第17話 一撃
気を取り直して、モクテキへと藁縄を巻いていく。
地面から2m程の高さで、太さは両手で掴める程度の丸田の、人に見立てて胴体にあたる高さに、一本二本と、重ねて巻く。
そうして五本が巻き終わると、湿地に生えるガマの
「意外と覚えてるもんだな」
約二十年ぶりにした作業だが、手間取る事もなく負えられた。こんな時、普通なら身体が覚えていたとでも言うのだろうが。俺の場合は身体が変わってるから、なんと言ったらいいものか。
などと愚にもつかない事を、藁縄を巻き終えたモクテキを前に考えていると、後ろに居る姉に声を掛けられた。
「
振り返ると、向かって斜め左へ数mほど離れた場所に姉とテムテムが居り。腰に手を当てた姉の横に立つテムテムは、小さな手を胸の前で握り締めて、きりりと表情を引き締めていた。
その両手には、薄手の黒いパンチンググローブが嵌められいる。今着ている小豆色のジャージの上下と同様に、ラシャから借りたのだろう。
つまり姉は、先にテムテムに使わせたいのだ。
「ああ、構わない。テムテムが使うんだろ?」
「ええ。
「そっか。なら、どうぞお先に」
こっちは急ぐ訳でもな無いし。
モクテキの前を空けて、俺が姉の居る所まで下がるのと入れ替わるように、姉に伴われたテムテムが、モクテキの前へと立った。
「それじゃあ、そうね。最初は、自分が殴りやすいように殴ってみなさい」
横に立つ姉の指示に、テムテムが振り向いて、不思議そうに小首を傾げる。
「さっき、教わった、ツキ。やらない、ですよ?」
「うん。最初は、ね。
その次に、教えた『
「あい!」
びしっと手を挙げて、元気なお返事を返したテムテムの様子を見て、姉は頷いた。
「さぁ、あの縄が巻かれている所の真ん中あたりを叩くのよ」
「あい!」
元気なお返事の後、モクテキに手の届く距離まで、てこてこと歩いて近付いたテムテムは。握った右手を顔の横に持っていき、そこから巻かれた藁縄へと左足を一歩踏み込み、握った右手を突き出した。
テムテムの目線の高へ繰り出されたそのパンチは、ぺちっといった音が聞こえそうな程に、弱々しい猫パンチだった。
下半身は棒立ちで、左手もだらりと下がっている。あれではパンチというよりも、強いノックだな。
そんな猫パンチを放った当人である、イヌ耳でオレンジな髪の少女は、パンチを放ったままの右肩越しに姉の顔を伺っている。
「うん。それじゃあ、次は教えた通りに、『縦突き』をやってみて」
姉は、猫パンチの事には触れず、次の指示を出した。
そんな姉を不思議そうな顔で見つつも、テムテムは「あい!」とお返事をして、元の位置へと戻った。
そして、左足を一歩引いて腰を落とし、
小指を軽く握った左手は、脇を締めて腰の横に。右手は、左手と同様に軽く握った
「へぇ……」
思わず感嘆の声がこぼれた。
さっきの猫パンチが殴りやすいって事は、テムテムはズブの素人なはずだ。にも関わらず、今のこの構えは、とても教わったばかりとは思えない程に整っている。
さすがに馴染んではいないが、それもそう時間も掛からずに馴染むのだろう。
そんな風に俺が感心している内に、テムテムが動いた。
膝の力を抜く『膝抜き』と呼ぶ、初動の動き。重心を故意に傾け、その移動する位置エネルギーを利用した、後ろ足で地面を蹴るなどの予備動作を必要としない動き出しの技だ。
その『膝抜き』から前に一歩踏み出した右足が、地面に着いたかと思った次の瞬間、再び前へと滑るように進み。テムテムの身体は、先程は歩いて進んだ距離を、実質一歩で詰めた。
奇襲に向いた、『
まだ少しぎこち無いくはあるが……鈍っている今の俺よりも、滑らかかも知れない。
モクテキの直前まで踏み込んだテムテム。姿勢は、足を大きく開くことで腰が地を這うように低く、身体は開いて真横に向いている。
その姿勢のまま、左腕を胴に引き寄せ。右足を踏みしめると共に、前に出していた右の拳を巻かれた藁縄へと向け、斜め下から突き上げた。
ズン、と重い音が聞こえた。テムテムの右の拳が突いた、巻藁状態の
とても初めての一撃とは思えない、体重が良く乗った見事な『縦突き』だ。
「うん。上出来よ、テムちゃん」
明るい声で姉が告げたのだが。テムテムは、巻かれた藁縄に突き立つ自分の拳を見つめて固まったまま、動かない。
どこか怪我を、と思いかけて、そうでは無いと気付いた。俺にも今のテムテムと似た状態になった記憶があったから。
まだ子供の頃、姉に教わりながら縦突きを何度も練習して、そうしてやっと綺麗に縦突きが決まった時の事だ。その重い打撃音とは裏腹に、身体に返って来るはずの反動が、それまでと違ってビックリする程に感じられなかっのだ。
きっとテムテムも今、あの時の俺と似た驚きを感じているのだろう。
それを解っている姉も、テムテムの驚きが収まるのを見守る事にしたようだ。
そうして少しの間じっとしていたテムテムが、再び肩越しに姉を見た。その顔には、驚きと疑問の色が同居していた。
「どう? 思い切り突いたけど、どこか痛い所はある?」
姉に問われたテムテムは、ゆるゆると首を横に振った。
「うん。それでも、もう一度同じ事をできる?」
視線を上に向けて少し考えたテムテムは、今度は首を、縦にこくこくと振った。
「どうやらテムちゃんは、今の一回で、
「あい! コツ、です!」
きっと会話の意味は、あまり解っていないのだろうが、それでもテムテムは、たった一度の縦突きで、拳打の骨を掴んだようだった。
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