第20話 歪み

 

 

 

 あの連休から一週間が経った。

 明日は土曜で、週末が始まる。そんな、金曜の夜。

 夕食を終え、一番風呂を頂戴した俺は。自室では無く、家族で団欒なリビングへと向かった。

 まぁ、自室のある二階へ行くには、リビングを通らなければならないのだから、道程みちのりに違いは無いのだけど。

 とにかく、俺は家族へと伝える事があるのだ。


 この数日間で進めていた準備が、整った。後は、実行に移すだけ。

 しかし、だ。

 一人で抱え込むのはいけない事だと学習した俺は、決行の前に家族へと報告する事にしたのだ。それが今、この時である。


「…………」


 リビングに着き。テレビの前に集まり、ソファーに座る家族達へと、後ろから呼び掛けようと口を開いて、しかし言葉が出せないでいる。

 肩にかけたタオルを握る手に、知らず力がこもっていた。

 緊張、しているのだ。なにせ、俺がしようとしている事は、命の危険が伴う……いや、そうじゃないな。正確には、命の遣り取りをしに行くのだ。現代日本に生まれ育った者なら、家族がそんな事をしようとすれば、止めるのが普通だ。俺も妹のラシャが同じ事を言い出したら、絶対に反対だしな。


 声を掛けている事を戸惑う俺の耳に、家族達の笑い声が届いた。

 テレビを見れば、今夜の『金曜にロードショー』は、有名なアニメ映画だった。黒猫に姿を変えられた女の子が、森に住むトロールの力を借りて、空中要塞を相手取ってドッグファイトを繰り広げる超人気作だ。『飛べないネコは、カワイイわ!』の名台詞は、あまりにも有名である。


 ふむ。今、重要な話を切り出すのは、よろしくないか?

 きっとテムテムなんて、目をキラッキラさせて見入っているだろうし、邪魔しちゃかわいそうだよな……。

 

 

 

 

 

『いくよ、ナウシータ』


『ええ、いきましょう。パズゥベル』


 少年と心を通わせ愛し合う事で、黒猫から少女の姿へと戻る事が出来た主人公。そして二人は手に手を取り、世界を滅ぼさんとする空中要塞へと向けて、必滅の呪文を唱える。


『ぼくのこの手が、愛に染まる!』


 少年が、赤く輝く右手を掲げた。


『わたしのこの手が、楽土を創る!』


 少女が、白く輝く左手を掲げた。


『『今、必殺のォ――』』


 二人が声と、輝く手と手を重ね、


『『ラブ、ラブ、最、高、でしょ……ッ』』


 空中要塞へと突き出した輝く手と手が、桃色の閃光を放ちだし、


『ラブ!』『『アンドォ!』』『ヘヴン!』


 世界を桃色に染める程の光が二人へと集まり、さらにそれを突き出した手へと収束し、


『『うおおおぉ!! ウェーディングッ!!』』


 光の柱と化した桃色の光を、打ち出した!


「ふぉおおっ!」


 そのクライマックスな光景に、頭に白い猫を乗せたままテムテムが立ち上がり、思わずといった具合に声を上げている。大興奮である。


 画面の方では、桃覇とうはラブヘヴン結婚拳けっこんけんを受けた空中要塞が愛に目覚め、『デパーチャー旅立ち!』と叫びながら天へと登って行き。最後は、宇宙空間で寄り添う二基の空中要塞を背景に『fin』の文字が映し出されて、映画は終わった。


 久しぶりに見たが、この『超天空の要塞王武闘伝クロネコ』。さすがは、不朽のメイ作だ。お陰で緊張もほぐれた。

 さて。若干一名は、まだ興奮冷めやらぬ状態だが、気持ちを切り替えて、そろそろ話しをしようか。


「あー、ちょっといいかな。その、みんなに話しておきたい事が、あるんだ」


 ソファーから腰を上げ、その場に立ってそう切り出すと、その場に居る全員の視線が集まった。頭に居た白猫を掲げ上げて「やっぱデパーチャー!」と興奮していたテムテムもだ。

 そして皆が一様に、俺が何を言い出すのかと、不思議そうな顔をしている。

 そんな顔を見て、緊張がぶり返して来た。が、言わねばならない。

 俺は唾と共に緊張を呑み込んで、口を開いた。


「実は、少し前から準備をしていて、それが今日終わって、さ。

 だから、明日から行こうと思ってるんだ。……ユスティアの生まれ育った村へ」


 返って来るのは、反対か賛成か。どちらであろうと、俺の意思は変わらない……などと思っていたが、皆の反応はどちらでも無かった。

 なぜか皆の視線は、俺の言葉が終わると一斉に、テムテムに両手で胴を持たれて、ビローンと伸びている白い猫へと集まったのだった。

 そしてその白猫は、俺の視線に気付くと、なぜか下半身を捻り後ろ足を交差させた。まるで俺に股間を見られるのが恥ずかしい、とでも言いたげに。


 いや、なんでだよ。猫のお股見ても、何とも思わないっての。


「……えっと、もしもーし。俺の話、聞いてました?」


 気を取り直して、もう一度、皆の注意を引くと。皆を代表するように、姉が口を開いた。


「聞いてたわよ。でも、あんたさ。それって、行くの?」


「なぜって……それは……」


 姉のその言葉は、今の俺が最も恐れていた事で。

 問われた瞬間に、ここ数日間、ずっと気付かない振りをする事で蓋をしていた、胸に空いた大穴が、ぽっかりと口を開け。

 俺は何も答えられなくなって、視線を足下へと落とすしか無かった。


 そんな俺へと、姉は言葉を続ける。


「解らないんでしょ? なぜのか。

 あんたのなかには、『助けたいと思っていた』って無いんでしょ?」


 そう、なのだ。姉の言う通りなのだ。

 俺は確かに、ユスティアを助けたいと思っていた筈なのだ。だから、あの連休の出来事があって。その結果、俺の身体は、ユスティアのものへと代わった。

 それなに、今はどうしてが、解らない。そこだけぽっかりと削り取られてしまったかのように。


 客観的に見れば、予想はできる。

 不幸な人生を歩んだユスティアが、かわいそうだったから。だから、助けたいと思う。

 そう思うのは、普通だ。およそ一般的な感性の持ち主ならば、似た気持ちになる。そんなありふれた感情だ。

 だけれども、そこからと思う者は、どれだけの数が居るのだろうか。


 本気で助けると一口に言っても、色々あるだろう。

 ゲームをひたすらやり込むのも、本気だろう。

 開発陣や販売元へと抗議をするのも、本気だろう。

 どちらもダメだからと、二次創作という形で救うのも、本気だろう。

 そう、ここまでならば、の範疇だ。


 けれども、ゲームの世界へと行って助けようとした、二十年前の俺のは、本気なのだろうか。いいや、あれはだった。

 ゲームの世界へ行くだなんて事は、マトモな頭の構造をした人間が考える事じゃ無い。


「……ああ、そうか。……俺は、狂って――」


「違うわッ! あなたは狂ってなんかいない!」


 胸の底から溢れた澱みのような呟きは、姉の叫びに遮られ。

 顔を上げれば。静華さんが、ラシャが、テムテムが、姉が、そして白い猫が。皆が俺に、悲しそうな目を向けていた。


「……それなら、俺は。それなら俺は、どうしてこんな事を考えるんだ?

 おかしいだろ? ゲームのキャラクターを、助けたいと思うなんて。でも思ったんだよ、あの時は。そこへ行って、助けられると思ったんだよ! 俺はッ! 俺はあの時に、助けに行かなきゃならなかったんだよッ!」


 家族の前でこんなに叫んだのは、初めてかも知れない。そう思うほどに声を荒らげ、心の澱みをぶちまけた。

 そうして訪れた静寂に、溜め息が一つ、滑り込んだ。


「はぁ…………やっぱり、無理があったわねぇ」


 張り詰めた空気を解すように、苦笑混じりにそう呟いたのは、静華さんだった。


「やっぱりって、なんの事?」


「今までは、その方がいいと思って、黙っていたのだけれどね。実は、ヨシくん。あなたは、ちょっと厄介な、病気……みたいなもの、なのよ?」


 そう言いながら静華さんは、頬に手を当てて困ったように首を傾げた。


 病気……? ……え? いや、だって、今は別の身体だから……あれ?


「……それって、どんな病気なの?」


「そうねぇ。強いて言えば、『英雄症候群ヒロイックシンドローム』とか『救世主症候群メサイヤコンプレックス』が近いかしら」


「英雄……? 救世主……?

 それって、どっちも精神的な問題だった気がするんだけど……」


 だから、身体が変わっても治らない……?


「ああ、違うわよ? さっき言ったどっちも、そのものでは無いのよね。

 ヨシくんの場合は、魂に届いた助けを、無視できないってだけなの。

 それで、この前、刀自とじ様にお願いして、できるだけ原因を除いて頂いたのだけど、やっぱり無理だったみたいね。

 よけいに苦しませてしまったわ。ごめんなさい、ヨシくん」


 いや、そんな泣きそうな顔で謝らなくてもっ!


「あぁ! だ、大丈夫ですよ? 俺はほら、気にしてませんからっ! ね?

 静華さんが、俺の事を思ってしてくれたなら、問題無いですから、ね?」


「……ヨシくん、ありがとう。ごめんなさいね」


 どうにか静華さんを宥められたと思いきや、事態はそれで収まりはしなかった。


「そうよ。母さんが謝る事なんて無い。悪いのは全部、私なんだからっ」


「えっ? 姉さん!? なんで泣いてるのぉ!?」


 生まれて初めて見た姉の涙に、俺はどうしていいかわからず。


「えっと……よくわからないけどさ。ほら。大丈夫だから、な?」


 取り敢えず、小さい頃に姉がそうしてくれたように、優しい声をかけながら、そっと抱き締めて、背中を優しくさする事にしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る