第6話 これからの正義の話をしましょう
テーブルの上に突っ伏してしまわないように、肘をついて両手で顔を覆って一頻り泣きいた。
俺の身体には、こんなにも水分があったのかと思うほどに。
気持が落ち着いて。泣き終えて顔を上げると、横合いから畳まれた白いタオルが差し出された。
「ありがと」
礼を言って受け取り、涙で濡れた顔や手を拭いて、最後にテーブルに落ちた涙も拭き取った。
凄いな、タオルがびしょびしょだ。
涙を吸って濡れたタオルを畳んでいると、また同じ様に、反対側からタオルが差し出された。ただ、今度のは湿っているようだ。
「……ありがとう?」
何に使えと言うのかと、不思議に思いながら、畳んだタオルを置いてそれを手に取ると、そのタオルはただ湿っているのでは無く、ひんやりと冷たかった。
「それで、目の周りを冷やしなさい。泣き腫れて真っ赤だから」
「ああ、そっか。ありがと」
正面に座る姉からのアドバイスに従い、しっとりと冷たいタオルを、畳まれたまま目に押し当てた。
「はぁー……」
あー、気持ちいい……。泣いた後に冷やすと、こんなに気持ち良かったんだな、知らなかったな。
あれ。そういえば、いつの間にか不思議に色付く視界が気にならなくなってるな。
色付いて観える何かって、きっと魔力的なモノなんだろう、これまでの流れを
で。今の俺は、慣れたからなのか、それとも他に要因があるのかは不明だが、その魔力らしモノを観ようと意識しなければ、色付いている事が気にならなっている、らしい。
理屈とか諸々の事は、ほとんど不明だが。
そんな新しい発見は気になるところだが……それよりも、冷えた濡れタオルを渡してくれた心遣いが嬉しかったので、もう一度ちゃんと礼を言おうとして――それに気が付いた。
このタオル、誰が横から手渡してくれたんだ? 姉は俺の前で椅子に座って居るのに……。
タオルを持った手を下ろし、濡れタオルが差し出されて来た方――右を向くと。
そこには、長い黒髪を後頭部に結い上げた、見た目が二十代半ば程の、姉に良く似た美人がにっこり笑顔で立っていた。
違うな。この場合は、姉がこの人に似てるんだよ。なにせ、我が
「……え? なんで
「ふふっ。それはね、お母さんだからよっ?」
いやいや、人差し指を口元に当てて首を傾げながら、ウインクと共にかわいく言われても、すごく似合ってるだけで意味は通じないからね。言ったら落ち込みそうだから口には出さないけど。
それじゃあ、最初のタオルは……。
「そのお母さんの理屈だと、わたしがここに居る理由が説明できないんだけど」
やや幼さの残る女声が頭の後ろから聞こえ。
振り向くと、そこには背中ほどの長さの黒髪の、
我が
そうか、もう高校受験なのか。大きくなったなぁ。最後に会った時は、まだランドセル背負ってたのにな。
まぁ、あの頃も中学生にしか見えない位に、発育は良かったんだけど。
「久しぶり、ラシャ。タオルありがとな」
「どういたしまして、兄さん」
穏やかに微笑む天使に癒されていると、肩をぽんぽんと叩かれた。
振り返ると、静華さんが頬を膨らましていた。
「ぶー、私もひんやりタオル渡したのにぃ……」
……ああ、そうだ。そのお礼を言うの忘れてた。
でも、その仕草はどうかと思うんですよ。もうすぐ還暦なんだよね? 全然そうは見えないし、似合って入るけど、流石にあざとい過ぎます静華さん。
言えないけど。
「ごめん、初めにお礼を言おうとしてたんだけど、驚いちゃってさ。
ありがと、静華さん。すごく気持ちよかったよ」
「ふふ、どういたしましてぇ」
うむ。傾いたご機嫌も、直ったようだ。
でも、まだ二人がここに居る説明を聞いてないんだけど。
「二人とも、パラオから帰って来てたんだな。
けど、いつ
「そう、ちょうどヨシくんが寝てる時に帰って来たのよ。
それで、お姉ちゃんのお説教が終るまで、上の部屋にいたのよ」
「ああ、そうなんだ。そっか俺、結構な時間寝てたんだよな……」
と、静華さんは言う事に理解は示したが。
俺が起きた後、色付く視界で観た時は、色の塊――人らしき魔力らしかモノの形は、姉の物しか観え無かった気がしたけど。
見落としてたのかな。下ばかり見てて、くまなく辺りを見回してた訳じゃないし。
でもそれだけじゃあ、俺が気付かない様に、ここに居た説明にはなってないけど……。
まあ、いいや。大した事じゃ無い。
きっと俺が、人が近付くのも気付かない程に号泣てたんだろう。我ながら、良く泣いたと思うし。
「さて、それじゃあ皆揃った事だし――」
俺達三人のやり取りを見守っていた姉が、そう言って椅子を引いて立ち上がった。
それに合わせて、静華さんとラシャが一歩二歩と下がり、俺から少し距離をとった。
「え、なに?」
戸惑う俺に構わす、三人はそれぞれ、両手を胸の前へと持ち上げて。
「おめでと」
「おめでとぉ」
「おめでとう」
異口同音に祝の言葉を告げると共に、揃って拍手を始めた。
……なんだこれ。
「おめでとぉ、ヨシくん。お姉ちゃんから聞いて、間に合うのかなぁって思ってたけど、ほんとに最近は、あっと言う間に終わっちゃうのねぇ」
「姉さんから話を聞いた時は驚いたけど、わたしはいいと思う。
でも、これから何て呼べばいいか困るね。
やっぱり、姉さんになるのかな」
一人椅子に座った俺を囲んでの拍手を続けながら、静華さんとラシャからの短い祝辞を頂いた。
ありがとう。
ただ、正直に言おう。二人が何を言ってるのか判らない。
解らないが、この事態に大きく関与しているのが姉さんだって事だけは、間違いは無い。
「姉さん……?」
テーブルを挟んだ向こうで、楽しそうに拍手を続ける姉さんへと、じっとりとした視線を向けた。
さぁ吐きなさい。あなたは何をしたのですか?
「もしかしてあんた、意味が通じて無い?」
俺の視線を受けた姉は、手を叩くのをやめて苦笑すると、そんな事を聞いてきた。
「もしかしなくても、全く意味が解らないんだけど」
素直に言えば、姉だけでは無く、他の二人も一斉にため息をついた。
え? なにこの空気。俺がなんかしでかした空気じゃないか?
「あのね? 私が二人に『正義は、今度の連休を使って、海外で全身性転換手術を受けてくる』って話をして」
と姉が切り出し、
「それを聞いた私とラシャちゃんが、実際に女の子になったヨシを見て」
と静華さんが繋ぎ、
「わたし達が生まれ変わった兄さんを受け入れて、祝福している場面です」
と、ラシャが締めた。
「えっと。言いたい事は判ったけどさ。
その、なんで俺が性転換した事になってて、それを
そんなの見たら直ぐにバレるだろ、えっと……全身、性転換? なんて大掛かりそうな手術なんか、して無いって」
「あらぁ?」
「ウソだよね……」
なにやら愕然と呟いた静華さんとラシャは、視線を姉へと向けた。
二人の視線を受けた姉はというと、俺を凝視していた。
あの目を俺は知っている。小学校の時に、図鑑で楽しそうにパンダを見ていた同じクラスのテコナが、『パンダは動物の肉も食べます』ってとこを読んだ時と、同じ目だ。
「……
姉は、言葉を絞り出すようにして、そう聞くが。あいにく俺には、何かを忘れているなんて事、心当たりが無い。
「いや? 忘れてる事なんて、無いと思うけど。
あ。ユスティアの事なら忘れて無いからな」
それを聞いた姉は、安心したように、小さく息を吐いた。
「そう。忘れて無かったなら、それでいいの」
「まぁ、明日から仕事だーみたいな事言ってたから、忘れてると思われたかも知れないけどさ。
ちゃんと仕事の合間に、できるだけ時間を作ってユスティアの為に使うつもりだったんだよ。……まぁ、もう会社は退職扱いみたいだけど。でもその分、ユスティアの事に時間を割けるのは、いい事だと、思うし? うん
あれ? どうしたんだ、頭抱えて」
考えを纏めようとして、自然と上がっていた視線を下ろせば、テーブルに左手を突いた姉が、右手で額の辺りを触れていた。
頭痛か? 珍しいな、健康体の見本みたいな姉さんが。
「まさか風邪か?」
だとしたら、俺が知る限り初めての事だ。もしかすると、大変な事じゃないのか、これ。
介抱しようと思い、俺が腰を浮かせると、それを察した姉が左手を軽く上げてそれを制してきた。
「大丈夫。風邪なんかじゃ、ないわよ……」
俺の懸念は、本人の口から否定された。
良かった、大事にならなくて。
「風邪じゃ無くて、ちょっと目眩がしたのよ、あんたの相変わらずさにね……」
姉の突然な不調は、俺が原因だったらしい。あの姉の調子を崩せるなんて、凄いな俺。
自覚は無いし、姉の調子を崩せたって嬉しくは無いが。
姉が「私だけじゃ無いわよ?」と言うので左右を見やれば、静華さんは頬に手を当て苦笑い、ラシャはもっと深刻で、表情を無くしていて、顔色も悪そうだ。
「おい、ラシャ。大丈夫――」
「覚えておきなさいラシャ」
心配になって掛けた俺の声を、姉が強目の声で遮った。
それを聴き、ラシャのはゆっくりと姉へと顔を向ける。
「ラシャはまだ生まれてなかったから知らないでしょうけど、貴女の兄は、こういう男なの。
覚えておきなさい。そして、気を付けなさい。
久し振りだからって、忘れかけていた私が言っても説得力も何も無いけど……」
「そんな事は無い。わたし、覚えたから」
姉を見詰め、ゆっくりと大きく頷くラシャ。
ねぇ、なんで二人はそんな深刻な空気を放ってるのさ……?
助けを求めて振り向けば、胸の前で腕を組んだ静華さんは、苦笑いのまま首を左右に振った。
援軍は期待でき無かった。
えー。どうするのさ、この空気。せっかく久し振りに家族が揃ったんだし、俺はもっと和やかに行きたいものですよ?
そんな俺の内心を
「荒療治になる事は判っていたのに、私の見通しが甘かったのね。あの娘を利用するべきじゃ無かった」
「でも、一番効果が確実だったなら、仕方無いよ。
それに心は息を吹き返した。その一点だけを見ても、彼女を利用した価値はあったと思う」
「……そうね。でも、これからが大変よ。
二十年前。最初の時には、どうにか矛先を逸らして誤魔化したけど、今度はそうは行かない。直接的な行動ができるって知ってしまったから」
「そこは、わたし達で手綱を握って……」
「そうね、なら平日は……」
なんだか随分と込み入った話に突入したようで、二人は椅子に座り、腰を据えて話し込み始めてしまった。
しょうがないな……。
二人はあのまましばらく放って置くとして、俺は晩飯の支度でもしようかね。
「静華さん、夕飯まだだよね?」
「ええ、まただけどぉ……あら、もうこんな時間なのね、たいへん」
壁に掛かった時計を見て呟く静華さんだったが、あまり大変そうにには見えないのは、まあ、静華さんだからな。
「じゃあ、俺、なにか作るよ。静華さんは休んでてよ、父さんのところ行って帰って来たんじゃ、疲れてるでしょ?
今お茶煎れるから、リビングで待っててよ」
「あらぁ、そう? 悪いけど、お願いしちゃおうかしら。
ふふっ、ヨシくんのお料理、久しぶりっ。楽しみだわぁ」
楽しそうにリビングへと歩き出した静華さんの華奢な背中を見送り、俺は踵を返してキッチンへと向かう。
確か、買い置きのうどんがあったよな。今夜はうどんにしよう。手早くできるからな。
▽
だいぶ遅くなった夕飯は、ワカメと刻みネギを乗せただけのシンプルなうどんになった。
俺としては、おあげを乗せたかったのだが、今回は早さを優先して涙を飲んだ。
出来上がったうどんをテーブルへ運ぶ頃には、姉たちの話し合いも終わったらしく、それぞれ自分の分の丼を運び。
そうして、うどんの
うどんを食べ、お腹も落ち着いた所で。
皆で湯呑みのお茶を啜りながら食休みをしつつ、姉を議長として家族会議か始まった。
議題は、
「これからの
と言う事らしい。
ちなみに、今回は俺に発言権は無いそうだ。俺の話をするのにこの仕打ち。解せない。
どこかからフレームレスの眼鏡を取り出して掛けた姉が、同様にタブレットを取り出すと、それへマウスの様な機器をケーブルで接続し、そのマウスモドキを俺の背後の壁へと向ける。
「では、明日からの
姉が準備をしている間に席を立ったラシャが、壁に設置してあったリモコンで、ダイニングの明かりを保安球だけの、頼りないものに切り替えた。
薄暗くなったダイニングの白い壁には、マウスモドキが放つ光が当たり、タブレットの画面が投影された。
どうやらあのマウスモドキは、小型のプロジェクターだったらしい。
って、ここに座ってたらよく見えないな。移動しよう。
湯のみを手にして、席を立つ。
で、伊達メガネを掛けた姉の隣へ、着席。
壁に映し出されたのは、なにやらスケジュール表らしきものだった。だいぶ大雑把な一日のタイムスケジュールが、
おお。どこかで見た事あると思ったら、これアレだよ。小学生の時に作った、『夏休みの過ごし方』。アレと、ほとんどいっしょだ。懐かしいな。
そこに記された内容をまとめると、こんな感じか?
1.平日は、基本的にアルバイト又はパートにて、労働。
2.週末はほぼ、霊力(魔力・仙力・氣etc.)の扱いその他の、修練。
3.暫くは、ここ――実家で、暮らす。
こんなところ、だろうか。
なんで週末の修練の内容に、姉やラシャとのデートって書いてあるのかは、疑問だが。
あっ! 発言権は無くても、質問権なら有るんじゃないか? ふふっ、冴えてるな、俺!
「はーい」
お行儀良く右手を真っ直ぐに上げて、伊達メガネ議長の許可を待つ。すぐ隣に居るんだけどね、様式美ってやつだよ、この挙手は。
「何かしら。今回、あんたに発言権は無いって知ってるでしょ?」
「うん。けど、質問権なら有るんじゃないかと思って」
指名されて無いので、挙手したままでそう返すと。珍しく虚をつかれたのか、姉の目が少し目を大きく開いた。
「……そうね。まあ、質問だけなら、いいわ」
よし、ではさっそく。
「えーと、あの勤労の欄だけどさ、なんで対象がバイトとパートなんだ? 普通に就職するんじゃダメなのか?」
「駄目よ。
あんたは、過労でボロボロになったんだから、暫くは非正規労働で様子見。正社員と違って、初めから腰掛けのつもりで居れば、無茶な要求はされないでしょうし。
それに、就職するなら、今度はマトモな経営者の下にするわ。そして、マトモな経営者の下だと、経歴の改竄が少し面倒なの。
だから、
リハビリうゆぬんは、言いたい事は判るけど……。
「なんで経歴を改竄なんてするんだ? そのまま就職すればいいじゃないか。別に俺、指名手配犯な訳でも無いんだからさ?」
けっこう的を射ていたと思ったんだが、そうでは無かったようだ。
反応は激的だった。のほほんとお茶を飲んで居た静華さんと、真剣にメモを取っていたラシャの顔が、グリンと俺へと向いたのだ。しかも、目を見開いて。
「……あんた。もしかしなくても、すっかり忘れて頭に無いわね、今のあんたの身体の事」
俺の身体? 確か、ユスティアの身体の代わりに置いてき……あ。
「ああああ! そうだよ俺今なんでか女じゃん! どうすんだよ!」
慌てる俺を見て、俺の家族は揃ってため息をついた。なぜに!?
「あんた、夕方に目が覚めてから、鏡見た? 見てないでしょ。判ってる、見てないのね」
確かに、今日も見ちゃいなかったが……。普段からそんなに鏡なんて見ないし。
でも、なんで鏡?
「私、言ったと思うんだけど。あんたの魂は、ユスティアの肉体に入れたって」
……言われた気がする。え、て事は、
「俺って今、『ユスティア』なのか?」
「そうよ」
「そうねぇ」
「そうだよ」
家族のから、異口同音に告げられた新事実。
しかし言葉だけでは信じ切れず、俺は急ぎ席を立ち、ダイニングのドアへと向かった。
「あの様子だと、馴染み過ぎて違和感が無くなってたのね……」
なんて姉の呟きが聞こえたが、構わずドアを開け、廊下を走って玄関へ。
そうして、そこにあるの姿見の前へ立った。
スキニージーンズに白いワイシャツと、服装こそ姉の物だが。細い身体の線も、白い肌も、そして整った顔立ちの澄んだ顔も、この連休を費やした『ジャスデン』で何度も見たユスティアその物だった。
違いと言えば、髪の色が蒼みがかった銀色に変わっていて、あとはCGだった物が実際に目の前に居る違和感とでも言おうか。
総じて言えば、
「双子みたいにそっくりな、ユスティアのコスプレイヤー?」
しかも、2Pカラーだな、と思いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます