第5話 我が家の中心で姉が叫んだもの
生きる気力を失ったユスティア。
そんな彼女に、生きる気力を取り戻させる。
目標は、決まった。
問題なのは、その方法だ。
どうすれば、生きたいと思ってくれるのか。俺は何をすればいいのか。
難題だ。
これなら、『ジャスデン』でユスティア生存ルートを探す方が楽だったな。ゲームなら、選択肢が
だが、今はもう、そうは行かない。
無限の可能性を持つのと同時に、
いや、そもそも現実に、『正解』なんて無いのかも知れない。
だとすれば、『好ましい結果』を出せば良い。
ユスティアは、何を好ましく思う?
俺は彼女では無いから、彼女の気持ちを理解出来るとは考えない。だが、推測はできる。
彼女の辿った人生を紐解けば、気力を失った要因が見えてくる筈だ。
ユスティアの人生は、ある意味では本人よりも俺は詳しい。伊達に『ディスティニーセイヴァー』シリーズをやり込んだ訳じゃない。
だから、ある程度は予測が立つ。そこから有効だと思える指針を決めて、事に当たればいい。
ユスティアの心に、生きる気力を取り戻させる。その為の道筋は――。
「ふふっ」
不意に、姉の小さな笑い声が耳に届いた。
考え込んでいるうちに下がっていた顔を上げると、姉が楽しげに笑みを浮かべながらな、俺を見ていた。
「……え、なに? なんでそんなに楽しそうなの?」
雰囲気からすると、からかわれたりは、しなそうだが。
「楽しいってよりも、嬉しいの。やっと
そう言いって俺を見ている姉の眼差しは、とても優しくて。
「やっと……って。俺、どんな顔してたんだ?」
なんとなく察しはついたが、照れ隠し混じりに聞いてみると。姉の笑顔に、僅かな悲しみの色が浮かんだ。
「久しぶりに顔を見せたあんたは、今にも死にそうな酷い顔をしていたわ」
ああ、やっぱりか。
姉の指摘は、正鵠を射ていたと思う。俺はきっと、疲れていたのだろう。
社会に出て、働いて。
仕事を覚えようと、頑張って。
そうして出来る事が増えて、責任も増えて。
やりがいは、あったのだ。成長できている実感も。
けれどいつしか、『仕事をしよう』が『仕事をするべき』に変わり。気が付いた時には、『仕事をしなければ』に変わっていた。
そうなると、毎日が苦痛だった。生活の全てが、食事や睡眠や、一回の呼吸ですらも、仕事の為で無いように思えて。
そうして、思ってしまったのだ。『何の為に仕事をしているのか』と。
生活の為。言ってしまえば、これに尽きるのだろう。
そんな当たり前の理屈は、俺だって解っている。それが当たり前だと、頭では判っているのだ。
だが、こうも思ってしまうのだ。『生活の為の仕事では無く、仕事の為の生活ではないか』と。
人生の全てを、この仕事に捧げている。そんな矜持が持てれば。
或いは、安定した老後の為に、今は全て費やす。そんな覚悟ができれば。
そう
けれど俺は、そんな矜持は持てず、さりとて覚悟もできず。日々押し寄せる膨大な量の終わらない仕事に、押し流されて、呑み込まれて、溺れて。その苦しさに耐えるだけだった。
大変なのは、俺だけじゃないのは、判っている。職場の同僚達も、俺と同じ条件なのだから当然だ。
それに、世間には、俺より大変な思いをしている人達が、ごまんと居る事も知っている。
だから、『辛い』と思う事は、単に甘えているだけなんだ。辛く無い仕事なんて、世界中を探したって、どこにも有るわけが無い。
誰しもが、辛く苦しい仕事を、歯を食いしばってこなして生きているのだ。たとえそうは見えなくても、それはその人が、辛さや苦しさを表には出さずに、隠して笑える強さを持ってる人なだけなのだ。
だから、今回の連休も、本当は出勤するつもりで居たいた。そうすれば、連休期間が明けた後のスケジュールが、多少は楽になる。
あと、休みが欲しいなどとは、とても言い出せる雰囲気でも無かったし。
睡眠時間も満足に確保できないサイクルの毎日の中、
今回の連休も、一日くらいはそんな日に充てられたら御の字だ、と思っていた。
そこへ、唐突に姉から連絡が来たかと思うと、理由も述べずに唯「帰って来なさい」と宣告されたのだ。
俺はもちろん、「そんなこと言われても、仕事があるから無理だ」と、断った。当たり前だ。前日の朝に言われても、既に休日出勤する予定で会社には話を通していたのだから。
だがしかし。我が姉は、その当たり前を覆した。姉曰く、俺の勤める会社のお偉いさんに電話をかけて、話を着けてあるから、と。
それでも俺は、職場の仲間に迷惑がかかると、断ろうとしたのが、『家族の一大事なの。だからとにかく帰ってきて』と言われては、断れるる訳もなく。上司や同僚に加えて部下達にまで頭を下げて回り、徹夜で予定していた仕事を出来るだけ前倒して終わらせて、朝には実家へ着くように会社から直接帰って来たのだ。
眠い目をこすりつつ、連休明けに出勤した時の事を思い、陰鬱な気持になりながら。
そうして俺は、久しぶりに実家へ帰って来た。
ここ数年は、盆も正月も無く働いていたから、最後に帰ったのがいつだか直ぐに思い出せず。
それだけ家族とも疎遠にしていたのだという事実と、その家族の一大事なのだと思うと、胸が苦しくて。変わらぬ佇まいでそこに在り続けていた実家を、暫しの間、玄関先で見上げていた。
なぜだか景色が
色んな思いを抱えて玄関の敷居を跨いで見れば、出迎えてくれたのは、姉一人。
久しぶりに会った姉は、電話の時に解かってはいたが、やはり相変わらずで。腰まである長い黒髪を靡かせて立つその様子は、昔も今も変わらずに、天上も天下も唯我で独尊そうだった。
本人は、「私なんて、まだまだ未熟もいいところよ」と、謙虚な事を本気で思ってるようなのだが。それが本当なら、俺はどうなるのかと。
姉の心配はあまりしてい無かったが、しかし『家族の一大事な』だ。「他のみんなは?」と訊くと、姉は悪びれるでも無く「みんな元気で、何も問題ないわよ」と、言い放ったのだ。
そんな事の為に俺は、騙されて連休を確保させられたのか。
そう思って、腹が立つやら呆れるやら悲しいやら、色んな感情が湧いて来て。でもその中に、『それも楽しそうだな』という想いがあったのは、確かだった。
そうして始まった連休の最終日に、まさかこんな事になってるなんて、あの時は欠片も思って無かったが。
だが姉さんは、玄関で俺を出迎えた時から……いや、俺に連絡をした時には既に、こうなる事まで見込んでたのだろうか。
そうだな。全て計算ずくだったんだろう。そんな気がする。
「姉さんは、今の俺がいい顔してるって言ったよな? そんな顔してる自覚は無かったんだけど……。
何でだろうな。今だって、休日なのに休めて無いからクタクタだし。明日からの仕事の事を思うと、すげぇ憂鬱なのは、変わんないのに……」
そうだよ。今日で連休が終わるって事は、明日からまた仕事だ。今日は早目にアパートに帰って、飯食ったら寝よう。溜まってる家事は、次の休みに持ち越しだな。
次の休みがいつになるか判らないが……。
「あんた、また仕事の事考えてるでしょ」
「え。うん。まぁ、そうだけど……」
なんでわかったんだ? まさか俺の心を読んだのか!?
ありえる。この姉ならありえるぞ!
「何で判ったのかって顔してるわね。それと、心を読んだのか、って思ってる。
読んで無いわよ?
読めるけど、こんな事で一々読ま無いわ。あんたって考えてる事が顔に出やすいから、必要無いもの」
あぁ、やっぱり読めるのね。もう何でもアリだな……。
てか、そんなに顔に出やすいのか? 俺って。
両手で顔をむにむにして、表情を確かめてみたが……判らん。
ほっぺがぷにぷにで、顔が二回りくらい小さい気がしたが、それ以外は判らんぞ。
「うん。やっぱり辞めさせて正解だったわね」
「ん? 何の話だ?」
ぷにぷにほっぺに気を取られて、聴いてなかったけど、『やめさせて』って言ったか? 誰に何を?
「ああ。そういえば、まだ言ってなかったわね」
そう前置いた姉は、
「あんた、もうあの会社には行かなくて良いからね。
今頃はもう退職手続きも済んでる筈だし、後は貯まってる有給を消化して、あんな会社とはオサラバよ」
なんか俺の姉がトンデモナイこといいだしたんだけど?
「ええっと……? 退職? 俺が? なんで?」
「理由は色々あるけど。
一番はね、
そう言った姉は、金色がかった色をしたその澄んだ瞳で、じっと俺を見詰めている。
その声も。その眼差しも。まるで子供に言い聞かせているようで、俺は……。
「辛そうって……。いや、そんな理由で……いやいや、それは無いだろぅ?
だってさぁ……辛いからって…………だってっ……そんなの、みんなっ……ッ!」
強がろう、としたんだ。
奥歯を噛み締めて。それが出て来ないように。零れないように。
顔に当てていた手で、誤魔化そうともしたんだ。
だけど……。
「もう、ほんとバカねぇ。
仕事が辛いのは、確かに当たり前よ。でもね、辛いだけの仕事を続ける事は、違うの。そんな事を続けていたら、人間は壊れるの。それでも続けていたら、死んでしまうの。
あなたは頑張ったわ。
妙なところで責任感が強いから、人から任された事を投げ出せないのよね。優しい子だから、他の誰かに迷惑を掛けたくないのよね。
それは確かに大事な事よ。あなたの良いところでもある。
でもね。あなたはもう、壊れかけているのよ。自覚は無かったかも知れないけど、身体はボロボロだった。心もそう。疲れきっていたのよ。
最後に心から笑ったのって、いつだか思い出せる? 判らないでしょ。あなたはそんな生活をずっと続けていたのよ。
あなたはもう大人だからって、今までは黙って見守って居たけどね。でも、それももうお終い。
……私はね、私の大切なものが、無為に傷付けられるのは許せないの。
それなのに。大切な家族が、大切な私の家族がッ。たかが生活の為の筈の仕事ごときでボロボロに壊されるなんてッ、絶対に許さない! いい? 絶対によッ!
たとえそれが自分の意思だったとしたって、おねぇちゃん許さないんだからぁッ!!」
綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて、ぼろぼろと涙を流しながら叫ぶこんな姉を見たら、我慢なんてできなくて。
「ッ……ぐっ……ごめんっ ……ごめんなぁ……ねぇちゃんっ!」
姉に謝る他には、子供のように泣きじゃくる事しか、俺にはできなかった。
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