第12話 心の声

 

 

 

 精心オドってものは、不思議な物で。良く観ると、どんな心理状態かが、何となく解る。

 穏やかに脈動していれば、心も穏やか。激しければ、その逆、といった具合に。

 他にも、色合いや明暗に濃淡と清濁などの観え方から、様々な情報が読み取れる。今のところは、直感的な解釈だが。


 その直感的な解釈で言えば、ここに居るグレーの男を含めたチンピラどもは、暴力と性欲を期待して、興奮しているらしい。

 さっき俺に向かって『ケダモノ』とか言ってたが、コイツらの方が余程に『ケダモノ』だろうが。こんなに判り易く獣欲に塗れてるんだから。


 俺にそんな感情を向けて来るのは、虫唾むしずが走るが、納得はしやすい。外見だけ見たなら美人だからな、この身体は。

 だが、同じような感情を、仲間の筈のイヌ耳少女へも向けているのが解せない。

 彼女を見た時の男どもの精心オドの反応は、俺へのそれよりも執着が弱いが、濃度が濃い。

 察するに、『何度も味わったから目新しさは無いが、その分だけ楽しんだ味を具体的に思い出して反芻してる』ってなトコだろう。

 つまりここに居るクズどもは、まだ幼さの抜け切らない彼女に、そういった事を日常的にしていたのだ。

 グレーのスーツの男に呼ばれ、その隣に立って俯いた彼女。その頭の上の耳が、後ろ向きに伏せられて小さく震えているのは、怯えているからだ。


 初めから、彼女が男達の仲間だとは思ってなかったが、これは酷いな。胸糞悪い……。


「はぁ……」


 思わず溜息をついてしまった。グレーの男が怪訝な顔をしたが、知ったこっちゃ無い。


 どんなにゲスな事でも、妄想して楽しむだけなら、まぁ文句は言わんよ。俺も含めた誰にでも、後暗い感情や欲求は多少なりともあるんだろうし。

 だけどな。そんな、誰かの下痢便みたいな行為を自慢気に曝されたら……話は別だろうが。


「おい、どうした? 同種の哀れな姿を見て、自分の末路を悟ったのか?」


 グレーのスーツが何か言ってるが、無視だ。

 そんな事よりも、


「その女の子に酷い事をしてるようだが、そんな事して許されると思ってるのか?」


 俺の問を聞いて。グレーのスーツの男――もうゲリベン1号って呼ぶか――は、ぽかんと口を開けて間抜けヅラを晒したかと思うと、いきなり笑い出した。

 それは周りを囲む他のゲリベン達も同様で、大爆笑が始まった。


「くくくっ、許されると思ってるのかだって?」


 ゲリベン1号は、笑い声を堪えながら下卑た嗤い顔で問い返してきた。


「……ああ、そう聞いた」


「そうかそうかぁ。いやぁ、オバカな質問だったから、笑ってしまったよ。面白い事を聞くもんだ。

 許されると思ってるのか、か。ああ、思っているが?

 この犬女は、地元で見付けてからこうして遊んでるが、実際にこうして許されてるしねぇ。

 なにせコイツは、この国の国民じゃないんだ。だから人権も無いし、法律にも引っ掛からない。だからどんな扱いをしても、許されるんだよ。

 こんな事をしてもな!」


 悦に入って持論を垂れ流していたゲリベン1号は突然、隣に立っていた少女の腹へ膝を蹴り入れた。

 そんな事をされては、少女は堪らない。


「グげェッ」


 胃の内容物を吐き出しながら、お腹を抑えて蹲ってしまった。


 あぁ、失敗した。彼女を無駄に傷付けてしまった。

 こんなヤツラに問答は無用だったのだ。


 そう届かぬ謝罪をしながら、冷えて行くのを感じていた心に、声が届いた。


〔 たすけて あげて 〕


 それは、かつてはゲームの中のキャラクターでしか無かった少女で、今は俺の中で殻に閉じこもっている、ユスティアの声だった。

 儚く揺れていたその声は、次第に強く響きだし。


〔お願い。あの子を、助けてあげて〕


 明確な意思として、伝わった。


 元よりそのつもりだったが、ユスティアにまでお願いされちゃあ、もう一段上の覚悟を決めないとな。


「……おい、ゲリベン1号」


「あ? お前、それは僕の事か……?」


 蹲った少女を見下みおろして愉悦に浸って嗤っていたゲリベン1号が、不快気な顔でこちらを向いた。


「そう、お前だゲリベン1号。

 一つ、良い事を教えてやる。世の中ってのは、法律だけがルールじゃ無いんだよ。一般社会の裏側は、特にな」


「はぁ? なに偉そうな事言ってるんだ? そんな事知ってるさ。僕のいえは、この国のフィクサーなんだから。

  僕はね、この国でトップクラスの企業の経営者の息子さ。『羽黒はぐろ家』って聞いた事あるだろ? そこだよ。

 だからね、本当は僕クラスになると、法律とか関係無いんだよ。何をしてもパパがモミ消してくれるからね!」


 ゲリベン1号が自慢気に公爵をタレ、周りの男どもが楽し気に囃し立て始めた。

 それに気を良くしたゲリベン1号。嗤いながら右足を上げると、蹲ったままの少女を踏み付けるべく足を下ろした。


 また面白がって彼女を甚振るつもりだろうがが、もうそんな事をさせる訳が無い。


 数メートルの距離を、倒れ込むように踏み込んだ一歩で消し。右足を浮かしたまま驚くゲリベン1号の顔面を左手で掴んで下から持ち上げると、そのままの勢いでアスファルトへと叩き付けた。


 茹で卵を殻のまま潰すのに似た手応えを感じて手を離して立ち上がれば、白目を剥いたゲリベン1号の後頭部から、赤黒い血が流れ出てきた。

 多分、まだ死んではいないだろう。手加減はしたし。


 俺の突然の凶行に静まり返る、周りを囲むゲリベンの手下共を見回し、告げる。


「おい、ゲリベン野郎共。

 ハグロだかマグロだか知らねぇけどな。お前らがした事は、そんな聞いた事も無いパパさん程度がどうこう出来る範疇を、もう越えてるんだよ。

 お前が手を出したこの子はな、このゲリベン1号が言ったように『鬼』として扱われる。

 でもな、それは法律が守らないんじゃない。『鬼』は『鬼のおさ』の庇護下に置かれるんだよ。

 そして、この事を知った『鬼の長彼女』は、ブチキレる。

 そうなれば、もんじゃ済まない。覚悟しとけよ」


 倒れたままピクピクと痙攣しているゲリベン1号をゲシゲシと爪先で蹴りながら告げると、ゲリベンの手下共の顔色が青から土色に変わった。

 まぁ、その程度だよな、実感が湧かなきゃ。羨ましい。


 あぁ、下手こいた。こんな事なら、さっさとコイツら半殺しにしておくんだった。

 俺の不手際でイヌ耳少女が蹴られたのが知られたらと思うと、生きた心地がしない。


「静佳さん、怒ると怖過ぎるからなぁ……はぁー……」 


 嘆いても、過ぎてしまった事は変えられない。ここは建設的に、できる事をしよう。

 ビビりまくってる下っ端共は、放置でいい。今頃、この辺り一帯は、姉が手配して包囲されてるだろうから、逃走を許す心配も無い。

 足下のゲリベン1号も、放置だ。正直なところ、このまま死んだ方がコイツの為だとすら思ってる。


 なので先ずは、イヌ耳少女だ。


「大丈夫か?」


 蹲る少女に歩み寄り、傍に膝を付いて声を掛けた。

 すると彼女は、ゆっくりと顔を上げ、乱れた髪の隙間から俺の顔を見上げた。

 ボサボサな長い髪に隠れて顔は良く見えないが、後ろ向きに伏せられた耳と精心オドの様子から、怯えているのは解る。


「立てるか?」


 下からゆっくりと手を差しのべる。

 彼女は、伏せていたイヌ耳を俺の方へと向けると。俺の顔と差し出された右手の間で視線を何往復かさせて、震える左手を、恐る恐る伸ばしたり引っ込めたりして。

 ようやくその細い指先で俺の手に触れてくれたのは、数分が経った頃だった。


「お腹、まだ痛むか?」


 けっこうな勢いで蹴られていたのだ、この年頃の普通の女の子なら、内蔵に怪我をしていても可笑しくは無い。


 ちっ。今思い出しても腹が立つ。もう一発くらい痛め付けておくか?


 俺の攻撃的な気配を察してか、彼女のイヌ耳がまた後ろ向きに伏せられてしまった。


「ああ、ごめんな。大丈夫だ、怖い事はしないから」


 怖いだろうに、それでも右手にちょこんと乗せていた指は離さずにいてくれて。その指を包むように手を握りながら声を掛けた。

 すると、辿たどしく小さな呟きが返って来た。


「ない、じょぶ……」


 ……これは、『大丈夫』と言っているのかな?


「おなか、いたく、ない?」


 自分のお腹をさすったり、痛そうな顔をしたり、それを否定して平気な顔で笑顔を見せたりと、ジェスチャーを交えて確認すると、


「……あい。いあい、まいっ」


 英語にも聞こえ返事を返して、少女はにっこり笑ってくれた。


「そっか。うん、良かった」


 その幼さの溢れる笑顔を見たら、ザワついていた俺の心も穏やかになり、自然と笑が浮かんでいた。



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