4 間奏曲

「えーっ、いまから帰るの。相変わらず元気ねぇ……」

 香織さんが布団からごそごそと這いずり出し、帰り支度を始めたおれに眠たげに声をかける。

「一緒に出勤して面倒なことになるのはイヤですから」

「だーれが、わたしたちのことなんか気にするかい。それに明日は出勤日じゃないよ」

 結局、求められるまま身体を重ねているうち、疲労し切って眠ってしまったらしい。ハタと気づいたときには午前三時過ぎ。

「いいじゃないですか。おれの自由でしょ」

「まあ、構わないけどね。ご苦労さん」

 そう言い、ゴロンと横になると香織さんはすぐに眠ってしまったようだ。深夜の空気に香織さんの立てる規則正しい寝息が溶け込む。 引越しの際に渡された合鍵でドアに鍵をかけ、アパートの一部コンクリート補強された階段を下る。

 さて、どうしよう。

 祥子のように偶然ではなく、香織さんのアパートはおれのワンルームマンションの徒歩圏内にある。それを見越し、引っ越したわけだが、それでも歩けば優に三十分はかかる。昨夜のように丁度良い自転車があるはずもなく、仕方なく覚悟を決め。おれが歩き始めると。

 にゃううんん

 向かいの家の軒先に一匹の斑猫がいる。深夜で人通りのない区画にひょっこり現れたおれを訝しみ、醒めた瞳でおれを凝視する。何か餌でもないかとズボンのポケットを探るが、そんなもの、あろうはずもない。暫く一人と一匹が睨み合っているうち、何を思ったか、斑猫がおれの方に近づいて来る。軒伝いにコンクリートブロックに飛び移り、そこでずるりだらりと身を蠢かしてから、ひょいとおれの肩に飛び乗る。ついで両手で横からおれの頭に張りつき、爪を引っ込めた指でカシカシカジカジと弄る。理由は知らないが、おれは猫に好かれる体質だ。ついでに言えば犬もそう。猫ほどではないが。また猫にしても、ここまで懐かれるのは珍しい。だから暫くするがまま放っておいたが、さすがに獣臭くなってきたので両手で脇から抱き抱え、そのままコンクリートブロックの上に戻す。すると忽ちブロックを駆け降り、斑猫がその場から消える。少し経ち、にゃおおおん、と鳴く猫の声が闇に響く。

 それから相応の時間をかけ、くぬぎのいる部屋におれが帰り着く。疲れは残っていたが、眠気は飛んでしまったので二人用ソファにでれっと坐り、途中のコンビニで買った箱牛乳をストローで啜う。夜が明けるまでには、まだ時間がある。

 部屋の中は暗かったが、それでもカーテン隙間から月明かりが洩れ、真っ暗というわけでもない。薄い闇の中に浮かび上がるくぬぎの顔をぼんやりと見つめ、芯がしびれたような頭で何を考えるでもなくぼおーっとしていると時間感覚がどこまでもずれていくようだ。

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