第14話 鬼の長

 

 

 

 鬼来合きらいごうという集まりがある。

 場所も期間も臨時で決まる、集会だ。ただし、参加者だけは、決まっている。日本を三つに分けた地域を修めるそれぞれの『鬼のおさ』が、一人でも臨席していなくては、鬼来合とは呼ばれ無い。


 関東甲信越以東の鬼の長。悠久の鬼と呼ばれるそのお方は、嘘か誠か飛鳥時代以前よりこの国に御座おわすそうで。

 ただ、ちょっと調べれば、同じ名前の人物が、その時代の歴史に記されていたりする。


 俺が、の御方にお会いしたのは、小学生になるかといった時分だったと記憶している。

 お会いしたと言っても、御簾みす越しでの対面し、一言三言の言葉を交わしただけでだったので、そのお姿は影としてしか見て取れはしなかったが。

 とは言え、あの御方がそこに在るだけで、その空間が異界のように感じ。声を発するだけで、心が揺り動かされたのは、記憶に刻まれている。心底からの、深い畏敬の念と共に。


 その日の晩から、しばらく夜一人で寝れなくなったりもしたが、お陰で姉が怖く無くなったのは、唯一と言っていいあの時の好い想い出だ。

 あの御方と比すれば、大抵の事は鼻で笑える。けれど、なるべくならあの御方を引き合いに出したくは無いのだが。今でもチビりそうだから……。


 そんな、思い出すのも憚る彼の御方に、呼ばれてしまったよ。鬼来合に。


 呼ばれたのは、俺とテムテムの二人だけ。

 今回の議題の当事者なので、呼ばれるのは当然といえばそれまでだが、できれば遠慮したかった。

 呼ばれずにほっとしていた姉へ、思わず恨みがましい目を向けてしまったけど、俺は悪くないと思う。


 これからの事を思うと憂鬱だが、落ち込んでばかりも居られない。

 俺の隣には、何も知らずに忙しなく辺りを見回しているテムテムが居る。時代掛った造りの、この本殿が珍しいのだろう。

 この無垢な顔が、もう直ぐ恐怖に固まるかと思うと、何とかしなくてはと思うわけで。

 まぁ、彼の御方を前にして、俺が容易く何かを出来るとは、思えないのだが……。


 そうこう思案している内に、燭台を手に先導してくれていた濃緑色の袴を履いた見習い巫女さんが、並んだ襖の中程で足を止めた。


「それでは、私はここで」


「うん、ありがとう。ご苦労さま」


 頭を下げてそう告げた彼女に、労いの言葉を掛けて、彼の御方が御座すであろう御座所ござしょとを隔てるふすまへと向き直り、膝を着く。


「ほら、テムテム。こっちに来て、俺の真似をして」


 顔を上げずにその場で留まっている見習い巫女さんへ、同様にぺこりとお辞儀をしたまま『あれ? まだお顔上げないの? 』と言いた気な顔でチラチラと見習い巫女さんを上目遣いに伺っていた彼女を、手招きして呼び寄せる。


「あいっ!」


 元気なお返事をして、テムテムは俺の左隣へ来ると、板張りの廊下に正座した。誰かに教わったのか?


 でも、板張りの廊下は痛いから、ここはしゃがむだけでも良いのだが。

 まぁ、良いか。正座の方が正しくはあるし。


 浮かんだ苦笑をおさめ、深呼吸を一つ。背筋を伸ばし、気合を入れて、襖の向こうへと声を掛ける。


正義まさよし、並びにテムテム。お呼びに預かり参上いたしました」


 慣れない言葉遣いで声掛けをすると、中から「入りなさい」と、短い促しが返って来た。

 静佳さんの声だったが、普段の緩さが無い。否が応でも緊張が高まる。


 テムテムへ目配せし、「今からここを開けるから。入る時は、俺の真似をしてね」と小声で手早く告げた後、襖へと向き直る。

 左手の指をを取っ手に掛けて、少しだけ開けると、隙間から行灯の虚ろな明りが、暗い廊下へと漏れい出た。

 その明かりに沿うように手を下ろして行き、淵に指を掛けて身体が半分位の位置まで開け。手を右手に変え、取っ手にの指を掛けて身体が入る位の幅まで開け、顔を伏せる。


「失礼致します」


 顔は伏せたまま。軽く握った拳を室内の畳について、敷居を越えて膝行いざり入り、頭を下げて一礼。そのまま顔を上げずに、テムテムが入れるよう、膝を着けたまま右へと退いた。


 んー、和室だと髪が長過ぎて邪魔だなぁ。来る前に、縛るか切るかしてくれば良かった。


「うぅ……し、しぃつえ、ます!」


 少々の躊躇いの後、テムテムは元気に断りを入れ、俺を真似て入室した。

 真似たと言っても、後ろからでは良く見え無かったのだろう。膝を着いたままなのは良かったが、畳にぺたりと手を着いて、ずるりと身体を引き入れていた。まぁ、うん。これは、キチンと説明しなかった俺が悪いな。

 ごめんなテムテム、でも今はガンバれ!


 顔を伏せたまま、横目で見つつ心の中で謝罪と声援を送っていると。俺の真似をしようと頑張ったテムテムは、俺の横へとずるずると移動して、ピタリと寄り添ってしまった。


 あー……そっか。そうなるか。


 開けたままの襖は、外に居た見習い巫女さんが締めてくれた。

 なので、後は御前へと進むだけでいいのだが、こうもピタリとくっつかれてしまうと、動きづらい。

 かと言って、頭は下げたままで、顔をくるっとこちらへ向けて、『じょうずにできた!』とばかりの渾身の笑顔を見せるテムテムに、離れてくれとも言い難い。

 さて、どうしたものか。入室早々、俺ってばピンチです。


 と、いかんともし難い状況に頭を痛めていると、広い室内の正面奥――御簾の降ろされた御神座ごしんざから、涼やかなれど柔らかな笑いが、くすくすと聞こえて来た。

 そして、


い。儀礼は免除す。

 さ、此方こなたへ寄りぃ。顔を見せぇ」


 と、潔麗けつれいな女声に促された。


 なんだか、俺の記憶と違う。あの時はもっと、こう、冷水に漬けられたような感じがした筈なんだが……。

 あ。もしかして、テムテムが怯えないようにか?


 おっと。そんな考察は後だ後。早く御前に参らねば。


「……では、お言葉に甘えさせて頂き、失礼致します」


 もう一度深く礼をしてから顔を上げ、立ち上がる。


「テムテム、刀自とじ様がお呼びだから、前に行くよ」


「あいっ!」


 手を差し出してテムテムを立たせると、そのまま手を引いて、左右に等間隔で並ぶ飾り行灯が薄く照らす室内を、畳の淵を踏まないように気を付けつつ静かに歩き。

 そうして、御神座の2mほど手前に座る静佳さんの横まで進み、二人並んで正座した。

 テムテムは、またもや左側にピトッとくっ付いている。うん。まぁ、良いんだけどね。


  御神座へと顔を向けると。御簾の奥の行灯の明かりに照らされて、刀自様の影が角の丸い三角状に、ぼんやりと浮かんでいるばかりて、その御様子は伺え無い。


「ふむ。では、も言葉を崩そうか。もう会合も終わったのだしな」


 そんな独り言とも取れる前置きの後、刀自様の話が始まった。

 刀自と静佳さんしか居ないと思ったら、もう終わってたのか、鬼来合。


「先に、会合の結論を伝えておこう。

 狼藉者共は、応報の刑だ。そこな幼子――タムタムか春が移した苦痛を、その時の記憶諸共に、そのまま奴等に転写する。己等がしでかした事を、そのままおのが身で味わうといった寸法だ。

 ああ、記憶と言っても、主体は感情だがな。少女の記憶をそのまま写す訳にも行くまいよ。

 ついでに、検疫代わりに移した病の元も、感染力の弱い物は写す。これは、マサ坊への狼藉に対しての罰だな。まぁ、苦しむだけで死にはすまい。」


 ……春さんの、あのおまじないって、そんな事まで出来るのか……おっかない。


「主犯のボケナスの家の方は、関西らしくてな。これは、夜間刀ヤマトの奴等に対処は任せた。厳にせいとは言っておいたが、もしもぬるかったら、静佳が出張る事になるな」


 ヤマトは確か、関西方面の『鬼』に関した事を仕切る組織だったよな。てことは、あのゲリベンどもは、関西からわざわざこっちまで来たのか?

 何を考えてか知らんが、よっぽど暇だったんだろうか。


 それにしても、静佳さんが出張るって。そこまでするのか。


 チラリと横目で伺えば、静佳さんは実にイイ笑顔を浮かべていた。……ヤル気満々のようですね。はい。


「で、だ。テムテムが落ちて来たのは、愛宕山あたごやまらしくてな。管轄で言えば夜間刀なのだが、奴等は此度の渡界とかいを見逃し、テムテムを危険に晒しよった。拠って、こちらで保護する運びとなった。建前ではな」


 ん? 建前では? なら、本音の方は?


「実情として、そんなにお主に懐いておるのに、引き離すのは不憫であろう?

 であるから、テムテムはお主らが面倒を見よ」


 ああ、そういう事か。

 隣を見ればテムテムは、話の内容は解らなくとも、細く華奢な指で俺の服をぎゅっと握りながら、真剣な顔で聴いている。

 我ながら、なんでこんなに懐かれたのかは謎だが、こんな状態の子を引き離すなんてのは、無いな。


「これにて、お主らに伝える会合の結論は、終いだ」


 刀自様の締めの言葉を聞いて、この緊張の時間も終わりかと、小さく息をついた。

 だが、そんなに俺の心の隙を突くように、刀自様は言葉を続けた。


「ところでマサ坊。お主、愉快な事になっておるな」


「え……」


 お、俺? なんだろう、この圧倒的な捕食者に目を付けられた感は。絶望しかないんだが……。


「どれ、が良く観てやろう」


 そう言った刀自様の声は、潔麗なままだったが、その声色は、お気に入りの玩具を見付けた幼い子供のそれだった。


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