7 間奏曲、その二

 くぬぎとベイブリッジが見える埠頭までドライブをした夢を見て目が覚める。時計を見ると寝入ってから一時間半しか経っていない。睡眠時間は短いが、気分的に疲れがないので起きることにする。

 ベッドと斜交いの二人用ソファにでれっと坐り、まだベッドで眠っているくぬぎを見遣る。くぬぎの表情から眠る前に感じた負の感情がすっかり拭い去られている。ずっと眠り続けていても、おれが帰ってきたのがわかり、安心したのだろう。

 眠れ、眠れ、すやすやと。

 おれはくぬぎの幸せな眠りを念じつつ、ノートパソコンが置かれたテーブルをソファに引き寄せ、PCの電源を入れる。OSが立ち上がる時間にキッチン横の冷蔵庫から野菜ジュースを取り、戻る。

 PCを立ち上げたのはアルバムを見るため。が、メールも確認する。重要な案件は見当たらない。高校のクラスメートから結婚報告が届いている。式や披露宴の案内を貰った記憶がない。だから案内状は送られて来なかったのだろう。高校のときは目立たないヤツで送られて来た写真の幸せそうな表情の男も目立たない。が、その傍らで新郎の腕に抱きつき、はしゃいでいる背の低い新婦も同じように目立たないので、

「お似合いの夫婦じゃないか。お幸せに」

 声に出し、願う。

 メールついでにずっと電源を切っていたスマホを確認。祥子から、『今夜会えないかな』『ふふふ、話は聞いたぞ』の二件。香織さんから、『昨日はありがとう。ちゃんと出勤しました』という一件のメール。

 祥子からの一件目のメールを見ながらアルバムを開く。おれが携帯で写したくぬぎの写真が現れる。くぬぎはほとんど動けないので大部分の写真が部屋の中だ。ベッドで寝そべる、くぬぎ。ソファででれっとする、くぬぎ。テーブルに頬杖をついている、くぬぎ。壁に寄りかかっている、くぬぎ。出かける前にお洒落をしている、くぬぎ。洗濯バサミを持っている、くぬぎ。台所の丸椅子にちょこんと腰かけている、くぬぎ。ブラを付けた上半身だけの露な、くぬぎ。箒を持っている、くぬぎ。窓から洩れる日差しを浴び、眩しそうに目を細めている、くぬぎ。

 それらに比べれば数は少ないが、外出したときの写真も数葉ある。順を追えば、まず部屋の中で服を迷っている、くぬぎ。レンタカーの助手席に坐り、こちらを見ている、くぬぎ。慣れないシートベルトと格闘している、くぬぎ。渋滞した道路でレンタカーの窓を通しコンビニエンスストアが写り込んだ、その前景となっている、くぬぎ。ベイブリッジを背景に、にこやかに微笑んでいる、くぬぎ。砂浜に寝転んでいる、くぬぎ。口許を押さえ、欠伸をしている、くぬぎ。足首を海水にちゃぽんとつけている、くぬぎ。夕焼けを背景に仁王立ちをしている、くぬぎ。星空を胸いっぱいに捕まえようとしている、くぬぎ。帰りのレンタカーで疲れて果て、眠ってしまった、くぬぎ。マンションに帰り着き、おれに負んぶされた格好でエレベーターに乗っている、くぬぎ。この写真を撮るときには、どう写るかが液晶画面で確認できなかったから、携帯の広角レンズの向きを何度も変えながらシャッターを押した記憶がある。

 PCに収められた幾つもの写真は――もちろん本物のくぬぎの存在に優るはずはないが――おれの大切な宝物だ。


 蓄積した疲労から思わぬ事故を起こしてもつまらない。だからその日、おれとくぬぎは部屋でだらだらと過ごす。祥子と今夜会うかどうか、まだ結論を出していない。二件目のメールの詳細を見、おれが呆れる。祥子とすっかり意気投合したらしい睦美が、おれと自分の関係を祥子に話してしまったからだ。

『でも今は相性ぴったりの彼氏がいるので、ジンくんのことはどうでもいいらしいわよ。妬ける』

 それが結び。おれはただ呆れ返るばかり。

 睦美と寝たのは、くぬぎとの付き合い始め。どちらがどちらを誘ったのか、今となっては遠い記憶の彼方。とにかく味わい憶えたセックスという遊びが珍しく愉しく、誰とでも何度でも違った行為を試してみたいという同じ欲求の二人が出会っただけ。その相手が偶々睦美だったのだ。くぬぎは身体が弱いから種々の行為を愉しめない。そういう付き合いができないのだ。くぬぎとは心で繋がっている。当時も今も、おれには身体だけで繋がる何人もの女がいる。睦美が既におれを興味の対象から外したように、当時の睦美との関係は、おれの中でも過ぎ去った夏の出来事だ。が、おそらく睦美は気づいていない。今のおれに誘われれば、自分が決してノーと言わないことを。

 睦美は、そんな女。

 祥子は、そんな睦美の空っぽな本性が見抜けぬ幸福な女。

 結局その日は祥子の誘いを断り――さんざん文句は言われたが――くぬぎと二人で丸一日を過ごす。昼はベッドでゴロゴロし、夜は久し振りに心ゆくまで愛し合う。おれの心の中にはくぬぎしかいない。くぬぎの心の中にもおれだけしかいない。

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