第23話 鬼の性

 

 

 

 愛情を、消した。

 その言葉自体は、抽象的に感じる。なにせ、元から形の無い『愛情』なる物を、消すというのだから。

 しかし、そう感じる一方で、俺は納得してしまった。このごろ強く感じていた喪失感の正体が、それであったのだと。


「そう、か。なるほどなぁ」


 俺の呟きに、姉は怪訝そうな顔をして、俺の顔をのぞき込んできた。


「怒らないの? 私は、あなたの大切なものを踏みにじったのよ?」


 そう問う姉の顔は、叱られる事を望んでいるかのようで。

 こんな顔をするって事は、もう既に十分な反省をしているのだと、俺は感じた。


「えーと、怒るってのは、少し違うかなぁ。

 なんて言えばいいのか。んー。たぶんこの気持ちは、寂しい、かな」


「そう、なの……」


 姉は、沈痛な顔をしてそう呟き、俯いた。きっと、俺には責め募って貰いたかったのだろう。

 だが生憎と、反省を終えている姉を叱責しようと思うほどの、感情は起こらない。怒りとかの激しい感情は、湧いて来ないのだ。どんな気持ちが消えているのかすら、漠然としか判らないのだから。

 記憶には無い思い出の場所が取り壊されて、その跡の更地を見ながら『ここは貴方にとって大切な場所だった』と語られている気分、とでもいおうか。

 消えた感情を思っても、唯々空虚な気持ちにしかなれないのだ。


「まぁ、そんなに気にしなくても良いって。当の俺が気にしてないんだからさ」


 そう口にしてから気付いた。これって、俺が感じてる自己嫌悪を和らげる為に、姉が仕向けたのではないか、と。

 案の定と言うか、俺の慰めの言葉に顔を上げた姉は、


「なら、あなたも気にしなくていいのよ。私の場合は、望んでいた事なんだから」


 と言って、微笑を受けべたのだった。


「いや、でもさ。それとこれとは、違うだろ?」


「確かに、違うわね。

 でも、お互い様って事にして、私を受け入れて欲しいのよ」


 そう言って、「だめかしら」と不安気に呟く姉を、拒絶できる訳も無く。


「あー……、うん。わかった。

 じゃあ、そういう事で、手を打とうか」


 俺は姉を、一人の女性として、受け入れる事を決めた。

 

「ふふっ、ありがとう、貴方」


 そう嬉しそうに微笑む姉が、酷く魅力的に感じられる。

 思えばこれは、当たり前の事なのだ。

 俺は姉の事を、大切な家族だと思っていた。この事に間違いはない。

 けれどそれと同時に、姉の事を綺麗なひとだと、からずっと思っていたのだから。


 その事を自覚した俺は、思わず姉の肩に腕を回して、


「えっ、ちょっと」


 焦る姉に構わず、その唇を塞いで、裸身を抱き寄せた。


 そうして改めて思うのだ。やはり俺も、『鬼』なのだと。

 

 

 

 

 

 

 再び身体を洗う必要が生じる行為をして、その後始末を終えて、今度こそ風呂場を後にし、二人揃ってリビングへ顔を出すと。既に隣のダイニングには、静華さん達が揃っていて、朝食の支度も粗方整っていた。


「あー、ごめん。待たせちゃって」


 朝の挨拶もそこそこに、遅れた事を詫びると。


「ううん、大丈夫。あなた達に合わせて、支度していたからねぇ」


 と静華は笑顔を見せた。


「合わせてって……」


 それはつまり、俺と姉の情事が筒抜けだったって事ですかね。

 まぁ、俺ですら、知ろうと思えばこの家の中の事くらいは精心オドを観てある程度は知れるのだから、静華さんならまるっとお見通しなのだろうが……。


 生々しい行為の様を知られたと思うと、羞恥で顔が赤くなる。

 隣の姉を見れば、特に気にしてはいないようで。風呂から上がった時と変わらずに、実に幸せそうな微笑をたたえている。


「さぁ、お赤飯も炊けてるし、ご飯にしましょ? 今朝はお祝いだから、ちょっとだけ豪勢にしてみたの」


 静華さんの声にテーブルを見れば、確かに普段よりも少し豪華だった。

 焼いた鮭の切り身に、厚焼き玉子。小鉢には、シラスと大根おろし、青菜のおひたし、昆布の佃煮などの副菜が。そして、具沢山な豚汁と、小豆の色が優しい赤飯が茶碗に盛られて加わる。

 一品の量を少なく、代わりに品目を多くしたスタイルは、旅館の朝食を想わせた。


 ていうか、確か赤飯て前日から仕込む必要があった筈だろ。

 て事は、だ。俺と姉がこうなるって事を、少なくとも昨日から予想していたと……?


 朝食の献立に感心したり、そこから察した予測に、何もかもを見通されているのではと俺がおののいている間に、姉はラシャから「おめでとう、姉さん」と祝福され、ご満悦である。


「なにが、おめでたい、ですか?」


 一人だけ状況を理解していないテムテムが、不思議そうに小首を傾げて疑問の声を上げると、姉がテムテムへと何やら耳打ちをして。


「おお! あかちゃん、です!」


 何をどう説明されたのか、テムテムは興奮して両手を突き上げた。


 ちょいと姉さんや、今テムテムになんて言った?


 問い詰めたいような、深く聞きたくないような。そんな葛藤に苛まれていると、朝食の支度を終えた静華さんが軽く手を叩いて注目を促した。


「ほらぁ、冷めないうちに、いただきましょ?」


 その静華さんの一声に答えて、それぞれ席に着き、この話はお終いかと安堵していたのだが。続けて静華さんが口にした「続きは食べながね?」の一言で、朝食の時間は、姉の惚気話の場と化したのだった。


 ちょっとホントお願いしますよ姉さん止めて下さい。テムテムもイヌ耳を立てて聞き入ってるじゃないですかやだー。


 幸せそうに語る姉と、それを興味津々に聞くテムテムと、「私も……」などと不穏な事を呟くラシャ。

 静華さんは楽しそうに、にこにことしていて。

 俺はせっかくの朝食の味も素直に楽しめずに、ただ羞恥を堪えるのみだった。


 

 

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