だってこれは、“ゲーム”だもん

「待ってたよ! お兄ちゃん!」


 ドアを開けた途端、そんな声がした。

 台詞の内容の通り、声の主は、妹だ。

 でも、“本物”じゃない。

 偽物の妹の声だ。


 病室の壁と天井は、その半分が無くなっている。

 核爆弾が病棟を激しく抉り、ここだけが奇跡的に残ったから、こうなっているのだろう。

 窓が無くても、開けた空が見渡せる。

 でもここから見える空は、灰色だ。

 そんな病室の真ん中には妹がいて、妹はポットの上に胡坐をかいて座っている。

 そのポットには見覚えがある。

 俺に妹が当選した、あの日に見たもの。

 つまりシルバーの塗装が施された、この妹の入れ物だ。


「よくここがわかったね。お兄ちゃん」


 妹は言った。「でもまあ、私が答えを言ったみたいなもんだから、当然か」

「何が狙いだ?」


 妹とは久しぶりの再会。

 実に数か月ぶり。

 だが、挨拶も前置きもしない。

 そんな必要なんて、ないから。


「もう! 久しぶりに会ったのに、冷たくない? キスはさすがにハードルが高いとしても、ハグくらいしてもいいんじゃない?」

「黙れ!」


 俺は叫んだ。


「お前のせいで、オカンが死んだ……! オカンだけじゃない! タケシも……チエちゃんも……大勢の人もだ!」


 すると妹はニヤリと笑い、


「知ってるよ。お兄ちゃん」


 と言った。


「バカにしてるのか!」

「バカになんか、してないよ。お兄ちゃん。何度も言うけど、これは“みんなが望んだこと”なんだよ。だからここで繰り広げられる死は、犠牲ではなく、必然。つまり、然るべくして起きたこと」

「みんな望んで死んだと思ってるのかよ!」

「望んだんだよ。少なくとも、こういう場所プラットフォームをね」

「人類の滅亡なんて、誰が望んだ!」

「望んでる人間なんて、たくさんいたよ。だって、この世界をクソだと思っている人々は数えきれないほどいた。お兄ちゃんだって、一度は思ったことがあるんじゃない? この世界が、終わってしまえばいいって」

「あったとしても、それは刹那的な感情だ! 本気で思ったわけじゃない!」

「どうかな? どちらにせよ、この世界に幸福を感じていた人はほんの一握りで、不満や生きづらさを抱えていた人の方が圧倒的に多かった。違う? だから私は提供した。抑圧された暴力を発散できる場所プラットフォームを」

「だったら、みんなが幸せになれる世界を作ればいいだろ! 量子Wi-Fiの土台を作った、お前のその凄い脳ミソを使って、考えればいいだろ!」

「考えた結果が、これだよ。お兄ちゃん。みんな、これから幸せになれるんだから」

「どういう、ことだよ?」

「そのうちわかるよ、お兄ちゃん」


 ダメだ。

 何を言っても無駄だ。

 まるで話が噛みあわない。

 それとも、俺の思考回路が幼稚すぎて、妹について行けてないのか?

 所詮、俺のコミュニケーションは、チンパンジーのジェスチャーだから。

 でも、俺が妹に伝えなくちゃいけないことは、これだけだ。

 チンパンジーのジェスチャーでも伝えられる。


「早く止めるんだ。この状況を」


 俺は言った。「〈レオ〉も〈ガルディア〉も、そしてお前が掌握している軍事システムを、全部手放せ。そして人類を救え」


 しかし妹の返事は、相変わらずこうだ。


「ヤダよ。お兄ちゃん」


 それから妹はシルバーのポットから降りる。

 次にポットのある部分に触れる。

 ポットからピピピと音がする。


「ねえ、お兄ちゃんにもう一度、選択のチャンスをあげる。私を選ぶか? それとも、死ぬか?」


 ポットはブーンという音を立てながら、ハッチがゆっくりと開き始める。

 あのときと同じだ。

 妹が当選した、あの日と。

 しかし、あの日と違うことが、一つだけある。

 それは、ポットの中に入っているのが、偽物の妹ではなく、“本物の妹”だということ。


 “本物の妹”は、生きていた。


 でも“本物の妹”は相変わらず植物状態で、目も開かなければ、動きもしない。

 そんな“本物の妹”を、偽物の妹は抱きかかえ、上半身を起こす。

 “本物の妹”の首には、乱暴に絆創膏が何重にも貼られている。


「“あのとき”のお兄ちゃんったら、私が“これ”の喉を斬る仕草をしただけで、気絶しちゃったんだよ。もう、ビビりなんだから。だから仕方なく、私は“これ”をポットに保管した。しかもポットは頑丈で紫外線も防げるから、爆心地でも安全に保管できる」

「何が……したいんだ……ハヅキ」


 すると妹の片方の瞳が、赤く光り出す。

 観覧車のときと、そして以前この病院で起こったときと、同じように。


「今の私は、世界中の核発射システムとリンクしている」


 妹は言った。「だから私が望めば、“このゲーム”は終わり、人類は一瞬で蒸発して消える」

「そんなことはさせない!」

「じゃあ、選んで。お兄ちゃん」


 妹は俺に微笑みかける。


「お兄ちゃんを含めた人類を一瞬で滅亡させるか? それとも、お兄ちゃんがいま持っている銃で“これ”を処分して、私と一緒に暮らすか?」

「お前が世界中で核ミサイルを落としたら、お前だって死ぬぞ」

「大丈夫だよ。私は何度もやり直せる。だってこれは、“ゲーム”だもん」


 俺の口から、もはや溜息も出ない。

 妹が、何を言っているのかわからない。

 これは現実だ。ゲームのわけがない。


「“これ”はボーナスチャンスのターゲット。“これ”を殺せば、もれなく無敵の“チート”が付いてくる。でもお兄ちゃんには既に“チート”が適用されているから、“これ”を殺したら、お兄ちゃんには〈特別オプション〉を用意してあげる」

「そんなものはいらない。早くこの状況を終わらせろ」


 俺は再度忠告するも、妹は聞く耳を持たない。

 むしろ、呆れた、という具合に肩をすくめる。


「ホント、お兄ちゃんっていつも強情だよね。でも、選択の余地はないと思うよ。だってお兄ちゃん、〈特別オプション〉は無人島だよ。そこに行けば、誰もいない。もちろん、〈レオ〉も〈ガルディア〉もいない。見たくもない戦闘や命の危機から遠ざかり、そこで私と一緒に静かに暮らせるの」

「ふざけんなよ!」

「ふざけてなんかないよ、お兄ちゃん。そこは快適そのもの。今みたいにお兄ちゃんを狙う者はいなくなるし、ドローンが生活に必要なものを全部持ってきてくれる。人間が居なくたって、機械は遠い場所で必要なものを必要なだけ生産してくれるしね。そして何も遮る物が無く、太陽を思う存分浴びながら、私たちは思いっきりエッチするの! サイコーに気持ちいいよ! きっと! そうなれば、私はめでたくゲームクリア!」


 何が、どう間違って、こんなことになってしまったのだろうか?

 俺にはわからない。

 “本物の妹”が自殺して、俺に偽物の妹が当選して、その妹がゲームだと言って人類を滅ぼしかけている。

 なぜこんなことになってしまったのか?

 俺は自分の持っている全ての記憶をひっくり返しても、その答えを導き出すことはできない。

 たとえ答えが出てきたとしても、ここまで来たら、もう遅い。

 取り返しのつかないところまで、俺は、人類は、来てしまっているんだ。

 だから、俺は銃を向けた。

 しかし、銃を向けたのは、“本物の妹”じゃない。


 ――偽物の妹にだ。


 俺は偽物の妹に銃を向ける。

 そして終わりにしようと思う。

 この偽物の妹を処分して、生き残った誰かが軍事システムを正常化できれば、人類は助かるだろう。

 希望は、まだあるんだ。

 俺はトリガーにかかる指に力を籠める。

 そんな俺を、妹は酷く残念そうな表情で見つめている。

 怯えている様子とは違う。

 むしろ恐怖を感じているようには見えない。

 それよりも、せっかくこれまで積み重ねてきたのに、それが台無しになる、といった感情が読み取れる。

 でも、またやり直せばいいか、なんて余裕も見え隠れしている。

 ゲームに負けても、またやり直せばいいと言いたげな表情。

 妹がどういう方法でやり直すのかは知らない。

 世界のどこかで、また妹そっくりのアンドロイドが作られて、俺に贈られてくるのか?

 知らねーが、やってみろ。何度も同じことをな。

 その度に俺は、おまえをぶっ壊してやる。


 それだけだ。


 そして俺は、銃のトリガーを引こうとしたのだが――


 ――俺より先に、銃を放つ者がいた。


 銃声は俺の背中から聞こえた。

 しかも放たれた銃弾は、

 俺でもなく――

 偽物の妹でもなく――


 ――“本物の妹”に向かった。


 そして銃弾は、“本物の妹”の額を、一瞬にして貫く。

 俺はその光景を、ただ茫然と眺めることしかできない。

 誰がこんなことをしやがった!


「ケケケ……」


 後ろで不気味な笑い声がした。

 俺は振り返る。

 この不気味な笑い……その正体を、俺は知っている。


「やっと会えたな、ハヅキ。ケケケ……」


 そいつは黄色いパーカーを着て、顔の下半分をフェイスマスクで隠した男。

 ついこの前、オカンを殺した集団の生き残り――


 ――ハヅキストだ。


「会いたかったぜ! ハヅキ!」


 そう言ってハヅキストは病室に入り、妹の方へと歩み寄る。

 片足を撃たれているのか、その足取りはヨロヨロしていておぼつかない。


「聞いてたぜ、ハヅキ! 無人島で一緒に暮らせんだろ? だったら俺と暮らそうぜ! こんなポンコツお兄ちゃんの腐ったDNAを後世に残すより、俺と交わり、優秀な子孫を残すんだ! それはまさに俺の目指してた楽園エデンだ! なあハヅキ、俺と一緒にエデンを作ろう! ケケケ」


 しかし妹はハヅキストに全く聞く耳をもたず、深い溜息をもらした。

 そして“本物の妹”だった体を、要らなくなったモノのように、乱暴に押し倒してしまう。

 一方、ハヅキストは俺に銃を向ける。

 俺もハヅキストに銃を向ける。

 ところが――


 ――銃声。


 撃ったのは、ハヅキストだ。

 だが俺は寸前で体を逸らせる。

 でも遅い。

 銃弾は俺の体に命中する。

 喰らったのは左肩だ。

 そのせいで俺は倒れ、思わず銃も手放してしまう。

 俺の体も、持っていた銃も、床に転がる。

 だが銃は手を伸ばせば届く距離にある。

 だから俺は銃を取るべく、手を伸ばすのだが、


 ハヅキストは銃を蹴り飛ばしてしまう。

 さらに――


 ――また銃声。


 今度は俺の右太ももを撃ち抜かれる。

 さすがに、俺は悲鳴を上げた。

 そんな俺に、ハヅキストが片足を引きずりながら歩み寄ってくる。

 そして俺の傍に立ち止まり、俺を見下ろす。

 まるで死にかけの野良犬を見下ろすような、蔑んだ視線。


「あとは、お前を殺せばいい」


 そう言いながら、ハヅキストは目だけが笑い、俺に銃を向ける。


「そうすれば、ダブルスコアで〈特別オプション〉をゲット! そうだろ? ハヅキ」


 ハヅキストの問いかけに、妹がどんな反応を見せたかは知らない。

 知る前に、俺の人生は、ここで終わる。

 残念だが、ここまでだ。

 だが、怒りだけは、“本物の妹”が殺された怒りだけは、鎮めることができない。

 やがて怒りは俺の細胞一つひとつにまで浸透し、俺の体を、思考をも支配する。

 だから俺は、最期の反乱に出る。

 そして思いっきり、俺は銃を突きつけるハヅキストを睨む。

 しかし、そんな俺に畏怖する様子は、ハヅキストには皆無だ。

 よってハヅキストは、何の躊躇いもなく、俺に向かって銃を放つ。

 俺に止めを刺すために。


 ――乾いた銃声が、鳴った。

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