お前に人を殺せるか?

「おいクソガキ! 俺はまだ生きてるぞ!」


 教室を飛び出したタケシは、そう叫ぶ。「そんな下手くそな銃の扱い方じゃ、虫だって殺せねーぞ!」

「んだと! テメー!」


 銃声が鳴る。

 俺の心臓が飛び出しそうになる。

 タケシは大丈夫か?

 銃弾を喰らっていないか?

 しかしそれを確かめることができない。

 俺は教室に隠れたままで、廊下の様子を伺うことができない。

 だがチュウボウのガキが廊下を駆ける足音が聞こえてくる。

 タケシの思惑通り、チエちゃんから注意を逸らし、ガキのターゲットはタケシに切り替わったようだ。


 ガキの足音が近づいてくる。

 そしてその足音は、俺を通り過ぎる。


 チャンスは、今しかない。

 どうやってガキを攻めるかなんて、明確なイメージはない。

 でも、やるしかない。

 畜生! こうなりゃ自棄だ!


「ああああああ!」


 俺は教室から飛び出す。

 そして叫びながらガキの背中に向かって突進する。

 痩せているガキの背中は、小さい。

 そこに思いっきり体当たりする。

 ラグビー選手のタックルのように。

 すると簡単に、ガキは倒れた。

 拳銃がガキの手から離れ、カチャリと拳銃が床を滑る音が聞こえる。

 しめた!

 俺はガキが起き上がらないよう、レスリングのように両腕をガキの胴体に絡ませ、床に押さえつける。


「タケシ!」


 俺は叫ぶ。「早く手を貸せ! こいつの顔面にお前の拳を叩き込め! そこに転がっている銃を使ってもいいぞ!」


 しかしタケシから返事がない。

 俺が視線を上げると、近くにタケシがいた。

 タケシは無事のようだ。

 でも怖気づいてしまったのか、タケシは尻餅をついて俺とガキを眺めているだけだった。

 何だよ! 口だけかよ!


「うおおおお!」


 俺は全身の力を振り絞り、ガキを捻じ伏せようとする。

 それから何とか馬乗りになり、俺は拳を固く握る。

 そしてその拳を、思いっきりガキの顔面に食らわす。

 ガキは痩せているから、薄い肉越しに骨を殴っているようで、手が痛い。

 だがこれを続けないといけない。

 少なくとも、このガキが気絶するまでは。

 しかし、ガキを一発殴ったところで、俺の拳は止まった。

 どうしてだろうか?

 頭ではガキを殴らなければならないとわかっているのに、体が言うことを聞かない。

 体が殴ることを拒絶している……そんな感じだ。


「どうした?」


 そんな俺を見ながら、ガキは言った。


「もうおしまいか?」

「うるせー! 黙ってろ!」


 俺は怒鳴る。

 でもそれが虚勢であることは、ガキにはお見通しのようだ。

 だからガキは笑いながら、


「お前に、人は殺せない」


 と言った。


「どうかな?」俺は答える。「今考えている最中なんだよ。お前をどうやって痛めつけてやろうかってな」

「そうか? じゃあ、やってみろよ」


 ガキが挑発する。

 でもダメだ。

 どんなに拳を固く握っても、その拳をガキに振り下ろすことができない。

 VRゲームの『THE WAR LEFT -残された戦争-』で同じようなシチュエーションがあったとき、そこでは簡単にできたことのはずなのに……!

 するとガキ「ははは!」と笑った後、俺にこう言った。


「やっぱり、お前には人を殺せないんだよ。なぜなら、お前は普通の人間だからな」

「ああそうか。そう言ってくれて嬉しいよ。偏差値が40を切ったせいで、周りからはバカだと思われてたからな。普通で何よりだ」

「そういうことを言ってるんじゃない。所詮お前も、標準的な本能に縛られているってことだよ」

「……は?」

「いいか? バカなお前にもわかりやすく教えてやる。普通の人間はな、同族を殺すことに心理的抵抗感を覚えるんだ。それが邪魔して、人は人を殺すことを躊躇うんだよ。でもそれを愛だとほざくのは間違っている。これは所詮本能で、同族を保存させるためのプログラムの一部に過ぎないんだよ。でも俺は違う! 俺はそんな本能に縛られることはない、最強の人間なんだよ!」


 俺は呆れて、溜息が出る。

 俺よりバカな奴がいて、そんな奴にかける言葉なんてない。


「どうした? そんな顔しやがって。もっと楽しめよ。ここは天国だ! 生き延びるために人を殺しても、誰も罰することができない! 最高の世界じゃないか! この世界をくれた、あの天才少女ハヅキはマジクールだ! 一緒にセックスしたいくらいだぜ!」


 黙れ! このクソ野郎!

 本能が拒絶していたのかどうかは知らないが、さすがにこの台詞には、本能の制御が外れそうだ。

 今度こそ俺は、固く握った拳をガキの顔面めがけて振り下ろそうとした。

 しかし――


「お兄ちゃん!」


 背中から兄を呼ぶ声。

 チエちゃんだ。

 そしてチエちゃんがこちらに走り寄ってくる。


「来るな!」


 俺は叫んだ。

 そのせいで、ガキから注意が逸れてしまった。

 それがいけなかった。


 ――俺の脳が、突然揺れた。


 原因は明らかだ。

 ガキが、俺の顎にアッパーパンチを食らわしたんだ。

 軽い脳震盪。

 軽い目まい。

 そして全身から一気に抜ける力。

 その隙を狙ってだ。

 俺が馬乗りにしていたガキは、俺の股から逃げ出した。

 でも、それに気付いた時にはもう遅いわけだが――


「動くな!」


 声がした。

 声の正体は、タケシだった。

 目まいが収まった俺は、タケシの方を見る。

 するとタケシは、床に転がっていた銃を拾い、それをガキに向けて構えていた。

 やるじゃねーか、タケシ!

 だがガキは全く物怖じしない様子で、


「どうした? 早く引き金を引けよ」


 とタケシを挑発して見せる。

 銃を握るタケシの手は、震えている。

 トリガーには指がかかっているが、その指もまた、小刻みに震えている。

 これもガキの言う、本能の制御なのだろうか?

 そんなタケシに、ガキはゆっくりと歩み寄る。


「動くなと言っただろ!」


 またタケシが叫ぶ。

 だが、ガキが歩み寄った歩数だけ、タケシは後ずさる。

 ガキは言う。


「お前も人は殺せない。残念だけどな」

「うるさい! 俺はやれる!」

「じゃあ、早くしろよ。ここをしっかり狙うんだ」


 ガキは自分の額の中心を指さす。


「ここに銃弾が直撃すれば、頭蓋骨が貫通して、俺の後頭部から血と脳ミソが噴き出る。さあ、やってみろ。死を目撃する覚悟があるんだったらな」

「やってやる! 俺はやってやる!」


 タケシはそう言いながらも、依然としてタケシは後ずさっている。

 埒が明かない。

 俺はもう一度立ち上がり、ガキに飛び掛かろうとする。

 幸いなことに、ガキは調度、俺に背を向けている。

 もう一度あいつを抑え込めば、今度は何とかなるはずだ。

 そう思ったのだが――


「まあ、俺が死ぬより、お前が死ぬ方が、先だな」


 ガキはそう言った。

 しかし、その言葉を理解する前に、鈍い音と共に、タケシが床に沈んだ。

 そしてタケシの後ろから、人影が現れた。


 ガキは、一人じゃなかった。仲間がいたのだ――


 しかもガキの仲間は一人じゃない。

 二人だ。

 一人はタケシを後ろから殴った奴。

 もう一人は、チエちゃんの後ろ――


「いやああ!」


 チエちゃんの後ろから現れたガキが、チエちゃんを捕える。

 チエちゃんは暴れるが、幼い子供に中学生相手じゃ敵わない。

 しかもチエちゃんを捕えたガキは、拳銃の銃口をチエちゃんのコメカミに突きつける。

 床に倒れたタケシも、頭に銃口が突きつけられる。

 そして赤いTシャツを着た、俺が殴ったガキは、タケシから銃を奪い、それを俺に向けた。


 完全に追い込まれた。

 挟み込まれたし、武器も奪われた。

 もう、逃げられない。

 このあと俺たちに待っているのは、間違いなく、死――

 それを宣言するかのように、俺に銃を向けているガキは、こう言った。


「それじゃあ、お前ら、死んでくれ」

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