1−3
荷物を置いて部屋を出て、アパートの周りをぶらついていたらすぐ近くにコンビニを発見した。多分、これから何度もお世話になることだろう。
やはりというか、駐車場がやたらと広い。都会ではない場所にあるコンビニは、土地が余っているのか無駄に広い駐車場を備えていることがままある。自家用車が必須の地方ならまだしもこうした準都会でもそういった光景が見られるのはどういった理由からだろうか。
空っぽの駐車場を尻目に店内へ足を踏み入れると、馴染みのある音楽が流れ出す。
土地が広いだけあって、コンビニ店舗の大きさもよく見かけるものよりは広く出来ている。そのおかげか飲食可能な席が用意されていたので、サンドイッチと缶コーヒーを適当に選んでレジに向かった。
電気ポットもあったから、カップ麺でもよかったか。
道路に面した席だが、住宅街の中にあるせいか車通りはほとんどない。店内の放送が少しやかましいが、それを除けばのんびりとした空間だ。
コンビニで食事を摂るなんてことはこれまでの一年で何度も繰り返したきたことなのだが、今日の気分は今までのそれと違ってとても落ち着いている。
定住地を確保したことを、自分としてはそれほど重大なことだとは思っていなかったが、案外、自己認識以上に安心感をもたらしてくれているのかもしれない。
ぼんやりと窓の外に目をやりながら、サンドイッチをちまちまと頬張っていく。
やはりたまごサンドが最強だ。
ふと、人の気配がしたので何の気なしに振り向いた。
さっき買い物をしていた時は誰も見かけなかったから客は自分だけかと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
そこには電気ポットの傍らでカップ麺の包装を剥ぎ取っている赤いジャージ姿の女性がいた。
平日の昼過ぎのコンビニのイートイン、人通りの少ない時間帯とはいえ特段珍しい光景ではない。
ダボっとしたジャージの裾を地面に付かないように折り畳んでいるが、それが少々雑なのか踝がちらりと見えている。
腰まで届きそうな長髪はポニーテールになっているが、あまりまとまりがない。
本来ならばこうしてじろじろと眺めるのは良いことではない。そんなことはわかっているのだが、しかし、俺の視線は引きつけられて離れない。
どことなく見覚えのある立ち姿だった。
記憶の中にある凛々しい姿とはかなり異なる印象だが、つんとした横顔は昔のまま変わらずそこにある。
視線に気づいたのか彼女は振り向き、目が合った。
そして、俺は確信する。
名前を思い出すのに時間はいらなかった。
「水川先輩、ですよね?」
目の前にいたのは、俺の高校時代の一つ上の先輩で元生徒会長、水川一縷、その人だった。
俺が声をかけてからしばらく間があった。
彼女はきょとんとした表情でこちらを見つめながら、無言のままである。
さすがに人違いってことはないだろう。
多分、俺のことを覚えていないのだ。それは仕方ない。なにせ最後に会ったのは俺が高校三年のとき、つまり五年以上も前のことなのだから。
と、そんなことを考えていたら、彼女の口からは意外な言葉が帰ってきた。
「あぁ、凪島くんだったのか。さっきからそうなんじゃないかとは思っていたんだけど」
意外にも、水川先輩は俺のことを覚えていた。そのことに驚いていると、彼女は言葉を続ける。
「久しぶりだね。最後に会ったのは私が高校に講演させられに行ったときだったかな」
炎天下、効きの悪い冷房のせいでうだるような暑さの講堂の中、壇上で凛然と言葉を紡ぐ水川先輩の姿が記憶の中から掘り起こされた。
あの時の彼女の服装は、きっちりとしたパンツスーツだった。今のダボっとしたジャージ姿とはまるで正反対だ。
高校時代に水川先輩のプライベートを覗く機会なんてなかったから知ることはなかったけど、オンとオフの差が激しい人なのだろうか。
「そうですね、五年振りになりますか」
「そうか、そんなに前のことだったか……。時間が経つのは早いね」
水川先輩は懐かしむような口ぶりだが、表情はどこか色褪せている。
「遅めの昼食?」
続けて先輩は問い掛けてくる。
俺の手に持ったサンドイッチに気づいたのだろう。
「先輩もですか?」
「あぁ、気を抜くと、いつもこのくらいの時間になるんだ」
俺と話している間も、先輩の手はカップ麺の準備を淡々と続けていた。
お湯の入れられた容器を手に彼女はこちらへ向かってくる。
「隣、いいかな?」
「かまいませんよ」
隣というか、このコンビニのイートインは小さく席が二つしかない。二階に行けばもっと広い場所があるみたいだが、わざわざ階段を上るのは面倒だ。
席についた先輩がポケットから何かを取り出した。ちらりと目線をやると、それはいわゆるところのガラケーである。そして、記憶の奥にうっすらと見覚えのあるその機種は多分。
「あれ、そのケータイ、もしかして高校の時からずっと変えてないんですか?」
「ん?あぁ、これ?そうだよ」
先輩はポチポチとケータイを操作している。タイマーのセットでもしているのだろう。
「そうか、あまり意識したことはなかったが、随分と長いこと使っているんだな、これ」
「不便じゃないですか?」
「んー、特にそう感じたことはないかな。スマートフォンじゃなきゃできないことにあまり用がないんだ。こういうちょっとした機能ならこれにも備わってるしね」
そう言って先輩は画面をこちらに向けてくる。タイマーが三分のカウントダウンを始めたところだった。
「インターネットなんかも家でパソコンを使えば事が足りるからね。長いこと故障もせずに使えてきたからわざわざ変える必要にも駆られなかったんだな、きっと」
機種変更、自分の場合はどうだったかなと思い返してみたが、あまりいい思い出が出てこなかったので思考を打ち切った。
「先輩、今はこっちに住んでるんですか?」
ふと気になったので聞いてみることにした。そんな格好で外を出歩いているんだから十中八九そうに違いないとは思ったが、一応だ。
「ん?そうだよ。ここ、家の近くなんだ」
だから気の抜けたジャージ姿なんですね、とは言わない。
というか、このコンビニの近くに家があるということは俺の家ともそんなに離れていない。
「凪島くんはどうしたの?仕事?」
この聞き方から察するに、おそらく先輩は、俺がたまたまこの町にやってきたのだと思っている。そしてその途中でふらっと寄ったコンビニで自分と遭遇した、そう考えているのだろう。
「いや、実は今日神野町に引っ越してきたばかりなんですよ」
特に誤魔化す必要もないので素直に答えた。
この返事に驚いたのか、先輩はこちらを見たまま少しだけ目を見開く。
「まさか知り合いがいるとは思ってなかったんでびっくりしましたよ。俺の家もこの近くなんで、これからばったり出会すことがあるかもしれませんね」
「……あぁ、そうだね」
何の気なしに発言したつもりだったが、先輩の返事はどこかぎこちない。
「どうかしました?」
「いや、ちょっと考えごとをしてた。すまないね」
「?」
「しかしそうか、知り合いに遭遇するかもしれないなら、こんな気の抜けた姿で外を出歩くのは控えた方がいいかもしれないな」
自覚はあったのか。
「あー、まぁ、悪くはないんじゃないですか?」
「そうかな?」
「そうですよ」
良いとは言っていないけど。
記憶の中の先輩はいつもパリッとした制服姿だから、こういう意外な一面を垣間見ることが出来るのはなんだか新鮮で楽しいという気持ちがあるのは否定しない。
俺の返事を受けて、先輩はうぅんと言葉を漏らしながら自分の今の格好を見返している。
「でもまぁ、赤はちょっと目立ちすぎかもしれないな」
先輩がぽろりとこぼした。
いや、色の問題ではない。
「そういえば、先輩は今何をされてるんです?」
久しぶりの再会でどこまで聞いてよいものかちょっと悩んだが、先輩相手ならこの手の話題でも特に問題はないだろう。
先輩は俺の一つ上だから、就職しているかもしれないし、大学院に進んでいてまだ学生の可能性もある。
単なる興味本位で軽い気持ちで口にした質問だったのだが、しかし、先輩はこの問い掛けに対してすぐには答えを返してくれなかった。
ほんの少しだけ俯くようにして、先輩はじっとしている。また考えごとだろうか。
答えを急かすわけにもいかないので、俺はそのまま待つしかなかった。
「……ほとんどニートだよ」
そんな答えが返ってきたのはどれだけ時間が経ってからだろうか。
ぞわりとした感覚が背筋を這う。一瞬、周囲の温度が下がったような気がした。
先輩の声が冷たかったとか、言い回しが固かったとか、そういうわけではない。むしろ、あっけらかんとした雰囲気ですらある。
俺がその答えに驚いて返す言葉を選びあぐねていると、先輩のケータイが音を流し始めた。
何の変哲も無いベルの音。三分経ったのだ。
ケータイのアラームを止めながら先輩は口を開く。
「先にこっち処理していいかな?」
先輩の少しおどけたような口ぶりが、何かを隠そうとしていることを逆に強調していた。
「え、えぇ」
そう答えるしかなかった俺は、カップ麺を啜り始めた先輩の横で食べかけのサンドイッチの残りを処理することにした。
考えてみれば、そういう答えが返ってくる可能性は十分あったのだ。
平日の昼間に出歩いているからといって即ニートというわけではない。在宅だったり休日が不定期だったり、はたまた夜勤だったりと可能性は多々あるが、ニートという答えを押しのけるほどでもない。
多分、先輩に対する過去の印象がそういった可能性を頭から除けていたのだ。
そもそもニートだからといって何かおかしいわけでもない。今、俺が先輩の答えに動揺しているのもそんな答えが返ってくるはずがないと思い込んでいたからだろう。
きっと先輩のことだから、どこかの企業で優秀な社員として業績を上げているか研究者として実績を積み重ねているか、そんなところだろうと漠然と考えていたのだ。
何年も前の印象がそのまま今でも通用するとは限らない。
先輩が返事をするときの空気が少し重かったのは、きっとあまり聞かれたくないことだったからだろう。
サンドイッチを食べ終え、無遠慮な質問をしてしまったことを謝ろうとした。
しかし、先に口を開いたのは先輩だった。
「不躾なことを聞いてしまった、とか考えているだろう?」
ほんのりと諦念の混じった笑顔がこちらに向けられる。図星を突かれた俺はただ黙るしかなかった。
「気にしなくていいよ。もう何年もこんな生活をしているからね、悩めることは悩み尽くした。今はもうこの暮らしを満喫してる」
「……そう、ですか」
「まぁ、とはいえ昔の知り合いに話すのは初めてだったからね、ちょっとは躊躇した。答えあぐねていたのもそのせいだよ」
だから君が何か気にする必要はない。そう付け足して、先輩はカップ麺の残りを食べ始めた。
本人からそう言われたら従うしかない。俺は頭の中でもぞもぞとこねくり回していた言葉を放り投げ、缶コーヒーの残りをゆっくりと処理することにした。
それからはお互いに口を開くことはなく、ただ黙々と食事に時間を費やした。店内に流れるコンビニの放送も、時折訪れる車の走行音も、ただの雑音として耳の奥を通り過ぎていく。
ややこしいことから強引に意識を引き剥がした俺は、明日からの生活のことをぼんやりと考えることにした。
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