3−2

「つまらん」

三十分ほど尾けていた車がショッピングモールの駐車場に入っていくのを見たとき、林田さんが発した言葉だ。あからさまに不機嫌な顔をしている。

「ちょうどお昼時だし、ランチじゃない?」

「なるほど。まずは体力を確保してからということですか……」

俺はそれ以上この話題に乗るのをやめた。林田さんは事務所にいる時よりも言葉のブレーキが緩んでいるように思えるのだが、多分、気のせいではない。

俺たちの車も駐車場へ入っていく。

「尾けた方がいいよね?」

「でしょうね。これといって妙なことは起きないと思いますけど、一般論として、長時間目を離しておくのは避けた方がいいかもしれません」

どこの一般論だろうか。

「あと、お腹空いたんでついでに僕たちもお昼食べましょう」

「ショッピングモールで尾けながら食事って出来るのかなぁ」

「同じ店で食べればいいじゃないですか」

「はぁ?」

「僕たち顔バレしてないんで平気ですよ」

そういうもんなのだろうか。

林田さんはこの仕事を始めてもう何年も経っているみたいだしその経験を信頼してもよいのかもしれないが、どこか不安は拭えない。ゴスロリからスーツ姿に変わって見た目の仕事人らしさは強くなったのに、言動の適当さは逆に増加していた。

休日ゆえにショッピングモールの中は人でごった返している。

「なんか冷房少し強くないですか?」

林田さんが呟く。

まだ春先だがこの人混みだからだろうか、少し空調が効いているようだ。

「そう?ちょうどいいくらいだと思うけど」

「あぁ、男女の差ですね……」

「なるほど」

「しかしまぁ、あの人たちはどこ行くかと思ったらこんな大衆的な場所とは。あんだけおめかししたんだからもっといい場所行けばいいのに」

「ショッピングモールでのデートも悪くないと思うけど」

「カジュアルに楽しむなら、ですよ」


それからしばらく、奥さんの派手な服を目印に尾行を続けていた。普段の地味な服装だったら見失っていたかもしれない。

奥さんとその浮気相手は、ウィンドウショッピングもそこそこにパスタ屋に吸い込まれていった。ショッピングモールにはオープンな席を提供する店も幾つかあったのだが、二人が入った店は違っていた。そうでなければより安全に監視することができたのだが、こうなっては仕方がない。

林田さんの提案通り、俺たちも同じ店で食事を取ることにした。

「店を出るタイミングずらせないから、量の多いものは注文できないよ?」

俺がそう言うと林田さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「我慢、します……」

そんな辛そうな声を出さなくても。

店員に案内された席は幸いにして奥さんと距離は取りつつ視界にギリギリ収めるくらいはできるという位置だった。

彼女らはわいわいと歓談しているようだが、店内の雑音と距離のせいで何を話しているかは聞き取れない。

「二人の会話は聞かなくてもいいの?」

「どうせ大した話はしてませんからね。人目もありますし」

林田さんはメニューに目を向けたままである。

「なんというか、この件、少し扱いがぞんざいな気がするんだけど、気のせい?」

「凪島さんも報告書読みましたよね?書いてある通り、浮気はもう確定的なんですよ。浮気相手は奥さんが友人から紹介してもらった大学生。二人の関係は半年前からで、奥さんの方は旦那さんと離婚することもそろそろ視野に入れてるみたいです。この前カフェで会話を盗み聞きした時は、どうやって慰謝料ふんだくろうかなんて話をしてましたし」

「ひどい話だな……」

「一応、決定的な証拠を掴むまでは踏み込んだ内容を梶田さんには伝えないようにしてるんですけど、さすがに察してると思いますよ」

「……今のところ、梶田さんは大丈夫なの?」

「淀みですか?」

「うん」

「とりあえず、この前会ったときは落ち着いてましたよ。少し寒気がしましたけど、思い詰めたらどんな人でも引き寄せちゃう程度の濃さだったと思います」

林田さんは淀みを温度で感じ取るタイプだそうだ。淀みを視ることもできなくはないが、他の人よりもぼやけていて曖昧にしか映らないという。

その代わり、些細な変化を感じ取りやすく、特に人に淀みが取り憑く際の初期段階を感知するのが得意らしい。

「ちょっとしたきっかけで一気に膨れ上がるんで、油断はできないですけど」

「うちとしては穏便に事が済むよう全力でサポートするしかないか……」

この浮気調査は探偵事務所として受けた依頼だが、だからと言って淀みに関する問題の芽を無視するわけにはいかない。表立ってアプローチをかけられないのなら、策を弄してなんとか事を収めるのが自分たちの役目でもある。

「最終報告書渡した後は、優秀な弁護士さんを紹介するっていうのが次にやるべき事になりそうですね」


その後、滞りなく食事は終わった。

監視対象の二人はひたすら会話に励んでいたようで、俺たちの方が先に食事を終えてしまった。

店を出ると、ショッピングモールの奥の方がざわついていることに気が付いた。

「何か起きたのかな?」

「イベントでもやってるんじゃないですか?」

「警備員、走ってあっちに向かってるけど」

奥さんたちの後を追っていると、周囲の会話から情報が断片的に集まってきた。どうやら喧嘩沙汰があったらしい。

「元気ですねぇ」

「わざわざこんな場所でやらなくてもとは思うけど」

「デート中に痴話喧嘩でも起こしたんじゃないですか」

奥さんと浮気相手の二人もそのことに気付いたのか、ショッピングモールの途中で踵を返し、駐車場までストレートに戻っていった。結局、買い物などは一切していない。

「興を削がれたのかな」

「もともとご飯食べるだけで買い物とかするつもりなさそうでしたけど。ウィンドウショッピングおざなりでしたし」

「ランチだけならわざわざここじゃなくてもよかったんじゃないかなぁ」

思わずそう漏らすと、林田さんが反応する。

「あれですね。形だけでもデートをしたということにしたかったんでしょう。気持ちの問題です」

「どういうこと?」

「いきなりホテル直行ってなんか無粋でしょう?」

「あぁ……そういう……」

「アリバイ作りが終わったんでいよいよですね」


その後の経過は非常にスムーズだった。

駐車場から出発した彼女らの車は、五分もしないうちに少し離れた場所にあるラブホテルの駐車場に突入、俺たちの車もその後を追う。

駐車場はホテルの地下にあるため、外からはホテル入り口までを監視できない。

バレないように車間距離を取っていたせいで奥さんと浮気相手の二人がホテルへ入っていく光景を写真に収める事ができなかったので、出てくるところをしっかり抑えることにした。これは元々想定していたことである。

ホテル入り口と浮気相手の車、車内からその二方向に向けてそれぞれカメラを設置し、俺たちも怪しまれないようホテルへと入った。入り口に一番近い部屋から遠隔操作でカメラの映像を確認するのである。今どきはスマホアプリでこれができるのだから楽な時代だ、と逆村さんが以前ぼやいていた。

「眠いんで寝てていいですか」

室内に入って早々に林田さんがそんな事を言う。

「こんなにふわっふわなベッドで眠る機会なんてなかなかないんで」

「今仕事中」

「冗談ですよう」

さすがに今すぐということはないだろうが、奥さんたちがいつホテルを出るかわからない。ここの映像さえ撮れれば十分かもしれないが、可能ならここを出て以降の行動も追っておきたい。こちらもすぐに部屋を出れるようにしておく必要があるのだ。

「部屋がどこかわかれば隣から様子を窺うとかできたかもしれないですねー」

「さすがにそこまでする気はないよ……」

音声などが録れたらそれはある意味でより決定的な証拠になるのかもしれないが、必要性をあまり感じないし、できれば聴きたくない。

三時間後、ホテルから出てくる二人の姿をカメラが捉えた。その様子は問題なく録画出来ているので、これで今日の目的は達成されたといっていい。

「延長なしですか。そういや梶田さんが家に帰ってくる時間までもうそんなにないですね」

「移動時間考えると結構ギリギリだ」

「鉢合わせしたら面白いですねぇ」

「修羅場に居合わせたくはないな。ご勘弁願いたい」


結局、奥さんを乗せた車は家まで直行し、浮気相手と奥さんは家の前で別れた。

別れ際にキスまでしていたが、誰かに見られる可能性を考えなかったのだろうか。もちろん、この場面も撮影してある。

その後も駐車場から監視を続けていたが、梶田さんが帰ってくるまでは何事もなく時間が過ぎていった。

これまで手に入れた証拠で十分、もう得るものはないだろうということで、そこで監視は終わりとなった。

「しかしあぁも簡単に尻尾が掴めるとは思わなかったな」

帰り道、助手席で俺はそう呟いた。

「まさか、自宅の玄関先でキスまでするとはね」

「色々盛り上がって気持ちが昂ってたんじゃないですか。ベッドの上で上手いこと離婚に持ってく算段でもついて、気が緩んでるんでしょうよ」

「こっちとしては仕事が非常に順調に進んだわけだけど……」

「あまりにもあからさまなんで、梶田さんに報告するのちょっと躊躇いますね」

頭では覚悟を決めていても、いざ実際に証拠を突きつけられて浮気が確実なものとなると、やはり辛い気持ちになってしまうであろうことは想像に難くない。この頃は淡々としている梶田さんだが、今日の尾行で得られた情報をまとめて報告したらどんな反応が返ってくるのか、全く想像がつかなかった。

「あ、そうだ凪島さん」

しばらく経ってから、思い出したように林田さんが声をかけてきた。運転中なのでこちらを見てはいない。

「うん?」

何か気になることでもあったのだろうか。

「朝からですね、言おうか言うまいか悩んでたんですけど」

「うん」

何のことだろうと彼女の方に顔を向ける。相変わらず前を向いたままだったが、ふと、ハンドルから左手を離して自分の首元を指差す仕草をした。


「首元、キスマーク付いてますよ」

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