第18話 適格者

 

 

 

 嬉しそうに満面の笑みを浮かべるテムテムと、その頭を撫でる姉。

 ふと気付くと。見習い巫女の少女が、テムテムを尊敬と驚きの目で見ていた。


 彼女達の気持ちも解る。こんなに早く骨を掴むなんて、尋常では無い才能を感じざるを得ない。

 俺の場合は、一月ひとつきと少し掛かったし、早い者でも一日程度は掛ると聞いていた。きっと彼女達も似たようなものだろう。

 それをテムテムは、いきなりの実践でモノにしてしまったのだ。それを目撃したら、平静では居られない。嫉妬といった後暗い感情を抱いても不思議では無いが、その様子も無さそうだし。それだけでも、みながいい子達なのが判る。


 それじゃあ、俺も一つ。ここは基本に返って『縦突き』をいってみようか。


 その前に、この長い髪をどうにかしよう。

 昨日の夜、刀自様に呼ばれた時に邪魔に思って。さらに、風呂に入って洗うのも、その後の乾かす作業にも苦労したのだ。


 昨夜の思い掛けない重労働を思い出してゲンナリしつつ、ポケットを漁って紐を取り出した。

 もういっその事、この髪は短くしようと思っているが、自分で切ると、みっともなくなりそうなのだ。そこは、後で姉か静華さんにでも、オススメの床屋を聞いてみるとして、今は取り敢えず、縛っておこうと言うわけだ。

 とは言え、俺は髪紐もヘアゴムも持ってはいなかった。それでも何か無いかと部屋を捜索したところ。机の引き出しから、この予備の靴紐が発見されたのだ。

 これで良いじゃないかと、ポケットに入れて持って来たのだが、大きな誤算があった。


「縛れない……」


 手で髪を後ろで纏めるまでは問題無いのだが、そこから紐で縛るのが上手く行かないのだ。


 くっ。静華さんやラシャは、毎日こんな困難な事を、事も無くこなしていたのかっ。


 頭の後に両手を回して悪戦苦闘していると、呆れたような声音の姉の声が聞こえた。


「あんた、何してるの?」


「……えっと、邪魔になりそうだから、髪を縛ろうかと思って」


 そう素直に答えると、姉は大きな溜め息をついて、「ほら、やってあげるから、かしなさい」と手を差し出して来た。


「あー、それじゃあ、お言葉に甘えて」


 頭から手を下ろし、持っていた紐を手渡すと、受け取った姉が顔を顰めた。


「何よ、これは。靴紐じゃないの?」


 紛れも無く靴紐なので、首肯する。

 そしたら姉は、もう一度大きな溜め息をついた。


「あんたねぇ。解ってるとは思うけどね? 靴紐は、靴を締め上げるための紐なの。髪を結うための紐じゃ無いのよ。

 髪を結う物が入り用なら、私でも母さんでもラシャでも、誰にでも言えば貸すから、もうこんなもので代用しないでよ?」


「うん。そうするよ」


 などと話している間に。姉の手は淀み無く動き、俺の髪をするすると纏めて捻って、先の方を紐で縛り終えていた。


「はい、お終い」


 姉が髪から手を離すと、重力に従って落ちた髪の先が、太腿ふとももの裏にぽふっとあたった。

 背中に手を回してそれを手繰り寄せてみれば、蒼みがかった銀髪の三つ編みが出来上がっていた。


「おおっ」


 思わず感嘆の声がこぼれた。こんな短時間で凄いなと、その手際に素直に驚いた。

 そもそも、俺には三つ編みにするなんて発想すら無かったよ。


 後ろ髪はこれで良し。後は、顎にかかるくらいに長い前と横の髪だが。


「前髪は、取り敢えず耳にでも掛けときなさい。そんなに激しくは動かないんでしょ?」


「ああ、そうするよ」


 姉のアドバイス通りに、指で前髪を掻き分けて耳に掛けた。

 なんだか実に女っぽい事してる気がする。せっかく性別が男に戻ったのにな。


 少し複雑な気分になったが、髪の問題が解決した事だし、本題に移ろう。

 三つ編みを後ろに払い、モクテキの前へと進み、足を止めた。


 モクテキまでの距離は、一歩と半。一歩踏み出せば、手の届く距離だ。半歩踏み込めば、足が届く。

 間合いは、良し。

 では。軽くとは言え、久しぶりの鍛錬だ。手順を確認しながらいくか。


 息を整え、身体から余計な力を抜く。脱力だ。力めば、それだけ動きを阻害する。筋力は、お呼びじゃない。

 余計な力が抜けたら、意識するのはほねだ。動かすのは筋肉ては無く、骨その物だと心に刻む。


 そうして繰り出すのは。

 先程テムテムが行った、『膝抜き』からの『滑歩かっぽ』、そして『縦突き』。ここまでの違いは、拳がやや打ち下ろしになるくらい。


 だが。突き出した拳が、モクテキに当たったその瞬間からは、テムテムのそれとは別物だ。

 俺が放つつもりで居るのは、基本である縦突きの、その先に在る奥義。


 滑歩かっぽからの縦突きが、モクテキを強かに打った。

 体重と、それが生み出す運動エネルギーを、一点に乗せて突き出した拳が、巻かれた藁縄へと突き刺さり。拳に感じたその衝撃が、骨を伝って己の身に返って来る。

 痛みは無い。衝撃は、筋肉に正しく保持された骨のその芯を、なめらかに過ぎて行く。

 拳から腕、腕から背中、背中から後ろ足へと抜けてゆき。最後に、踏み込みの軸にしていた左足の裏へと届いたその瞬間、前へと踏み込んでいる右足へ、重心を移して地面を踏みつけた。


 すると。小さく軽い何かが、身体の内で弾ける衝撃を覚えるのと同時に、


 ミシャッ


 そんな、何か湿った固い物が潰れてひしゃげる音が、藁縄の中の丸太から聞こえた。


 それとほぼ同時だった。モクテキの、拳を突き立てた箇所から上が、ゆっくりと手前に傾いたのは。

 巻かれた藁縄に損傷は無く、そのお蔭で傾いただけで落ちて来る事は無かったが、中の丸太は確実に折れている。


 狙っていた奥義の『浸壊しんかい』が、成ったのだ。


 突きを放った姿勢のまま一歩下がり、残心。

 した結果を認めながらも周囲に気を払い、対処すべき驚異が無い事を確認して、細く息を吐きつつ構えを解いた。


「…………」


 さて。今朝の目的だった、身体の調子をみ終えたわけだが……これは酷い。なんだコレ。驚きで、言葉が出ないぞ。

 昔は、それこそ一番鍛錬をしていて全盛期と言えた高校時代でも、こんなに容易く『浸壊しんかい』なんか成功しなかったっての。

 血が滲じみ出るほどに鍛錬を重ねて、身体に覚え込ませて。集中して、無心になって。そうして、最高の状態でもって、ようやく成せた技だったのだ。

 それが、こんな、動きを一つ一つ確認するような余裕まで残して、あっさりと出来てしまうなんて……。


 色々と受け入れ難い感情に対して、自分の華奢な手を見詰めて苦悩していると。


「あんたも、ちゃんと出来たじゃない。覚えてたのね、教えた事を」


「覚えて、いた……?」


 意外な言葉に、疑問を呟きながら振り向けば、姉が嬉しそうに微笑んでいた。


「そうよ、覚えていたの。

 よく言う『身体が覚えている』ってのはね。何も肉体に限った事では無いの。例え肉体を失っても、心が――魂が覚えているのよ。

 確かに、今のその身体の性能が、前と比べて格段に高くなっているのは事実よ。でも、それをきちんと使っているのは、正義まさよし、あんた自身の魂なの。

 だから、変に卑屈になる必要なんて無いのよ?

 そもそもの事として。本来なら、生まれてからずっと使い続けた肉体より上手く扱える身体なんて、他に有り得ないんだから」


 そう、なのだろうか。

 身体の性能がこれだけ良ければ、誰だって同じ事ができるんじゃないか?

 例えば、姉の隣で驚きの表情を浮かべて折れたモクテキを見つめている、あの愛らしいイヌ耳少女とか。

 そうだな。テムテムなら、この身体を使えば、もっと簡単に使いこなせそうだ。

 それだけじゃ無い。姉の言った理屈なら、元々この身体の持ち主だったユスティアが一番上手く扱えるはずだ。この肉体を、相当に長く使っていたんだから。


 そんな俺の思考を察してか、姉が呆れたように言葉を続けた。


「その顔は、納得できていない顔ね。

 そうね。これは例えばの話だけど、世界最高峰のカーレスで、デビュー戦から十年間、予選を含めてただの一度もトップを譲った事が無い。そんな完全無敗のチャンピオンが居たとしたら、どう思う?」


「どう思うって、そりゃあ……」


 予選を含めて一度もトップを譲らないってのは、現実には有り得ないな。カーレースってのは、ドライバーの技量と同等かそれ以上に、車の性能やコンディションが重要なのだ。どんなに凄腕のドライバーでも、故障して走らない車では速さを競う以前の問題だからだ。

 ただ、これはあくまでも例え話だ。姉もそんな事が聞きたいんじゃ無いだろう。なので、その辺の前提は度外視するとして。


「……天才、だと思う。それも不世出の。

 きっとレース史に名を刻んで、ずっと語り継がれるんじゃないかな、最速のドライバーの代名詞とかになって」


 俺の答えに、姉は満足げに頷いた。


「そうね。無敵の大天才よね。

 でも、レーシングカーに乗れば無敵のチャンピオンが、それよりも早い乗り物に乗ったとして、それでも無敵で居られるかしら。

 具体的に言えば、ジェット戦闘機に乗っても、チャンピオンはトップガンになれるのか、って事よ」


「それは……どうだろう」


 世界中から腕自慢が集まるレースで、十年もの間、一度も前を譲らないなんて事は、相当に高い能力が必要だ。

 強い横Gよこジーに耐える体力。コンマ何秒という刹那の瞬間に、様々な事を考え判断する頭脳。そして、それらをスタートからゴールまで維持して、さらにそれを十年間も続ける精神力。

 そのどれもが超一流の最高水準で備わっているのだろう。

 ならば、操縦する物が車から戦闘機へ変わったとしても……。


「俺は、いい線行くと思うけど」


 そう答えれば、姉は不敵な笑みを浮かべた。


「そうよね。には行くとわよね。

 それはつまり、一緒に操縦訓練を始めた他の同期のパイロット候補生が居たとしたら、その中でトップクラスの成績を修めそう。て事で良いのよね?」


 それは……うん。そう、だな。


「そういう事になるんじゃないか? 並のパイロット候補生と比べたら、好成績を残しそうだし」


 てか、姉はいったい、何を言いたいんだ?


 そんな俺の思いを察してでは無いだろうが、姉の話は佳境へと向かい始めたようだ。


「つまり。どんなに凄いと思う者でも、新しい事を始めるには、相応の練習を積んで慣れる必要がある。その過程がどれ程に優れていようと、それがなの。

 でもね、正義まさよし。あなた、その身体になってから、何かを練習してる? 何かを不自由に感じて、それを克服するために」


 そう言われてみると、この身体で不自由に感じた事は……あるな。


「あるぞ。トイレ……は、刀自様のお陰で問題が無くなったけど、あと、この長い髪とかは、今現在進行形で困って――ぐぅッ」


  思った事を言っていたら、なぜか姉の手刀に俺の頭が襲われたんだけど!?


「ちょっ、なにすんだよ痛いだろっ!」


 ズキズキと痛む頭を抑えて抗議するも、姉から返って来たのは謝罪などでは無く、背筋がゾクリとするほど冷たい視線だった。


「話の焦点がズレてんのよ、あんたの言ってる事は。

 髪が長いのもちんちんが無かったのも、その身体特有の事じゃ無いわよね。前の身体でも、髪をのばしてちんちん取れば、同じでしょうが。違う?」


「いいえっ!違いません!」


 何かをもぎ取るように右手を動かす姉にを見て、姿勢を正してそう答えれば。

 その答えに満足したらしく、姉は鷹揚おうように頷いたて、視線の温度を戻した。


 あ、危なかった。危うくまた息子ジュニアと生き分かれるところだったぜ……。


「はぁ……。まあいいわ。

 結論を言うとね。あんたは、言わばその肉体の適格者なのよ。

 さっきの例えだと、無敗のレーサーのレーシングカーがそうであるように、あんたはその身体を使う事に適しているの。

 ついでに言えば、その肉体が神を降ろした事で、元の持ち主のユスティアは、その肉体には適さなくなった。その結果、あんたがその身体を一番上手く使いこなせると言ってもいいわね。刀自様に調整もして頂いた事だし。

 まぁ、とにかく。身体の性能が高いとか低いとかは、また別の話。あんたに適した身体が、たまたま超ハイスペックな肉体だった。それだけの話なのよ。

 だから、狡い事をしてるんじゃないか、なんて、罪悪感を感じる必要なんてないの。胸を張りなさい」


 そう、なのだろうか。

 あまり考えないようにしていたが、俺がユスティアを救うなんて勝手な理由で、彼女の肉体を奪った事は、事実なのだ。あの時、既にユスティアの魂が肉体を離れていたからとしても、この事実は変わらない。

 それなのに、俺の方が適しているといって、我が物顔でこの身体を使い続けても良いのかと、今更ながら思うのだ。


 なぁ、ユスティア。お前は、こんな俺を許してくれるのか? 

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