取引だ
罠にかかったんだ。
まるで人間の掬い網漁だ。
360度、どこを見渡しても網目が窓を覆い、眼下には半壊した廃墟が広がっている。
吊り上げられた高さは、だいたい10メートルくらいだろうか?
両脇に2本ずつ、計4本の電信柱を使って網を支えているようだ。
俺はパニックだ。
だって逃げられない。
ドアを開けて身を乗り出しても、網目に俺の体が通り抜けられるだけの大きさはない。
しかも最悪なことが起こる。
地上から、発砲が始まった。
それもアサルトライフルのフルオート発射だ。
俺の足元で車の裏に銃弾が次々と突き刺さる死の音が鳴り響く。
いつ銃弾が床を貫通してもおかしくない。
そうなれば、ここは血の海だ。
「ヨリ! M16自動小銃を持って!」
オカンが運転席から叫ぶ。
後部座席にはM16自動小銃というアサルトライフルが2艇あり、うち一つが俺の足元に落ちていた。
俺はそれを拾う。
セーフティを外し、コッキングレバーを引く。
でも、このアサルトライフルを使って、どうしろって言うんだ? オカン?
「
オカンがそう叫ぶ。
それで、俺は理解した。
そうすれば、網は車を支えきれなくなって落下する。
さすがオカンだ。
ナイスアイデア。
地上から銃声が鳴り響く中、
そして立つ。
天井から顔を出し、1メートルほど先にあるロープを狙う。
難しい作業じゃない。
M16はトリガーを押せば、何発も銃弾が発射される。
慎重に狙わなくても……というか、こんな状況で慎重になれるわけないが、マガジンが空にならない限り、ジャムらない限り、撃ち続けることができる。
そのうち一発がロープに命中すればいいんだ。
簡単だ。
俺はトリガーを引く。
M16が火を噴く。
そして1本のロープを撃ち抜いた。
その直後だ。
いきなり車が前方に傾く。
角度は90度。
地上とパンパーが向き合う。
と同時に、網から車がスルリと抜け、車が落下する。
フロントガラスに、地上が一瞬のうちに迫る。
だから――
――衝撃。
全ての窓ガラスが、粉々に砕け散る。
俺は助手席のシート裏に全身をぶつける。
地面に突き刺さるようにして落下した車だが、その後、ガタンと音を立て、元の位置、つまりタイヤが地面についた状態に戻った。
しかし、逃げようにも、それができない。
車が動かないのだ。
オカンはシートベルトをしていたから、何とか無事だったようだ。
でも、車が無事じゃない。
きっと網で宙吊りにされている間に大量の銃弾が車体の裏に撃ち込まれてしまったせいで、電気系統が全部ぶっ壊れて、アクセルを踏んでも車が動かないのだ。タイヤだってパンクしているだろう。
どうすりゃいいんだよ!
考えている時間はない。
車を取り囲むように、ぞろぞろと男たちが現れた。
奴らは有名なストリートブランドのロゴが入ったパーカーとベースボールキャップを被り、鼻と口元を覆う黒いフェイスマスクを着用している。
初めて見るが、奴らがハヅキストか?
「ヨリ、降りるわよ」
オカンがそう言って、シートベルトを外す。
「おい! 降りてどうすんだよ!」
すると俺の問いに、オカンはこう答えた。
「考えがある」
そして、こうも付け加えた。
「一か八かだけどね」
一か八か――可能性が少しでもあるなら、もう、それにかけるしかない。
ハヅキストたちは、俺たちの乗るスクラップとなったベンツに歩み寄ってくる。
何度も言う。
考えている時間はない。
オカンはドアを開けた。
俺もそれに続く。
降りた場所は、住宅地の真ん中にある、大きめの十字の交差点。
するとどうだ?
いきなりオカンは俺を拘束し、銃を俺の側頭部に突きつけた。
「何しやがんだよ!」
「黙って!」
まさか、ここに来て裏切りか?
なんて考えたが、俺はオカンを信じる。
これは演技だ。
この状況を突破するための。
パッと見ただけで、ハヅキストは十数人いる。
そいつらが十字の交差点の四方向から、俺たちを取り囲んでいる。
そしてそいつらと俺たちの距離が、徐々に詰まる。
その中で一人、黄色いパーカーの男。その男が、
「ケケケ……」
と不気味に笑った。
ハヅキストの足が止まる。
360度、俺とオカンは包囲されている。完全に。
しかも状況をややこしくするように、なんと〈レオ〉と〈ガルディア〉たちも現れた。
〈レオ〉は2体。〈ガルディア〉も2体。
だが、ここには俺がいる。
だから〈レオ〉と〈ガルディア〉は、俺を見つけた瞬間に動きが止まった。
それだからか。
ハヅキストに動揺している様子はない。
むしろ冷静に、ハヅキストが俺たちに向かって一斉に銃を、そのほとんどがアサルトライフルを、構えた。
そして――
「あなたたちが撃つ前に、私が彼を撃ち殺すわよ」
オカンは言った。
彼とは、もちろん、俺のことだ。
「彼を撃ち殺せば、向こうにいる〈レオ〉と〈ガルディア〉は、あんたたちを一斉に襲うわ。それでもいいの?」
これは取引だ。
オカンなりに考えた、この状況の脱出法。
一か八かと言っていた割には、まあまあだと思いたい。
偶然現れ、状況をややこしくすると思っていた〈レオ〉と〈ガルディア〉は、今じゃ俺たちの盾だ。
しかし黄色いパーカーを着た男が再び「ケケケ」と不気味に笑う。
何がそんなにおかしいのか?
もともと頭がイカれたハッカー集団だから、ケーキを見ても同じように笑うのかもしれない。
そう思って、深刻には考えなかったのだが、
「なあ、オバサン。それで勝ったつもりか?」
黄色いパーカーを着た男が言った。
声は若い。
まだ10代だろう。
小学校で俺とタケシを襲ったチュウボウと同じくらいかもしれない。
厄介な奴は、みんなガキばっかだ。
「オバサンと言ったことは許してあげるから、そこをどきなさい」
「どくわけないだろ。だって目の前には宝があるんだぜ。見た目は悪いけどな」
「言っておくけど、あんたたちが言うことを聞かないなら、本当に彼を撃ち殺すわよ。そして私も死ぬ」
するとまた、黄色いパーカーを着た男は「ケケケ」と笑った。
だが、笑ったのは彼だけじゃなかった。
ここにいるハヅキスト全員が、彼の笑いが感染したように、一斉に笑い出したのだ。
その笑いは呪いのようで、不安と恐怖を体の奥から引きずり出そうとする。
しかし、それを顔に出すことは許されない。
これは取引だ。
少しでも弱みを見せれば、状況は不利になる。
「なあ、オバサン」
笑いが収まった後、黄色いパーカーを着た男が、再び口を開いた。
そして奴は、こんなことを告げた。
「目の前に映っているものだけが、現実だと思うなよ」
それを聞いて、俺とオカンは思わず吹き出す。
いい歳の大人を前に、なにチープな説教を抜かしてやがんだ。
バカにするのも、いい加減にしろ。
しかしだ。
そう思ったもの、一瞬だけだった。
妹ほどではないにせよ、頭はズバ抜けていい。
何の意味もなく、こんなチープな説教を漏らすわけがないんだ。
そうだ。
それには理由がある。
でも、その理由に気付くのが、遅すぎた。
――遠くで、銃声が鳴った。
それとほぼ同時だった。
銃弾が、オカンの胸を、貫いた。
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