5-3 知り合い(承前)
「あのー、ご一緒しても、よろしいでしょうか」
同席を求めるので、まずおれが答える。
「おれは構わないけど、けやきちゃんは、どう」
「あたしもいいけど、このことは会社に内緒ね」
「わかりました。口が裂けても漏らしません。ありがとうございます。では、ご一緒させていただきます」
仲谷睦美が早口でそう告げ、並んで腰かけていたおれたちの対面、祥子の向かい側に腰を下ろす。すかさず先ほどとは違うバイト店員が近寄り、呑み物の注文を待つ。仲谷睦美はチューハイをオーダー。
「ところでさ、仲谷さん」
「ん」
「どうしてここいいるわけ」
おれと祥子の二人が同時に訊く。
「ありがたいことに、さっき就職が決まったんですよ。契約社員ですけど」
「そんなこといったら、おれだって契約社員だぜ」
「あたしは一応正社員」
「ええとですね、会社で面接したときに持っていった書類に不備があって、『後日でいい』と言われたのですが、こちらも働いていないから暇でしょう。で、『これから持って行きます』と残業している営業所長さんのところに書類を持って行きました。そのとき、『取り敢えず、仮採用になりました。本社への連絡は明日以降になりますが』と聞かされ」
「それで」
「わたしが会社に行った時間と藤木くんと、えーと、お名前を知らないんでした」
「湯沢祥子でーす」
「湯沢さんたちが会社を退けた時間が大差なかったんでしょうね、帰りの電車で湯沢さんの姿を見かけました。わたし、今夜は特に予定もありませんし、帰る方向も一緒だったので悪戯心を起こして」
「仲谷さんって言ったわよね。あなた、度胸あるわね」
「偶々だったんですよ。前の会社が倒産してから今日まで過ごしてきた毎日の時間が焦燥と退屈の繰り返しで、どうにか、そこから抜け出したかったんだと思います」
「でも良くここまで来たわね。ジンくんは元カレ」
「じんくんって」
「あっ、そうか。ホラ、かえって面倒臭いじゃないの。符丁なのよ。わたしと裕太くんの。お互いの名前を変えておけば知り合いに会話を聞かれてもわからないって」
「なるほど、裕太らしい発想ですね。でも、わたしたち、そんな関係ではありません」
「友だちの彼女でしょ。それは、さっき聞いたわよ」
「ならば」
「でも、したんでしょ」
「えっ」
「だから、するわけないって。ねぇ、中谷さん」
「そう。うん。単なる仲の良い友だちですよ」
「今さ、一瞬顔色変わったわよ。『こいつ、そこまで話すか』ってね」
「……」
「まあ、あたしにとっては、どっちでもいいけどね」
テーブルに並べられた早出しの料理に祥子が箸をつける。
「仲谷さん、あなたも何か頼んだら」
「そいじゃ、ホレ、メニュー」
「ありがとう」
それから暫く、当たり障りのない会話が続く。その後、酔いが適度にまわると祥子がさっきの話を蒸し返し、
「そういえば、ジンくんの彼女って、どんな人」
おれではなく睦美に問う。
「どう、って聞かれても。そうですね、身体は強くなかったですね。しょっちゅう貧血起こしてたし、色も病的に白くて」
「美人だった」
「そりゃあもう、とびきり。美人薄命を地でいくような人でした、あっ」
「でも、別れちゃったんだ」
「それは、仕方がないことで」
睦美が心配そうにおれの顔を覗き込む。
「裕太、もう大丈夫」
畳みかけるように、そう訊ねる。だから少し苛々しながら、おれが答える。
「そりゃ、こうして、ここにいるくらいだからね」
「それって、もしかして」
またしても祥子の女の勘。
「その人、亡くなったわけ」
目を真ん丸に見開き、おれの顔を凝視する。うるうると揺れる瞳でおれに説明を求める。だから仕方なく、おれが経緯を口にする。
「そう、死んだよ。持病の方じゃなく交通事故で。本当にあっけなかったな。つい昨日までそこにいて、日差しを浴びながら薄く笑っていたのに次の日にはもうそこにはいない。木の箱の中にいる。数日したら白い煙になって永遠にこの世から去ている」
「あたし、悪いこと訊いちゃったわね。ゴメン」
「いや、だからさ、大丈夫だって。もう思い出だよ。それだけのこと。けやきちゃんは悪くないし、仲谷さんも悪くない。もう過ぎたこと。済んだこと。戻ってこないだけのこと」
過去の不幸の当事者であるおれが話を終わらせようとすれば、祥子も睦美も従うしかない。もしかして、香織さんだったら違うかもしれないが。
「さあさあ、呑も呑も。いいじゃないの。浮世の人は浮世のことだけ考えてれば。『沈香も焚かず屁もひらず』が一番」
「それ、どういう意味」
「特に良くも悪くもなく、平々凡々ってことの喩えですよ」
祥子の質問に睦美が答え、やがて座の空気が戻る。が、暫く経ってからの祥子の質問が悪い。
「でもさ、ゴメン。これだけは訊いておきたいんだけど、彼女の名前は」
祥子の問いかけにおれが答え倦ねていると平然とした口調態度で睦美が言う。
「小尾橡(おび・くぬぎ)さん。そういえば、あんな腺の細そうな顔をしてカブトムシとかクワガタムシとかを平気で手で掴んだわね。名前の力だったのかしら」
橡の思い出を語り、不意に思い至ったかのように、『ああ、それで』という顔をおれに向ける。が、睦美は自分が気づいた内容を言葉に変えることはない。
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