小学校

 学校の中から、銃声と悲鳴が鳴り響いた。


 そんなものを聞いてしまったら、俺のやることは、ただ一つだ。


「逃げよう。チエちゃん」


 だから俺は、チエちゃんの手を強く握り、学校から離れようとした。

 しかし!

 チエちゃんの手は俺の手からスルリと抜け――


「お兄ちゃん!」


 と叫んで学校へと向かった。

 って、ちょっと待ってくれよ!


「危ないよ! チエちゃん!」


 俺は呆然と佇み、学校へと消えて行くチエちゃんをただ眺めることしかできない。

 なあ、こういうときは、どうすりゃいいんだ?

 チエちゃんを見捨てて逃げる?

 ああ、そうだな。

 それが一番安全だ。

 でも……


「ああー! チクショー!」


 俺は頭を激しく掻いた後、チエちゃんを追って学校の玄関に向かった。

 チエちゃんが「お兄ちゃん!」と叫んで、すっ飛んで行ったということは、さっきの悲鳴はタケシなのか?

 だとしたら、タケシも危ないわけで――


 ――――!


 玄関に入った瞬間、俺は思わず足を止めた。

 なぜならそこに、たくさんの死体が転がっているからだ。

 銃で撃たれているのか?

 死体から流れ出した血は、学校の白い床を赤く染めている。


 また銃声。

 そして悲鳴。


 悲鳴の主は幼い。

 しかも女の子だ。


 チエちゃん!


 俺は玄関に転がっている死体を跨ぎ、校舎に上がりこむ。

 床が血で濡れてしまっているせいで、靴が滑る。

 しかも注意を払わないと、キュッというスニーカーの音が出てしまう。

 それで俺の存在がバレてしまってはいけない。

 俺は慎重な足取りで、奥へと向かう。

 悲鳴が聞こえたのは、上の階だ。

 きっとそこに武器があって、それを独占しようとしている頭の悪い奴が暴走してるんだ。

 核爆弾が落ちて、水も食料もない。

 そうなれば、秩序あっておとなしいと言われていた日本人だって、理性を失う。

 いま理性を保てている奴がいたとしても、その理性が崩壊するのは時間の問題だ。

 妹から人類の滅亡が決まったと宣言され、それを疑う前に〈ガルディア〉や〈レオ〉などの兵器が暴走して、さらに核爆弾まで落ちたんだ。

 そんな状況で、みんなで助け合って生き延びましょう!なんて考える奴は、頭の中がお花畑のオバカさんだけだ。

 格差社会だとか言われながらも、結局はGDP世界3位の日本は、それなりに物質的に恵まれ、「将来○○になりたいけど、どうしよう? なれるかな?」なんていう贅沢な悩みに頭を抱え、そしてくだらないネタをSNSで拡散して「いいね!」で評価し合って学校の授業に集中していなくても、命を奪われることはない。

 就職できなくても当分はアルバイトで生きていける世の中だし、そんな余裕が日本人を秩序あっておとなしくさせていただけにすぎない。

 その余裕がぶっ壊れてしまった今、日本人は何をしでかすかわからない。

 違うか?


「キャー!」


 また悲鳴が聞こえる。

 ざわつく胸を押さえ、俺は階段を登り、悲鳴がする方へと向かう。

 そして、見つけた。

 チエちゃんを。

 だが安心するにはまだ早い。


 ――銃声。


 それに、こんな声が重なる。


「早く逃げないと、死んじゃうよ。鬼ごっこは、まだ始まったばかりなのにね~」


 チエちゃんは追われている。

 追っているのは男だ。

 金髪で痩せた体型の、赤いTシャツを着た男。

 そいつが拳銃を持ち、廊下の先で逃げるチエちゃんに向かって発砲している。

 男と言っても、ガキだ。

 きっと近所の不良のチュウボウだろう。

 だが、油断はできない。

 ガキと言えど、相手は銃を持っている。

 気を付けないと、俺も玄関に転がっていた死体と同じ目に遭う。

 あいつは、狂っている

 早く止めないと、チエちゃんの命が危ない。

 幸いなことに、今あいつは俺に背を向けている。

 俺の存在にも気付いていない。

 そのまま気付かれないようにそっと近づいて、後ろから殴ればいい。

 そう思って足を前に進めようとした、そのときだ――


「待て!」


 そんな囁き声と共に、俺の腕を掴む者がいた。


 そしてそいつは俺の腕を引っ張り、廊下にいた俺を教室へと引きずり込む。

 あのガキに仲間がいたのか?


 そんな警戒心を抱きながら俺を教室に引きずり込んだ者の正体を確かめる。

 すると、そこにいたのは――


「……タケシ?」


 そいつは無言で頷く。

 そいつは確かに、俺の幼稚園からの親友である、タケシだった。

 しかし今のタケシは負傷している。

 肩から出血し、白いカッターシャツが赤く滲んでいる。


「大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。弾が掠っただけだ」


 タケシははにかんで見せる。

 しかしタケシの額に滲んでいる汗を見て、決して大丈夫でないことはわかる。


「無理すんなよ」

「無理だって何だってするさ。俺の妹の命が危ないんだ」


 タケシの言うことはわかる。

 痛いほどな。


「協力してくれるか? ヨリ」

「断る理由なんて、あるか?」

「すまない。本当にありがとう」


 俺の腕を掴むタケシの手に、力がこもる。


「まあ、偏差値70以上のお前だ。何か策でもあるんだろ? タケシ」

「ああ、もちろんだ」

「じゃあ、聞かせてくれよ」

「簡単だ。俺があのガキの気を引いている間に、後ろから攻めてくれ」

「攻めるって、お前、武器を手に入れたのか?」

「いいや、まだだ」

「じゃあ、どうやって?」

「武器なら、あるだろ?」


 そしてタケシは俺の目の前で拳を強く握りしめる。

 まさかとは思うが、


「手が武器だ。ヨリ」


 まさかの答えがタケシから返ってきた。

 俺に、高度な文明社会を生きろと言った張本人が、原始的な手段に頼るとはな。


「タケシ、お前の言うとおり、手は立派な武器だ。それでペンを持てば、世界を動かせる」

「皮肉を言うのは止めろ、ヨリ。たとえここにペンがあったとしても、あいつの目を刺す以外に、もう使い道はない」

「その通りだ」

「じゃあ、行くぞ。俺が気を引いている間に、お前はあいつを後ろから押し倒してくれ」

「それから、どうするんだ? タケシ?」

「武器を使うんだ」


 タケシは再び拳を強く握りしめ、それをかざす。

 そして、こう言った。


「これで、あいつの顔を叩きのめす」


 おい! ホントにやる気か?

 しかし、その言葉をタケシに届けることはできなかった。

 既にタケシは、教室を飛び出していた。

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