第16話 女子

 

 

 

 俺の実家は、神社である。

 多くの神社が加盟している神社本庁とは別系統ではあるとかの、小難しい話は横に置いておくとして。

 神社である我が家の朝は、比較的早い。日の出前から起き出した巫女さんや見習い巫女さん達が、境内のあちこちで活動している。境内や本殿の掃除をして清める人数が一番多く。次に多いのは、自分達巫女の宿舎での、朝食の用意や掃除洗濯といった家事仕事だ。

 それが、ここ三椿神社みつばじんじゃで『白巫女しらみこ』さんとその見習い達が見せる、の朝の風景だ。


 では、裏はどうかといえば。残りの、一部の『紅巫女べにみこ』さんとその見習い達は、巫女さん達が寄宿している『巫女舎』の北の林の中に作られた広場で、鍛錬を行うのだ。


 俺も高校時代までは、そこで姉と一緒に鍛錬をしていた。今朝は昔を思い出して、俺も軽く身体を動かして、調子を見ようと言う訳だ。


 家を出て、東へ進んで林の中を行くと、数分で開けた場所に建つ館の横合いに到着した。『修練館』と呼んでいる、小規模な体育館ほどの建物だ。

 中から巫女さん達であろう動き回る複数人の気配が微かに感じられるが、しかし中の精心オド精霊マナは、ここからでは何かに阻まれて観る事はできない。きっと、巫女舎や本殿、それに俺達が生活している『母屋』と同様に、外からは覗けないような結界的な何かが施されているのだろう。


 今朝の俺は、中に入って本格的な稽古に混ざるつもりは無い。用があるのは、ここの裏に設置された簡素な設備だ。


 修練館の北側――裏庭へ回ると、そこには剥き出しの地面に、細めの丸太が等間隔で何本も突き立てられている。人の背丈ほどの長さがあるこれが、俺のお目当ての設備。

 名前は……何だったかな? たしか、『モクテキ』って皆が言ってたと思う。漢字だと『木敵』とか『木的』とかって書くんだろうか。


 そんな『モクテキ』は、素手や武器を使った打撃技での打ち込みの基礎を覚える段階で使うのだが、そこには先客が居た。濃緑色の袴を履いた、歳若い巫女見習い達の数人に加えて、動きやすそうな服装の姉とテムテムだ。


 家の中に精心オドが観あたらないと思ったら、ここに居たのか。


 不思議に思っていた事の答えに納得しつつ、俺は修練館の裏に建てられている物置小屋へと向かった。

 小屋の中には、外の修練で使う道具がしまわれている。

 木刀や木槍に、杖や棍など、基本的な木製の武器が置かれていて。その壁際の隅に積まれている藁縄を五本ほど取り、小屋を出た。


「おはよう」


 モクテキへと歩きながら朝の挨拶を口にすると、姉とテムテムだけでは無く、その近くに居た見習い巫女の少女達も、鍛錬を中断してこちらを向いた。


「おはよう、正義まさよし

「おはよう、です!」


 姉とテムテムに続き、横一列に整列した五人の見習い巫女の少女達も、「おはようございます、若さま」と揃って頭を下げて来た。

 彼女達は、俺が実家から離れている間に、新しく加わった子達だ。

 静華さんから、写真付きのデータを見せられて、新しい子が増えとは聞いていたが。

 昨日の春さんの班にも居なかったし、こうして直接会って言葉を交わすのは初めてだったのだが、この対応は、ちょっと困る。


 彼女達の俺への呼び方を聞いたテムテムが、小首を傾げながら姉に「わかさま?」と聞いて、姉が「正義の事よ」と答え。結果、テムテムは、「マサヨシわかさま!」などと納得顔をして呟いているし……。


「あー、うん。おはようございます。

 ただ、ね? 俺も、もう三十路なんでね。その『若様』ってのは、勘弁してもらいたいかなぁ」


 苦笑しながらそう告げると。少女達は、困ったように顔を見合わせ。やがて彼女達の中で一番年嵩らしい、真ん中に立つ中学生ほどに見える少女――たしか名前は、海雫みしずだったと思う――が、おずおずと口を開いた。


「はい。……ですが、その。お姉さま方からは、そのようにお呼びするようにと、言い付かっておりますので……」


 肩の辺りで切りそろえた黒髪で、気の強そうな顔立ちの女の子が、心底困ったように眉根を下げて言葉を濁す様子は、心に来るものがある。

 しかも、他の子に目を向けると、みな同様な様子で、中には目に涙をためて、今にも泣き出しそうな子まで居るではないか。


「こら、正義。この子達を泣かせたいの?」


 そんな事を言ってたしなめてきた姉だが、見れば目元がが笑っている。俺の反応を楽しんでいるのだろう。


 姉に言われるまでも無く、俺はこの子達を泣かせたい訳では無い。


「えっと、ごめん。さっきのは無しで。好きに呼んでいいから」


 そう伝えると、少女達はほっとしたように、安堵の笑みを浮かべ、「ありがとうございます、若さま」と、揃って頭を下げた。


「じゃあ、鍛錬に戻ってくれて。手を止めさせちゃって、悪かったね」


「ありがとうございます。では失礼します」


「「「「しつれいします」」」」


 そう礼を口にして、もう一度頭を下げた少女達は、きびすを返し、再び鍛錬へと戻っていった。

 彼女達は、無手での構え方を覚えている段階らしい。年下の四人の構え、年嵩の海雫みしずがそれを見て正しい姿勢を指導する、といった具合だ。


 そんな様子を、微笑ましく思いながら見ていると、姉が隣に並び、話し掛けてきた。


「懐かしいわね。私もよく、ああやってあんたの構えを直していたわ」


「ああ、そうだな。もう、だいぶ昔の話だけどな」


「それで? こんなに早く起きて、どうしたの?

 まぁ、だいたいの察しはつくけど」


 横目に姉を伺えば。その視線は、俺の手に握られている藁縄へ向いていた。


「目が覚めたら、身体の調子が思ったより良くってさ。

 朝飯まで時間があったから、軽く打ち込みでもして、調子を見ようかと」


 手にした藁縄を軽く上げながら答えつつ、地面から生えるモクテキへと視線を向けると、姉は納得したように頷いた。


「こっちも似たようなものよ。

 寝る前に、母さんとラシャも一緒に女子会してたら、テムちゃんが身体を動かしたいって言い出してね。明日にしようって言い聞かせてから寝たんだけど、そうしたら凄く早起きしちゃって」


 テムちゃん? これはまた、たった一晩の間に、ずいぶんと仲良くなっもので。それはあれか? 女子会の効果なのか?

 ん? いや、ちょっと待て。


「なぁ。女子会して仲良くなったみたいだけど、それは良いとして、なんで身体を動かしたくなるんだ?」


「なんでって、それは……」


 姉は、『え?それ聞くの?』とでも言いた気な顔をして、チラリとテムテムを見た。

 俺も釣られてそちらへ視線を向けると、俺を見つめていたテムテムが、


「きのうの、マサヨシわかさまが、かっこよかったから、ですっ!」


 と、目をきらきらさせながら両手を握りしめて、元気に宣言してきた。

 そんなテムテムの言葉を継いで、「と、言うわけよ」と説明を省いた姉なのだが、その顔には『詳しく聞きたい?』と、太字で書かれていた。

 俺は知っている。この顔をした姉の誘いには、乗ってはいけない事を。


 テムテムが言う昨日の俺とは、ゲリベン1号を地面に叩き付けた、アレの事だろう。

 あんなのは、カッとなってやっただけで、何も褒められたもんじゃ無い。鍛錬も長いこと怠ってたから、動きも身体の性能に物言わせたごり押しだったし。

 それなのにテムテムは、今の調子で身振り手振りを付けて姉たちに力説していたのだろう。

 俺の無様な暴力なんかより、春さん達の方がよっぽどスマートでカッコよかったはずなのに、だ。

 あぁ。その様子が、ありありと目に浮かぶ。


 いくら用意に予想がついても、今の時点では、まだ予想だ。そして、これ以上この話題を続けたら、そんなほぼ事実であろう赤面ものの予想が、本当に事実であったのだと、確定してしまう。

 しかし、だ。例えほぼ事実であろうと、当事者達から直接聞かなければ、それはまだ事実では無い。俺の想像でしか無い可能性が残されるのだ。

 姉の言った昨日の女子会とやらで、俺はどんな風に言われていたのか。正直に言えば、気になる。気にはなるが、それでもこんな返事をする事しか、俺に選択肢は無いのだ。

 

「……なるほどな。それじゃあ、身体を動かすか」


「はい! うごかす、です!」


 よし、テムテムの気は逸らせた。これでもう、女子会に関係した会話は終わりだ。


 びしっと手を上げて元気なお返事をして、きりりと口元を結んでいるテムテム。そんな彼女に頷きを返した俺は、会話を切り上げ、藁縄を巻くべくモクテキへと歩き出した。


 後ろからくすくすと、姉の堪えようとして失敗した、いまひとつ忍べていない笑いが聞こえるが、気にしない。

 逃げ出したと、笑いたくば笑うがいい。これは逃げたのでは無いのだ。単なる転進なのだ。

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