4−4

二時間後、逆村さんが事務所に戻ってきた。

「あれ、赤岡さん、もう来てたんだ」

「あのね逆村さん、もうはないでしょう、もうは。呼ばれてすぐに飛んできたんですよ」

「え、あぁそうか、もうこんな時間か。ちょっと長く空けすぎちゃったね、ごめん」

「あ、所長、コーヒー飲みます?」

「そうだね、お願いするよ、林田さん」

「百合子さんと凪島さんは?」

「それじゃぁ私も」

「俺もよろしく」

四人分のカップをトレイに乗せて、林田さんがキッチンへと向かっていった。

「逆村さん、どこ行ってたんですか?ちょっと長かったですけど」

「警察。話をしてきたんだよ」

「え、うちに来るって話じゃなかったんですか」

「なんかね、梶田さんの他にも幾つか事件が起きてて人手が足らないんだって。だから尾道くん、あぁ、神野署の知り合いなんだけど、彼から頼まれてあっちまで話をしにいってたんだよ」

「梶田さん、だったっけ、その人の事件を尾道さんが担当するってことはやっぱり淀み絡みだったの?」

赤岡さんがそう尋ねる。

「いや、まだわからない。聞けるだけのことは聞いてきたんだけど、確定はしていないみたいだったよ」

その会話を聞いて、ふと疑問が湧いた。

「あの、淀みが関わっていたかどうかって、その、死んでしまった後でもわかるんですか?」

問い掛けに反応して返事をしてくれたのは赤岡さんだった。

「んー、わかるときもあるって答え方が正しいのかな。生前に強い淀みが憑いていた場合、その人が死んだ後も淀みが残っている例は幾つも報告されているの。命を落とした場所だったり遺体そのものだったり、残り方は様々だけどね」

「そうなんですね」

「地縛霊がいるって噂されるような心霊スポットの幾つかは、残された淀みが滞留している場所ってこともあるのよ」

「あぁ、じゃぁ、そういうとこでは見間違いとかじゃなくて実際に怪奇現象が起こっちゃってるわけですね……」

「えぇ。だから特調会としては色々苦労してるみたいよ。放っておくわけにはいかないけど、自分たちの土地じゃないから迂闊に手出しができないし、かといって立ち入り禁止にしても却って人を煽る結果になるし」

「うかうか足を踏み入れたら淀みにあてられて身体壊しちゃいそうですね」

「そうなると噂がさらに広まって余計に対処が面倒になっちゃう。ネガティブスパイラルね」

事件性に惹かれる人種は案外多い。

淀みに関する情報が広く一般に広まることはないが、心霊現象や怪奇現象の一種として淀みに纏わる事象の話は漏れ出ていくのだ。

さらに、淀みが絡むと単なる見間違いや空耳で事が済まなくなってしまい、噂の信憑性を底上げする結果になる。

特調会は、一見すると淀みに関係のなさそうな事についても活動の領域を広げているのだが、それらは結局、多くの人々が淀みというものを知らずに過ごしていることに起因する。

淀みの存在を知らなくとも、人々は常に淀みを傍らに日常を過ごしているのだ。

「リンちゃんなんかは調査名目で色んなスポットに足を延ばしているみたいだけど、あれ、半分、いえ、九割がた趣味よね」

「まぁ、レポートはもらってるから別にいいんだけどね」

赤岡さんが笑みを浮かべた呆れ顔で言葉をこぼし、逆村さんが応えた。

「あの、リンちゃんって誰です?」

「あぁ、林田さんよ」

「なるほど、林だから……」

「違うわよ。そうじゃなくて、彼女の昔の芸名なの。林田凛、聞いたことない?」

「いえ、聞いたことないです。ていうか芸名って、どういうことです?」

「凪島さんが知ってるわけないじゃないですか」

ちょうどコーヒーを淹れ終えて戻ってきた林田さんが、背後からそう言った。

「女性誌の読者モデルですよ?むしろ知ってたら引きますね」

「そうは言ってもそれ以上に有名だったじゃない」

「んー、まー、そーですね。色々面倒でしたけど」

林田さんが、ふぅ、と溜息を吐いた。

「でも、よかったら凪島さんもそう呼んでくれてもいいんですよ?」

「いや、遠慮しておくよ」

「つれない人ですねぇ」

距離感というのは大切なのだ。



結局その日、警察がうちの事務所に来ることはなかった。ひとまずは逆村さんが話してくれた内容で十分ということなのだろう。

「あぁそうだ、凪島くん」

帰り際、逆村さんに呼び止められる。

「水川さんの件、さっきも話したと思うけど、色々とよろしくね」

「……はい」

先輩に淀みのことを教える、という話だ。

あれから改めて逆村さんとも話をした。

その理由については赤岡さんが言っていた通りだったが、さらに、先輩が過去に巻き込まれた事件について、逆村さんが調べてわかったことを幾つか教えてもらっていたのだ。

先輩の家に火をつけたストーカー男。

その裁判の記録に、気になる供述があったという。

「彼は、家に火をつけたのは水川さんを殺すためだったと言っているんだけど、その時間、水川さんは家にいなかった」

「そうなんですね。だから、先輩は助かった……」

「深夜だったからね、もしも普段通りの生活をしていたらご両親と一緒に亡くなっていただろう」

「不幸中の幸い、ですね」

「あぁ、多分ね」

「多分?どういうことですか?」

少し言い淀むような口ぶりに違和感を覚えたので聞き返す。

そして、逆村さんの口から思わぬ言葉が吐き出された。

「少し気になっているんだよ。何故、それまで執拗に水川さんをストーキングしていた男がいざ決行という時に限って彼女の行動を把握していなかったのか、ってね」

「どういう、意味ですか」

「あぁ、いや、水川さんとストーカー男が共謀していたとかそういうことを言いたいんじゃないんだ。なんだか彼の供述には曖昧な箇所が多くてね、どうやら犯行当時の記憶をあまり覚えていないらしい。どうも、その間ずっと意識が朦朧としていたようなんだよ」

段々と、逆村さんの言わんとしている事がわかってきた。

「ということはもしかして、そいつは……」

「水川さんに取り憑いた淀みから何らかの干渉を受けていた可能性がある、ということだ。そうだとしたら、結果を見れば明らかなのようにその危険度は跳ね上がる。このまま放っておくのは得策ではない、ということになるだろうね」

人の行動に強く干渉するような淀みは、当然ながら放置することは出来ない。どれだけの被害を及ぼすかわからない上、本人に自覚が無ければ制御することもままならないからだ。

逆村さんと赤岡さん、この二人が調査を始めてそれほど時間が経っていないのにも関らずこの結論に至るのも無理はない。

「具体的な日時とかはこれから決めることになると思うけど、一応、それまでも水川さんの動向には注意していてほしい。色々と悩ましいとは思うけど、彼女自身のためでもある。よろしく頼むよ」

「……わかりました」

そろそろ、覚悟を決めなければならないということだろう。

淀みのことを知り、先輩がどんな反応をするのかはわからない。

ただ、先輩の性格であればそれほど面倒なことにはならないだろうという予感もある。

相手に隠し事をしながら接しているという後ろめたさが取り除かれるのなら、むしろ俺にとっても良いことなのかもしれない。


そんな配慮など、意味のないものだったのに。



自宅に着いてから先輩にメールを送った。

具合はどうですか、という簡潔なものだったが、返事はなかった。まぁ、あれだけ疲れていたのだ、まだ寝ているのだろう。

その時はそう思っていた。


返事が来たのは翌日の夕方、事務所で作業をしている時だった。

返ってきたメールの件名は「お久しぶり」。意味がわからない。

だが、メールを開き、俺の思考は更に停止する。


一枚の写真が添付されていた。


そこに映っていたのは、畳に横たわる裸身の女性。

その周囲に、赤い何かが散りばめられていた。

両腕が背中に回されている。後ろ手に縛られているのかもしれない。

猿轡を噛まされ、長い黒髪が無造作に広げられていた。

髪の毛に覆い隠された隙間から見える瞳は暗く、感情は読み取れない。

そもそも写真の解像度が粗く、顔がはっきりと見えないのだ。

ただ、写真に収められた部屋がどこなのか、俺は知っていた。

切り刻まれて赤い残骸の元の形を、俺は知っていた。

粗くてもわかる華奢な体躯が記憶を刺激する。

四畳半の部屋。

赤いジャージ。

何よりも、このメールの送信元が全てを物語っている。


ここに、映っているのは。

両腕を縛られ、猿轡を噛まされ、床に転がされているのは。


間違いなく、水川先輩だった。


そのことに気付いた瞬間、様々な思考が頭を駆け巡った。


警察を呼ぶか?

逆村さんや赤岡さん達の協力を仰ぐか?

そもそも俺はどうするべきなのか?


だが、メールの本文に目を向けた瞬間、それらの思考は全て吹き飛び、俺は駆け出していた。


これから料理します。


このたった一文が示唆するもののおぞましさに怖気が走る。

しかし、俺を一番に刺激したのはそこではなかった。

メール本文、その最後に記された署名。

それは、撒いたはずの過去が俺に追いついてきていたことを如実に語っていた。


大学時代、俺を巡って巻き起こったとある事件。

その事件の被害者であり加害者であり、その後も俺に付き纏っていた大学の後輩。


外山ゆかり。


彼女の名前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る