第8話 わふー

 

 

 

「さぁ、お昼にしましょー」


 ちょうど話に区切りがついたところで、玄関から静佳さんの声が聞こえて来た。

 ドアを開けて入って来た静佳さんの手には、銀色の長方形の箱――岡持が握られている。どうやら今日の昼飯は、店のメニューのようだ。


 ダイニングへ進む静佳さんの後を追って、俺達も食卓へ。


「じゃーん! 今日のお昼は、ヨシくんの大好きな、ハンバーグでーす!」


 静佳さんが岡持の中から取り出した皿の上には、宣言通り、ハンバーグが乗せられている。茶色いハンバーグの上に、紫蘇の大葉の緑と大根おろしの白が鮮やかな、和風ハンバーグだ。

 確かに、好物だ。特に、うちの和風ハンバーグは、帰って来れなかった時も忘れられなくて、忙しい中でもたまの休日に自分で再現してみたりするほど好きだ。

 好きなんだけど……自分の挽肉を想像しちゃった後だからなぁ……。


「あ、れ? 喜んでくれると、思ったんだけどぉ……も、もしかして、しばらく食べないうちに、嫌いになっちゃったぁ?」


 どうやら顔色に出ていたらしい、ハンバーグの乗った皿を前に固まる俺の顔を見た静佳さんが、動揺してし始めてしまった。向かいに座る姉も、自体を察して済まなそうな顔をしている。

 二人のせいでは無いのだが、バカ正直に理由を話してしまったら、今度は姉も巻込みかねない。


 ここは態度で示すしか無い!


「大丈夫だよ、静佳さん。今も好物だから。

 それじゃ、いただきます」


 食前の挨拶をして、先ずは皿の横に添えられた小鉢に入った特性のポン酢を、おろしの上からちょろちょろと注ぐ。

 白いおろしが、ポン酢の薄茶色に染まる。


 おろしの雪山に訪れた雪解けだ。柑橘の香りも爽やかな春は、雪山の麓に広がる大葉の草原と、その先の肥沃な挽肉の大地にも流れ出した。


 ポン酢色に染まったおろしの頂きを、箸でつまみ上げ、ハンバーグの端へとちょこんと下ろす。

 これで用意は万端。この、ポン酢の染みたおろしが乗った場所を含めて、一口サイズになるように箸で切り分ける。


 ハンバーグに揃えた箸を差し入れた瞬間、肉汁のマグマが溢れでた。旨い。食べなくても解る旨さがここにある。

 食べなくても解るが、食べない訳が無い。


 真っ白なおろしと、程よい焦げ目のついた茶色いハンバーグ。その二つを繋ぐ、ポン酢。

 三位一体のこの一口、いただきます。


 口に入れ、一噛みで下の上に溢れ出す肉汁の暴力的な旨さ。

 そして、隠し味の味噌が仄かに香り。

 そこへ、おろしがすかさずに、肉のしつこさを消し。

 それと同時に、ポン酢が優しい旨味と爽やかな後味で、隠し味の味噌の残り香と手を取りあい、口の中を幸せにしてくれる。


 あぁ、美味い。やはり、うちの和風ハンバーグは、一味違う。


 一口食べれば、後はもう止まらない。

 少し脂が気になりだしても、乗せられた大葉のそれを強烈に消し飛ばしてくれて。

 気が付くと、ハンバーグが乗っていた皿も、ご飯がよそわれていた大き目の茶わんも、綺麗に空になっていた。


「……ごちそうさまでした……」


 手を合わせ、身体の中から湧き上がる『おいしかった』を込めて、食後の挨拶をして呟いた。


 『茶屋 椿庵つばきあん』の和風ハンバーグ、大変に美味しゅうこざいました。

 

 

 

 

 

 

 俺の食べっぷりを見て、笑顔の静佳さんと美苦笑の姉に。和風以外の、例えばトマトソースの煮込みハンバーグでは、この結果は出なかっただろう。さすが和風ハンバーグ。偉大なり。


 食後の焙じ茶を啜りながら午後から出掛ける旨を伝えると、それならと少しのお使いを頼まれ、送り出される。


「それじゃあ、いってきます」


「はぁい、いってらっしゃい」

「気を付けるのよ」


 二人に見送られ、玄関を出ると、その足で家の裏のガレージへと向う。


 さて、午後からは買い物だ。

 いつまでも姉の服を借りている訳にもいか無いし。さりとて俺の手持ちの服ではぶかぶか過ぎて、家では良くても外出するには流石に見苦しい。


 今の身体は、背丈とウエストは姉とほぼ同じなのだが、胸周りと尻辺りが緩い。緩い分には着られるので、このくらいの誤差なら同じサイズを買えば良いかと思っていたら、姉を含む女性陣の皆からダメ出しされた。

 そうして、今のこの身体に合うであろうサイズを教わり、メモをしたためて来た。


 歩きながら、手にしたそのメモへと視線を落とす。

 そこに書かれているのは、男の俺には無縁だった数字とアルファベットの羅列……にしか見えない、服のサイズだ。


 男なら、もっと楽だ。MとかLとかで選べば良かったし。後は、気にしたとしてもウエストぐらいだったのに。

 女の人は大変だ。バストとヒップでも、サイズを気にして買わなきゃならないのだから。

 そりゃあ、傍から見て執拗だと思うほどに、スタイルを気にする訳だ。


 女の買い物は異様に長いと、なんであんなに時間が掛かるんだと、男の俺達は思っていたが。服のサイズがこれだけ複雑だと、全体的に気に入ったとしても、どこか一箇所が合わずに諦めるか我慢するか迷ったりも、するんだろうな。


 あぁ。これからは、他人事ひとごとじゃないんだっけ……。


 この身体になってから、初めて感じたネガティブな感情に、気分が曇る。


 あ。でも、俺自身が、そんなに細かく気にしなきゃいいんだよな。最悪、ジャージで過ごせば良いんだよ。

 姉に知れたら、怒られそうな気がするけど。



 ガレージには、静佳さんが買い物に使う軽ワゴンと、姉の乗る黒い国産高級セダン、そして俺のコンパクトな白いスポーツツーシーターが並んでいる。

 俺の車は、正直買い物向けでは無いが、買う物が衣料品なので平気だろう。


 そう思って、ジーンズのポケットから鍵を取り出して乗り込もうとしたのだが、そこで足下に不備があるのに気が付いた。

 ヒールのやや高いサンダルである。そして素足だ。

 足のサイズも相応に小さくなっているので、このサンダルも借り物なのだが、これでマニュアル車はキツイかも知れない。

 そもそも、どんな車を運転するにしても、ヒールの高い履物はよろしく無いのだ。

 だがまぁ、今回は目を瞑ろう。それ以前に、今の俺は無免許状態なんだし。容姿がまるで一致しないから、免許証が役に立たないのだ。


 この状況で運転するのがいけない事なのは理解しているが。しかし、姉や静佳さんと買い物に行ったりしたら、着せ替え人形の刑が確定するの。家の中でも辛かったのに、出先であれをされたらと思うとぞっとしない。


 なので、安全するので勘弁してつかぁさい。


 誰にとも無く弁解をしつつ、車に乗り込む。

 シートに座り、ハンドルに手をかけるが、ポジションが合わない。視線が低く、脚がやや窮屈に感じる。

 つまり、座高が下がって、脚が伸びているのだ。


……これは喜ぶところなのか? それとも悲しふべきか?


 何とも言えない気持ちになりながら、シートの位置や、ついでにミラーの角度も調整する。

 さぁ、ようやく出発だ。


 実際に生活し始めると、身体が変わる事が如何に大変な事かを実感しながら、エンジンを始動し。ギアを入れて車を走らせた。




 

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