに手を当てて考えて、今藤さんは答える。
「……姪美の方は、まだなんとかなると思う。あの子は結局、明確な目的があるというよりは、今のうちのやり方への批判がメインだから、そこを論破すればまだなんとかなりそう。ファンの子たちが妙な団結感で盛り上がっておかしな流れさえ作らなければ、の話だけど」
はあ、と嘆息する。今藤さん、浜野さんとは同じクラスで、親しい友達というわけではなくともそこそこの付き合いはあるらしいのだ。普段からクラスの男子たちの、浜野さんに対する扱いを見ていると、ノリですべてを決定しかねないこのころの年齢の危うさみたいなものを痛感するのだろう。
「じゃあ、芦屋先輩の方は?」
「ううう、それが問題なのよね……。知名度も人気も抜群、顔もよければ人当たりもいいし……あれだけ選挙向き、って人間もいないわね……」
「しかも、政策はほぼすべての体育会系部活動にウケそうですし」
彼のマニフェストは単純明快。スポーツ分野における海頴高校の業績の低さを改善するために、学校側からのサポートをもっと増やそうというものである。
「まあ、今のところは前評判だけだから、なんとも言えないけど。これからの二週間で姪美も芦屋君ももっと具体的なマニフェストを作ってくるでしょうし……。そしたらどれだけその穴をつつけるか、よね」
でも、作戦がないわけじゃないから。ぼくに話しかけるのと、独り言の中間くらいの声量で今藤さんが口にした。
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