第21話 ウイスキーパンチ
泣き出してしまった姉が落ち着くのに、しばしの時間がかかった。
その間、静華さんの生暖かい眼差しや、ラシャの妙に熱っぽい眼差しに、テムテムのキラキラしら憧れの眼差しに晒されて居わけで。
俺は心を無にして、ひたすら姉を宥めるより他になかった。
そのお陰、と言うのもどうかと思うが、結果として極めてフラットに落ち着いた精神状態で、姉の話を聞く事ができた。
姉が語ったのは、俺の記憶が一番あやふやな中学から高校辺りの出来事だった。
要約してしまえば簡単な話で、中二の時に『ディスティニーセイヴァー』の二作目で遊んでいた俺は、ゲームを通して届いたしまったユスティアからの助けを求める波長に、魂が感応してしまったのが、そもそもの発端だったそうだ。
この『ディスティニーセイヴァー』なるゲーム。制作者の中に、いわゆる『受信しちゃう』人がいたらしい。
芸術家肌な人には、たまにいるそうなのだ。本当に、どこか別の世界からの何かを受け取ってしまう人が。
そして、受信しちゃう人が手掛けたゲームなどは、その特性から再現率が高ければ触れた者の心に響きやすく、大抵売れるらしい。
もちろん、世のヒット作の全てがそうでは無いそうだが。
で、受信しちゃった系ゲームの『ディスティニーセイヴァー』は、売れた。俺もド嵌りしたし、姉も珍しくこのゲームは楽しんで一緒に遊んだ。
ここで終わっていれば、楽しかったで済んだのだが。しかし、主導したのが制作者かその会社かは知らないが、続編を作ってしまった。
続編である二作目のストーリーとして受信しちゃった、向こう側――ユスティアの居た世界の事情は、とても楽しむだけでは終われない、『
その結果は、ゲームの大こけと、純真なプレイヤーの心に残ったトラウマ。そして、俺の魂に届いた、ユスティアからの助けを求める波長だった。
ここからは、俺のあやふやな記憶にまつわる部分だ。
ユスティアからの波長を受け取ってしまった俺は、人が変わったように寝食を忘れるほど『ディスティニーセイヴァー』の二作目をやり込み始め。その結果に満足出来ずに、今度はゲームデータの改竄まにまで手を出して。
そうして一応、ゲームの中では、『ユスティアというキャラクター』を救ったのだそうな。ゲームとしての形の上では。
けれど、俺はそこで満足しなかった、らしい。この辺りは、ごっそりと記憶が無くなっているらしくて、覚えて無いのだが。
それで、だ。ゲームで満足しなかった俺は、それまでは怖がっていた刀自様の居る本家へ一人で出向いて、『ユスティアを助けたいから』と刀自様へ直談判したらしい。我が事ながら、無茶をしやがる。よく生きて帰れたな、と本気で思う。
そんな無茶な行動の始末として、俺はユスティアから届いた波長に関する記憶を刀自様に封印されたそうだ。
では、どこに姉が「私が悪い」なんて言い出す要素があるかと言えば、この『刀自様へ直談判』の
俺は初め、『ユスティアを助けたいから、力を貸して』と、姉に頼んだらしい。
常識的に考えれば、おかしな話だ。そんな事を、一介の女子高生に頼むなんて。
けれど、この時にして既に、俺の中では『姉には不可能が無い』といった観念が出来上がっていたんだろう。
そして、それは半ば当たっていたそうだ。
姉は、この時の俺の願いを、叶える事も可能だったらしい。
しかし姉は、俺の願いを叶えずに、むしろ諦めさせようとして『そんなに助けたいなら、刀自様にお願いすれば?』と言って、俺を突き放したそうだ。俺が刀自様の事を怖がっているのを知っていたから、そんな事をするくらいなら諦めるだろうと。
結果として、姉の予測は珍しく外れ。俺は刀自様の所へと、一人で行ってしまったのだが。
その後も、俺が刀自様の所へ助力を願いに行く事態が何度か続き。最終的には、俺の肉体と魂に封印を施す事で、波長を受けず、既に受けた記憶や影響も封じ込めたらしい。
けれど、長いこと封じられた記憶や影響が、鬱屈してしまったのか、妙な作用を起こしたらしく。今度の俺は、身体を壊す程に仕事に囚われてしまった。
その解決策が、この前の連休の騒動であった、と。
姉の語る話を聞き終えたのは、日付も変わろうかという深い時間だった。
テムテムは既に布団の中だ。話の内容を知っている静華さんが、風呂に入れて、そのまま寝かし付けてくれた。
ラシャもさっきまで起きていて、一緒に話を聞いていたが、今はもう自室へと戻った。
なので、今リビングに居るのは、俺と姉の二人だけ。
「にゃー……」
あ。あと、なぜか俺の膝の上に、白猫がいる。今までは、いくら呼ぼうが追いかけようが、頑として近寄らせてもくれなかったのに。
まあ、猫なんてそんな生き物だし、気にしてもしかたない。猫は、ちょっと横にどいてもらって。
「にゃー!」
「あー、そんなに暴れるなよ。またすぐに戻って来るから」
嫌がる猫を宥めつつソファーから立ち、姉へと声を掛ける。
「姉さんも、喉乾いただろ?なに飲む?」
落ち込んでいるのか。ソファーの上で、抱えた膝に顔を
「……ホットミルク。砂糖、多めで」
「え? ミルク? コーヒーじゃなくて?」
姉から初めて聞くオーダーに、何度も確認してしまった。そのせいで、姉は再び膝の間に顔を埋めてしまった。
これは、俺は悪いのか?
だって、姉はいつもコーヒーをブラックで飲んでるんだぞ? それを急に『ホットミルク』とか『砂糖多めで』とか言われたら、驚くっての。
でも、そうだな。俺が悪いな。
「わかったよ姉さん。砂糖多めな」
相変わらず顔は膝の間だが、姉が頭だけ動かして頷いたのを確認して、キッチンへ向かう――前に、
「おい、ネコ。お前も飲むか?」
ソファーの上から俺の動きを追っていた猫に聞いてみると、「にゃう」と鳴いた。
あれ? この猫、返事したのか?
「……それは、飲むって返事か?」
バカバカしいとは思いつつ、もう一度確かめてみると。この白猫め、今度は顔を縦に振ってから、「にゃう」と鳴いたではないか。
「そ、そうか。わかった、持って来る……でもお前は少しだからな?」
猫はまた、「にゃう」と返事らしい鳴き声を返して来た。
あの白猫ってひょっとすると賢いのかと、俺は首を傾げながらキッチンへと向かった。
姉が砂糖多め、猫が砂糖少々、俺が砂糖無しのストレートのホットミルク。では芸が無いので、俺と姉の分には、スコッチを割ってある。
それを飲んで、
いまだに膝を抱えて座ってはいるが、だいぶ落ち着いた顔をしている姉に、一番に疑問を感じた事を聞いてみる事にした。
「……なぁ。姉さんは、さ。どうして、俺の最初の時の頼みを、断ったんだ?」
姉は、こちらを見ること無く。両手で持ったマグカップを見詰めながら、「大変だったから」と、ポツリと呟いた。
しかし姉は、俺がその一言に対して何かをいう前に、自分の言葉を「こめん、今のは無し」と取り消した。
どういう事かと俺が首を捻って居ると、姉がポツリポツリと話し出した。
「……大変だから、っていうのは、嘘では無かったの。まだ、あの頃の私だと、今と比べても、未熟もいいところだったから。
でもね、頑張れば、できた。できたけど、頑張らなかったのは……ううん、頑張りたくなかったのは、嫉妬したからなのよ」
今夜の姉は、弱々しい。
いつに無い姉の様子に、何と言っていいか判らなくなる。
そうしてまごつく俺に構う事はなく、姉は語り続ける。
「あなたは、この家の養子だって事は、もう知ってると思うけど。でもそれは、少し違う。正しいけど、真実じゃ無い。
あなたは、この家の婿養子なの。だからあの時の私は、自分と結ばれるはずのあなたが、他の女のために一生懸命で、しかも私にまで手伝わせようとしたのが、嫌だったの。
だから、癇癪を起こして、『刀自様に頼めばいいじゃない』なんて言ってしまって」
この歳にもなれば、戸籍を目にする機会くらいある。だから、養子の事は知ってたけど……婿養子? それは初耳なんですけど?
「そうして、挙句あなたを壊してしまったのよ。私の下らない小さな我が儘の、代償にね……」
姉が、マグカップをジッと見詰めたまま。その両手に、ギュッと力を込めた。
その仕草が俺には、まるで自分の首を絞めているように思えて、思わず声を掛けた。
「なに言ってんだよ、姉さん。俺は壊れてなんか無いってぇの」
雰囲気を和らげようと、軽い気持ちで言ったその言葉は。恐らく、最悪では無いが、決して善いものでは無かったと気付いた時には、遅かった。
俺ののその不用意な言葉を切っ掛けにして、姉の心が色立った。
「……ゃない」
俯き、ぼそぼそと呟いたかと思うと。
姉は急に顔を上げ、鬼気迫る形相で俺へと掴みかかって来た。
「壊れてるじゃない! あんた、壊れちゃってるじゃないの! こんな身体になって! こんな顔になっちゃって! もう私の知ってるまーくんはどこにもいないじゃないっ!! 返してよ!! 私の大好きなまーくんを返してッ!!」
いきなりソファーに押し倒され、胸ぐらを掴まれたまま馬乗りにされ。
そしてこの、俺を全否定するかの如き罵倒を聞いて、俺の中で何かが、切れた。
「……うるせぇ!! 俺は俺だ! 今も昔もねぇちゃんが大好きな俺のままだッ!!」
「きゃっ! やっ、ちょっと、まーくん……だめっ! あ、んッ」
聞いた事の無い、初めて聞く女の声。布の避ける音。
そして、甘酸っぱい匂いと、柔らかな肉に包まれて。
この夜。俺の理性は、一度も帰っては来なかった。
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