エデン

 銃弾が、オカンの胸を、貫いた。


 オカンの体が一瞬のうちに脱力し、十字の交差点の真ん中で崩れる。

 俺は状況を理解できない。

 いや、理解できているのだが、それを受け入れたくはない。

 オカンが撃たれてしまった、という事実を。

 しかし、周囲を見渡す限り、誰かが発砲した様子はない。

 じゃあ、誰が?


「ケケケ」


 また黄色いパーカーを着た男が笑う。

 そして、またこんなことを言った。


「言っただろ。目の前に映っているものだけが、現実だと思うなって」


 そこで、ようやく俺は理解した。

 それは、こういうことだ。


 ――スナイパーがいる。


 スナイパーがどこかに身を潜めている。

 しかしそれがどこかはわからない。

 この辺りは半壊した住宅地。

 ジェイソン・ボーンでもない俺は、どこがスナイピング・ポジションとして優れているのかがわからない。


 俺は見下ろす。


 地面にはオカンが仰向けに倒れている。

 しかし、死んでいることはすぐにわかる。

 頭が撃ち抜かれている。

 そして両腕を大きく広げながら、瞳が大きく開いている。

 そして血が、オカンの頭から地面に広がり、やがて俺の足の裏を濡らす。

 それを見て、俺は言葉を失う。

 脚が震える。


「さあ、次は“お兄ちゃん”……お前の番だ」


 黄色いパーカーの男が言った。

 それから俺に銃を向ける。

 具体的な銃のモデルはわからないが、銃口の下にレーザーサイトが付いたハンドガンだ。

 レーザーサイトから放たれた赤外線が、アリが休憩しているかのように、俺の額に留まっているのだろう。


 俺の敗北は、完全に決定している。


 ボーナスチャンスの新しいターゲットであるオカンがハヅキストのスナイパーに殺されてしまった以上、ハヅキストに“チート”を得た奴がいる。

 であれば、ここで俺が自殺しようが、しまいが、あそこにいる〈レオ〉と〈ガルディア〉をハヅキストは制御できるわけだ。

 だから俺が自殺をほのめかしても、ハヅキストを制することができないわけで――


「死ぬ前に、ひとつ、いいことを教えてやろう」


 何の前触れもなく、黄色いパーカーの男は言った。

 何だ?と聞く前に、そいつは話し始める。


「俺たちはな、この“力”を使って、ハヅキを手に入れるんだ。

 俺たちはお前らから得たこの“力”を使って、この腐った世界を生き残り、そしてこの腐った世界のどこかにいるハヅキを探し出し、手に入れる。

 それから毎日ハヅキを犯し、ハヅキを孕ませ、俺たちの子供を何人も産ませるんだ。

 どうだ? 最高だろ?

 俺たちをシカトし続けたお礼だよ。

 でもな、これにはもっと深い“意義”がある。

 それは人類の再生だ。

 この世界には70億以上の人間がいる……いや……いた。

 でも、どうだ?

 70億以上の人間のうち、使える人間はどれだけいた?

 そのほとんどが、頭の悪いクズばっかで、使い物にならねーだろ。

 1%の人間が99%の人間を支配していた世界だ。

 しかし、これじゃあ効率が悪い。

 1%の人間が99%の人間に10の指示を出したとしても、99%の人間は、6か、せいぜい7くらいの精度の期待にしか応えられない。

 だから人類をもっと効率的に進化させるには――人類をもっと底上げするには、もっと頭のいい奴を増やさなければならない。

 クズは、もういらない。

 だから俺たちは〈アダム〉、ハヅキは〈イヴ〉となって、優れた遺伝子だけを残し、繁殖し、新たな楽園エデンを作る!

 そして人類を然るべき道に導くべく、再出発を図るのさ!

 これがこのゲームの真意さ!

 つまり人類の再生プロジェクト!

 ゴミと化した人間を一掃し、新しい再出発を図る!

 それがハヅキの目的だ!

 そのためであれば、ハヅキも喜んで子宮を俺たちに提供するさ!

 そして俺たちはそれに応える!

 ハヅキとセックスする!

 ハヅキを何度もイカすんだ!」


 それからだ。

 黄色いパーカーの男は、大声で笑った。

 そしてまた、奴の笑いが感染したかのように、周りのハヅキストに笑いが感染していった。


「言いたいのは、それだけか?」


 俺は言った。


「あん? 何か言ったか?」


 黄色いパーカーの男が俺を睨む。

 何度でも言ってやる。「言いたいのは、それだけか?」


「んだと! てめえ!」


 黄色いパーカーの男は俺を撃った。

 しかし、銃弾は俺には命中せず、明後日の方向に飛んでいった。


「どうした?」


 俺は挑発する。「俺を殺すのが、怖いか?」


 小学校で会ったチュウボウの台詞を思い出す。


 ――普通の人間はな、同族を殺すことに心理的抵抗感を覚えるんだ。それが邪魔して、人は人を殺すことを躊躇うんだよ――


 つまりお前は――黄色いパーカーを着た男は、その本能に縛れ、俺を殺すことができないんだ。

 だから所詮、お前は俺から遠く離れたスナイパーを――俺の死からできる限り離れた奴を頼らないと、俺を殺せないんだ。違うか?


「チキン野郎が! 早く俺を殺して見せろよ!」


 俺は叫んだ。

 と同時に、俺の中で怒りが爆発した。

 母親を失った怒り。

 それだけじゃない。

 タケシを失った怒り。

 チエちゃんを失った怒り。

 そしてこんなクソッタレな状況をもたらした張本人、俺の妹への怒り。

 さらにそんなどうしようもない妹を下らない理想のために利用しようとしているハヅキストへの怒り。

 それら全ての怒りが、俺の胃から沸きあがって収まらない。

 だから、


「ふざけんなよ!」


 胃に溜まった怒りを吐き出すように、俺はまた叫ぶ。

 するとどうだ?

 ハヅキストたちはビビってる。

 でも、それは俺にビビってるわけじゃない。

 俺がキレて叫んだところで、奴らがビビるわけがない。


 奴らがビビってるのは、突然動き出した〈レオ〉と〈ガルディア〉だ。


 俺がいるにもかかわらず、なぜ〈レオ〉と〈ガルディア〉が動き始めたのかはわからない。

 俺の怒りがシンクロした?

 どうだろうか。

 でも、現に俺の怒りを体現するように、なんと〈レオ〉と〈ガルディア〉はハヅキストたちに攻撃を開始した。

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