3−3

平日昼過ぎの神野町駅前は人通りがかなりまばらだ。商店街に入れば人も行き交うが、駅前広場はさっぱりとしたものである。

空白が鎮座する駅前広場、そこにある作者不詳の銅像の足下に俺はいた。

よく見ればどこかに作者なり銅像のタイトルなりが彫られているのだろうが、わざわざそんなことをする程の興味はない。


今、俺は水川先輩と待ち合わせをしている。これから一緒にラーメンを食べに行くのである。

昨日、水川先輩のケータイへメールを送り、少しだけやりとりをした。

アドレスは高校時代に教えてもらったものだったのでちゃんと送れるかどうか不安だったのだが、無事に届いた。

機種変更すらしていなかったのだから、メールアドレスを変更する機会などなかったのだろう。

用件は単純で、この辺りでオススメの店があったら教えて欲しいというものだった。

するとすぐに、駅近くにある小さな中華料理屋のラーメンが美味しい、と返事が来たので、ならば一緒に行きましょうと誘い出したのである。

オススメのお店を教えて欲しかったのは嘘ではない。ただ、水川先輩と話をする機会を作るべく行動したのも確かである。


遥先輩から話を聞いて以来、水川先輩の淀みに関する調査はあまり進んでいない。

放火事件があった時期の新聞やネットニュースなどを漁り傍証をかき集めはしたものの、新たな情報を得るには至っていない。どうやら林田さんが一度大学へ聞き込みに行ったようだが、遥先輩から得られた以上の情報は誰も持っていないようだった。

もちろん、ならば水川先輩から直接聞き出そうという魂胆でもない。どんな事態になるかわからないし、普通に考えてあんな事件のことをほじくり出すのは不躾な話だ。

あくまで、水川先輩の身にこれ以上何かおかしなことが起きていないかを探るためである。

淀みは不安定だ。

何がきっかけでよからぬことになるか予測がつかない。

逆村さんからも、可能な限り様子を伺っておいてくれと言われていた。

なんだか先輩を騙しているような気がして後ろめたい気持ちもそこはかとなく湧いてきているが、意識し過ぎると態度に出かねない。食事を楽しむことを一番に考えよう。

こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。顔はよく見えないが、赤いジャージを着ているのは遠目からでもわかる。


「お待たせ」

予想に違わずそれは水川先輩だった。

「いえ、さっき来たばかりなんで」

「だろうね。まだ十分前だから」

ケータイを開いて時間を確認している。

先輩が言う通り、俺はさっきここに着いたばかりだった。

「君がいつも十分前行動だったのを思い出してね。あまり待たせても悪いと思って早めに来てみたんだ」

高校時代のことだ。生徒会長と書記ということで、何かと一緒に行動する機会が多かった気がする。

「それじゃぁ行こうか。すぐそこだよ」

駅前広場から大通りに入ってすぐ、一本脇道に逸れた場所にその店はあった。チェーン店ではなく、どうやら個人経営の小さな中華料理屋らしい。

「お昼時だと混んでて入れないことが多くてね。私は時間に縛られる生活をしてないから、こうやってピークを避けて来るようにしてたんだ」

店先は少し雑然としていたが、店内は想像よりもかなり綺麗な見た目だった。料理の煙で壁が黄ばんだりなどもしておらず、かなり丁寧に手入れがされているように見える。

先輩が言っていたようにピークを過ぎているのか、客は数人しかいなかった。

「先輩はここよく来るんですか?」

「以前は週に一回くらいのペースで来てたかな。最近は来れてなかったけど」

「何かあったんですか?」

「いや、別に。ほら、遠出するのが億劫になる時期ってあるだろう?」

先輩の家があると思しきエリアから駅までの道のりは遠出というにはだいぶ誇張が過ぎると思うのだが、触れないでおくことにした。何事にも個人差というものがある。

「凪島くんから来たメールでね、ちょうどいい機会だと思ったからまた来ることにしたんだ」

店員がやって来たので注文をする。二人ともラーメン単品だ。

メニューにはただただラーメンとだけ書かれていて、スープの種類だとかそういったものは一切わからない。

「そういえば、凪島くんは時間大丈夫なのかい?今日は休み?」

「いや、仕事はありますよ。ただ、時間に融通が効くんで」

実際、先程まで事務所にいた。

いつどのタイミングで依頼人が来るかわからないので、事務所を空にすることは出来ない。だが、誰かが残ってさえいれば好きな時間に外出することは可能である。

今は逆村さんと林田さんが二人ともいるはずだ。

「そうか、それならよかった。君の都合を聞かずについつい自分の感覚で時間を決めちゃったからね」

昨日のメールのやり取りでは、俺が少し遠慮がちに誘いをかけたら先輩はあっさりと乗ってきて、日時の指定までしてくれた。さっきも言っていたように、ちょうどよいタイミングだったのだろう。


しばらくの間昔話も交えつつポツポツと話をしていると、先ほど頼んだラーメンがやってきたので、ひとまず食事に専念することにした。

「あ、おいしいなこれ」

鰹出汁の効いた醤油ベースのスープ。麺は細麺だがモチモチとしていて仄かに甘みを感じる。いわゆる定番の中華麺っぽさが程よく活きており、するすると食べやすいラーメンだ。

「だろう?さっぱりしてて好きなんだ。何度食べても飽きが来ない」

先輩の食べっぷりもなかなかだ。

さらに食事を進め、一息ついた頃に俺は話を切り出す。

「……今はほぼニートって言ってましたけど、どんな感じなんですか、そういう生活って」

この話題について踏み込むかどうかはかなり悩んだが、これまでの会話から、この程度ならきっと問題ないだろうと判断した。

先輩の手が止まり、こちらに視線が向けられる。特に険しい表情だったりはしていないので、多分、機嫌を損ねたりはしていない。

「そうだね。まぁ、どんな感じって言われてもあまり話すことはないかな。基本的に寝て起きて食べての繰り返しだから」

「……そうなんですか。暇、じゃないですか?」

「まぁ、暇といえば暇だね。本を読んだりはするけど、それだけだとやっぱり滅入る」

「そういえば、高校の時はかなり読書してましたよね」

思い返せば、先輩は暇を見つけては何かしら本を読んでいたような気がする。どんな種類のものだったかは知らないが、おそらく読書家と言える程度の量は摂取していたのではないだろうか。

ふと、先輩の目が曇った。

「あぁ、そうだったね……。まぁ、今はあの頃とはかなり違うタイプの本を読むようになったけど」

「へぇ。どんなんです?」

しかし先輩は俺の問いかけには答えず、麺を啜り始めてしまった。仕方ないので俺も食事を再開する。

しばらくして、再び先輩の顔が上げられた。どうやら食べ終えたらしい。

「ほぼニート、って言っただろう?」

先輩がそう話し始める。

「え、あぁ、はい」

「たまにだけど、仕事はしてたんだ。だから、ほぼ」

「あ、そうなんですか。どんな仕事してるんです?」

どこかでバイトでもしているのだろうか。

「インターネット経由でソフトウェア開発周りの仕事を時々請け負ってた」

「あぁ、あの、あれですね、クラウドなんちゃら……」

「クラウドソーシング」

「それです。最初から最後までネット経由で完結するんですか?」

「大規模な案件は請けないからね。ツールの開発や環境構築が主で保守もしないから、継続して関係を持つ必要もないし、色々と気楽に出来ていいよ」

「それなら先輩はニートじゃなくて普通にフリーランスのエンジニアじゃないですか?」

「本当にたまにしか仕事しなかったんだよ。生活をそれで支えてるわけでもないし、もう一年以上新しい案件に手を出してない。まぁ、単なる暇つぶしだね」

「そんなもんですか」

そんなもんだよ、と言った後、先輩は店員を呼んで杏仁豆腐を注文していた。ついでなので俺の分も追加してもらう。

生活費をどう賄っているのかは気になっているのだが、それを聞くのは流石にやりすぎだろう。両親が既に亡くなっているのを知っているがために疑問が湧いてくるわけだが、逆に、そこが地雷の可能性が高いということでもある。


「そういえば、凪島くんは今はどんな仕事を?」

会話の主題が自分になった。うっかりしていたが、当たり前の流れだ。

「あー、なんと言いますか、探偵業的なやつを……」

ぼかして答えるべきかどうか悩んだが、先輩のプライベートに踏み込んだ手前、嘘をつくのも不誠実だと思い正直に答えることにした。

俺の答えを聞いて先輩は目を丸くした。

「へぇ、君が探偵……。意外だな」

どういう意味だろうか。

「フリー?それともどこかの会社?」

「小さいですけど、探偵事務所です。以前からそこの所長とちょっとした縁があって、それでそろそろお金欲しいなって時に話をもらったんで、そこで働かせてもらうことに」

嘘はつかず、しかし情報量を少なめにした話し方。

「そういえば近くに一個探偵事務所あったね。そこ?」

どうやら逆村探偵事務所の存在を知っていたらしい。

「えぇ、多分それです」

隠す理由もないし、正直に答える。むしろ隠したりしたら怪しまれかねない。いっそ名刺でも渡してしまおうかと思ったが、まだ手元にないことを思い出した。

「もう何か大きな事件に巻き込まれたりはしたのかい?」

「いや、そういうんじゃないですからね。ミステリィじゃないんで」

「わかってる、冗談だよ。身辺調査とか人探しとか、そういうのだろう?」

「はい」

「最近はどんなことがあった?……って聞いても答えられないか」

「そうですね、守秘義務あるんで」

「残念」

「まぁ、かなりざっくりとした話なら出来なくもないですけど」

「へえ、どんな?」

俺は梶田さんの浮気調査の件をかなりぼかして話すことにした。

依頼人に関する情報は一切出さず、自分たちの調査方法や一般論をふんだんに交えて話せばなんとかなる。

先日、梶田さんの件も報告書を渡して一区切りついていた。一応、口頭でも調査結果を報告したのだが、相変わらず異様に静かで不気味に思えたほどである。離婚調停に強い弁護士の紹介もしてやれることは全部やったつもりなのだが、やはりこういう仕事は煮え切らない気持ちになるものらしい。

「……とまぁ、証拠掴むか期限になるかしたら報告書渡して調査は終わりですね。その後に少しアフターケアって感じです」

俺が話す間、先輩は杏仁豆腐をちまちまと口に運びながら興味深げに耳を傾けていた。

「なるほど。なんとなく知ってはいたけど、そういう調査ってやっぱり地道にやるしかないんだね」

「そうですね。なにしろ相手も隠そうと必死ですから」

「しかし、なんというか」

「なんですか?」

「仕事とはいえ、男女二人でラブホテルに入るっていうのは、すごいね……」

先輩の表情がすごく複雑な形になっている。しかめっ面を強引に引き延ばしたような、突っ張った表情だ。昔からこういう類の話題になるとこんな顔になっていたような気がする。

「場合によってはそうせざるを得ないですからね。周りの人に怪しまれたらどうしようもないので」

尾行している相手以外にも、ホテルの従業員など注意すべき対象は案外多いのだ。

そういう意味では、諸々の懸念を無視すれば男女二人で尾行するというのはむしろ合理的ではある。

しかし、よくよく考えれば林田さんがああいう性格だからこそ滞りなく事が進んだだけで、他の事務所などではそれなりに苦労しているところなのかもしれない。

「正直、意外だった」

しばらく杏仁豆腐に専念していた先輩だったが、ふと、そう声を漏らした。

「意外、ですか?」

「こう言ってしまうと失礼かもしれないけど、高校時代の君はあまり他人に興味を持っているようには見えなかったからね。だから、そんな君が探偵なんて仕事をしているのが不思議に思えたんだ」

「そんな風に見えてましたか、俺」

「人当たりが悪かったとかそう言っているわけじゃないんだ。ただ、凪島くんは他の人たちに比べて、他人の内側に踏み込もうとすることがほとんどなかったように見えた。親身に接することはあっても、他人の気持ちをどうこうしようとするタイプじゃないように、私には思えたんだ」

じわりと、昔の記憶が蘇ってくる。

「なんていうのかな、壁があるというと語弊があるな、自分と他人との間にきっちりと一線が引かれていて、決してそこを越えたりはしない。そんな感じかな」

実は、同じようなことを言われたことが過去に二度ある。

高校を卒業する直前と、大学に入学した直後、どちらも別の人からだ。

「だから、探偵っていう人の秘密を覗くような仕事を君がしていることに驚いた」

「そう、ですか……」

頭は記憶に埋め尽くされていて、返事はぼやけたものになっている。

一度目は拒絶。

二度目は受容。

異なる理由で同じことを言われ、当時の俺はどんな気持ちだっただろう。

もはや記憶は朧げで、はっきりと思い出すことはできない。

そして三度目の今、先輩はどんな意図で俺をそう評したのだろうか。

「気を悪くしたらすまない。別に悪い意味で言ったつもりじゃないんだ」

「いえ、大丈夫です。心配いりません。昔、麻生先輩にも同じこと言われてますし」

「あぁ……そうだったのか。確かに遥なら言いそうだな」

先輩は懐かしむような表情でそう口にする。

放火事件以来連絡は取っていないはずだが、やはり昔の関係の名残はあるのだろう。

おそらく、先輩が思い描いているであろう光景は、実際に俺が遥先輩からそう言われたシチュエーションとはまるで違っている。

だが、そのことについて水川先輩に話すつもりはない。これは、俺と遥先輩だけの話なのだ。

ほとんど手をつけていなかった杏仁豆腐を一気にかきこむ。

「いい時間ですね。そろそろ出ましょうか」

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