4−3

「凪島さん、ちょっといいですか」

逆村さんへの報告を終えてソファーで休んでいたら、向かいに林田さんがやってきて腰掛けた。今日の服装はいつも通りゴスロリである。

「ん?何?」

「さっき襲われたばかりなのにこんなこと尋ねるのはどうかなって思ったんですけど……」

「いいよ、気にしないで」

「はい、気にしません」

林田さんはいつもこういう話し方をする人だというのをここ数日で理解した。

悪気はないらしいので受け流すのが正解だ。

「えっと、梶田さんが持っていた武器って、刃物だったんですよね?」

「うん、大きめのサバイバルナイフだったと思う」

「サバイバルナイフですか、包丁とかではなく」

「刃がギザギザになってたし、包丁ではないと思うよ。まぁ、ギザギザの刃をした包丁だった可能性は否定できないけど」

「カテゴリの話ではないんですよね。形なんですよ」

林田さんがわちゃわちゃと手を動かしている。手振りで包丁の形を再現しているつもりらしい。

「包丁がどうかしたの?」

「あー、包丁がどうかしたってわけじゃないんですけど、昨日ちょっとありまして」

なんだかキナ臭い予感がする。

「駅からの帰り道でですね、襲われたんですよ」

「は?」

「あ、いえ、別に怪我とかしたわけじゃないんです。むしろ相手の方が多分やばいですね」

「何があったか聞いてもいい?」

「いいですよ。むしろ愚痴らせてほしいくらいです」

というか、俺だけではなく色んな人に、特に警察の方々に話しておくべきことなのではないかと思われる。

「友達と遊んだ帰りだったんですけど、駅を出てからずっと尾けられている気配があったんです」

「ストーカー?」

「かもしれませんけど、昨日まではそんなことなかったんですよね。まぁとにかく尾けられてるなって思ったんで、いつもの帰り道と違う道に入ったんですよ」

「撒こうとしたんだね」

「いえ、人気のない場所に誘い込んで迎撃しようと思って」

何を考えてるんだこの子は。

「で、真っ暗な路地に入り込んだら途端に距離を詰められたんですよ。家まで尾行しようとかそういうんじゃなくて、最初から私を襲うつもりだったみたいですね」

そういう林田さんの口調は軽いが、相当危険な状況だったのではないだろうか。

「もう気配を隠すつもりはなかったみたいで、ものすごい勢いでこっちに走ってくる音がして、振り返ってみたら包丁を振り上げた黒尽くめの人が迫ってきてたんです。だからまぁ、それを避けて、脇腹に思いっきり蹴りを入れたんですよ」

「え、何してんの……」

「正当防衛ですよ。まぁ、今思えば逃げてもよかったんですけど、なんとなく返り討ちにしたいなぁって」

なんとなくで選べる行動ではないと思うのだが。

「全力で蹴ったんで、もしかしたら肋骨一本くらいは折ったかも。結局そいつには逃げられちゃったんですけど、襲われる心当たりなんてほとんどなかったんで、さっき話を聞いてもしかして梶田さんだったのかな、なんて思ったんですよ」

林田さんは大袈裟に考え込むような仕草をする。

「なんでまた」

「いや、根拠があるわけじゃないですよ。さっきまで全く考えもしませんでしたし。ただまぁ、こういう偶然ってそうそうあるもんじゃないよなって思ったんで」

「二つくらいなら偶然が重なることもあるんじゃない?」

「数字の根拠はなんですか?」

「マンガ」

「あてにならないですね」

林田さんはやれやれと首を振る。

「よくよく思い返してみれば、そもそも襲ってきたやつ、女だったような気がしなくもないです」

「性別すら違うじゃないか。なら、梶田さんの奥さんとか?」

「梶田さん以外には僕の顔は割れてないはずなんで、それはないと思います。あと、なんとなく淀みが憑いてたような……」

あの時すれ違った梶田さんの頭部には淀みの靄がかかっていたが、奥さんの方には何も見えなかった。もちろん、だからと言って淀みに憑かれていないと断言できるわけではないが、傍証になりはしない。

「夜道でよくわかったね。淀みが憑いてるって」

身も蓋もない話だが、淀みは黒い靄のように視認されるので、暗い場所だとよくわからないのだ。

「私、温度で感じるタイプなんで」

「あぁ、そういえばそんなこと言ってたね」

「なんかこう、既視感を覚えるような寒気だったんですよね。ずっとなんだろうなって考えてるんですけど、わかんなくて」

「デジャヴなら錯覚なんだし、考えてもわかんないのは仕方ないと思うけど」

「それもそうですねぇ」

「その話、逆村さんには早めにしておいた方がいいんじゃない?」

淀みに関係なくても話しておくべき事件ではあるが、淀みが絡んでいるとなればその重要度はかなり高くなる。

「えぇ、そう思ってはいるんですけど、さっき出てっちゃったんで」


キッチンでコーヒーを淹れていると、玄関のドアの開く音がした。足音が近付いてくる。逆村さんが帰ってきたのだろうか。

「あら」

そう思っていたのだが、どうやら違ったらしい。聞き覚えのない女性の声だった。

声の方へ顔を向けると、キッチンの入り口に、グレーのパンツスーツに白衣を羽織った見知らぬ女性が立っていた。毛先に軽くウェーブをかけたセミロングの髪が揺れている。

「もしかして、君が凪島くん?」

「え、あぁ、はい。そうです」

「初めまして、赤岡百合子です。一応、この事務所のスタッフ」

「あ、初めまして。そういえば、名前だけは逆村さんから伺ってました」

「最近こっちに来れてなかったからね」

逆村さんとの会話を思い出す。

「本業が別にあるってお聞きしましたけど」

「んー、別ってわけでもないんだけどね。この事務所でもカウンセラーとして仕事してるわけだし」

「カウンセラー、ですか」

「特調会の支部には必ず一人はカウンセラーが所属してるのよ。人が足りてないからいろんな支部を兼任してるのがほとんどだけど。君も誰かにお世話になったことない?」

「あるような、ないような……」

俺の適当な返事に赤岡さんは苦笑いを返す。

「あ、そうだ。赤岡さんもコーヒー飲みます?」

「えぇ、お願い。じゃぁ話はまたあとでね」

デスクまで戻ると、赤岡さんはデスクでタブレットを眺めていた。林田さんと赤岡さんの二人にコーヒーを配り、俺も席に着く。

赤岡さんはコーヒーを一口飲んだ後、ふぅ、と大きな溜息を吐いた。

「どうかしました?」

「ちょっと疲れ気味。仕事が立て込んでてね。今日もさっきまで新宿にいたんだけど、こっちがバタバタしそうだから居てほしいって言われて急いで来たのよ。そしたら逆村さんいないし」

「すぐ戻ってくると思いますよ。どこ行ったかは知らないですけど」

「まぁ、それは別にいいんだけどね」

背もたれに全力でもたれかかっていた赤岡さんが身を起こす。

「えっと、水川さん、凪島くんの先輩なんだっけ、その子のこと、一応聞いてるわ」

「あ、そうなんですか」

「その子自身は淀みのこと、まだ何も知らないのよね?」

「えぇ、そうだと思います。淀みが姿を現した時も気付いた素振りが特になかったので」

コンビニの前でもさきほどの商店街でも、水川先輩は自分の身体から湧き出たあの淀みをまるで認識していなかった。自身に取り憑いた淀みの影響であれだけの疲労に襲われはしたが、原因が何なのかはわかっていないようだった。

「……これは決定事項というわけじゃないのだけど、多分、近いうちに彼女には自分に憑いている淀みのことを伝えることになると思うわ」

思わぬ展開だった。

まだまだ調査を続けていく段階だと考えていたので、先輩をこちら側に巻き込むことなど想定していなかった。

「どういうことですか?」

「君がコンビニの前で見た光景。正直、それだけでもかなり危険な状態だと判断せざるを得ないのよ。ともすれば施設に強制収容って可能性もありうるくらいにね」

「それはさすがに過激なんじゃありませんか」

思わず声に怒気が入ってしまう。

「えぇ、そうね。最近の本部はちょっと神経過敏になってるから。だからこそ、私達のレベルで穏便に事を済ませたいのよ。その為には淀みに憑かれてるその子本人の協力が欠かせない。だから、彼女に自分の置かれている状況を知ってもらう必要がある。そういうこと」

それは確かに正論だった。

実際、今日の先輩の様子を考えればこのまま放っておくことが得策ではないのは明らかだ。先輩に取り憑いた淀みが人を死に至らしめ得る可能性を、俺は知ってしまったのだ。

「……淀みについて知らないままでいられるならその方がいい、というのはその通り。凪島くんが自分の先輩をなるべく面倒なことに巻き込みたくないと思う気持ちはとてもわかるわ。だけど、既にとても濃い淀みが取り憑いてしまっている以上、無関係ではいられない。それならば、伝えるべき情報はしっかり伝えて然るべきフォローが受けられる状況を作ってあげる。そういうことが大事だと思うの」

「どうしてそれを今俺に……?」

「機を見て君から話してもらうのが一番いいだろうっていうのが逆村さんと私の意見だからね」

「それは、そう、かもしれませんね」

いきなり現れた第三者が「あなたには良くないものが憑いている」と告げても不審がられるだけだろう。だからといって、俺が話せば無条件で信じてもらえるというわけでもないだろうが。

淀みについて信用してもらうには開示すべき情報が多い。自分が初めて淀みについて説明を受けた時のことを思い出し、あまりの面倒さに嫌になった。

呪いだのなんだの、そういったオカルトが半分くらいは本当に起きうることなのだと言われて、それをすぐに信じられる人間はそんなに多くない。

「今すぐってわけじゃないの。彼女の淀みについて集められる情報はなるべく集めておいた方がいいとは思ってる。でも、うかうかしてると本部に目を付けられかねないからあまり時間の猶予はないかもしれないわ」

「本部ってそんなに面倒なところなんですか」

色々な人の話を聞いていると、どうやら本部は嫌われているとまではいかなくても敬遠されているようだった。

「まぁ、色々としがらみが多くてね。何でもかんでも判断が保守的になるのはある意味仕方ない面もあるんだけど、ここ最近は態度が硬直化しててあまり良い状態とは言えないわ。本部も一枚岩じゃないから、中で苦労してる人がいっぱいいるのも知ってるんだけどね」

おかげでこっちも色々負担が増えて大変なのよ、と赤岡さんはぼやく。

「状況が整ったら君にも色々と頼むことになると思うから、気持ちの準備はしておいてね」

「……はい、わかりました」

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