第4話 男はつらいよね 後

 

 

 

 俺の身体が置き去りにされたのは、まぁ、仕方ないのだろ。勢いとはいえ、自分から許可を出したようなものだし。身から出たさび、軽挙妄動の結果だな。

 反省しよう。テンションが上がった時こそ冷静に、だ。


 話を戻すか。


「俺の身体の事は、うん。解った事にしておく。

 それで、保護したって言ってた、ユスティアの魂はどうなったんだ?

 保護ってくらいだから、拙い事にはなってないんだろうけど」


姉は、コーヒーカップを傾け一口啜るとそれをテーブルの端に置くと、空いた両手を合わせて上に向けた。

 何をするのかと注視していると、その姉の手の上が光だし、白とも黒ともつかない不思議な色が球状に凝固したかと思うと、そこから真っ白な球体がふっと現れた。

 不思議な光が消えると、姉の手を受け皿にして球体だけが残った。大きさは、野球のボールとかテニスボールとか、その位だろう。片手で掴める大きさだ。


 それは何かと尋ねようとしたが、少し考えれば察しが付いた。


「……それって、もしかしなくても、ユスティアの魂、だよな?」


「ご明察。これがユスティアの魂よ。

 正確に言えば、魂そのものは、この球体の中に入ってるんだけどね。

 器に入っていないと、基本的に魂って、直ぐにあちら側へ行っちゃうから。

 ほら、あんたも経験したんじゃない? 致命傷を受けたユスティアの肉体に入ったんだから」


 うん。あれは怖かった。自分が薄くなってく気がして。気を張ってなきゃ、消えて無くなりそうだった。

 今思うと、睡魔に襲われてる時に似てたかもな。雪山で眠くなると、あんな感じなのだろうか。

 そうか。『永眠』とは、昔の人は的をいた言葉を思い付いたものだ。初めて言い出した人は、きっと臨死体験者に違い無い。


 自分で臨死体験をした事で、器の重要性は理解出来たが。そうなると、白いボールにしか見えない器とやらが気になる。


「器が重要って事は身にしみて理解できたんだけどさ、それじゃあ、その白いたまは何なの? 魂って、肉体に入って無くて平気かのか?」


「依代に宿すって手もあるけど、一番いいのは勿論、肉体の中に根付かせることね。

 だからこの魄球はくきゅうに入れてあるの。これがユスティアの新しい肉体よ」


 どうしよう。姉が何を言ってるのか解らないのだが……。

 今日の姉は、とことん俺の理解の斜め上をカッ飛んでいくらしい。俺がまだ小学生だった頃、山菜採りに行ったはずの姉が熊を仕留めて帰って来た時の事思い出したよ。

 思えば昔から、姉はこんなだっけ。そういう意味では、これで平常運転なんだな。


 ただ、あんなただの白い球にしか見えない物を、肉体だなんて言われてもな。

 魂ってんなら、見た事無いから、そんなものかで済むんだが。


「肉体って言われてもさ……。

 そんな白い球のまま生活するんじゃ、ユスティアが不憫過ぎるだろ。手足どころか目も口も無いし」


「あぁ、少し言葉が足りなかったわ。

 そうねぇ。この状態は、動物の『はい』に似てるかな。

 解る? 卵子と精子がくっついて、って方の『胚』だけど」


 ああ、『胚』か。確か、受精してできる、生物の核みたいな物、だったかな? 詳しくは覚えて無いけど、そんな感じだった筈だ。

 てか、この手の保健体育的な話題って、なんで家族とするとこんなに微妙な気持ちになるんだろうな……。


「あー、うん。なんとなく解る。

 て事は、その球は卵みたいな物なのか。有精卵の」


 俺の例えは、的を外したらしく、姉は中空を眺めて「んー」と少し唸り。


「卵、かぁ。そうねぇ。卵に例えると、殻が無くて剥き出しの卵の中身かな」


 剥き出しって……。


「そんなデリケートな状態のままにして置いて、大丈夫なのか?」


 そう訊くと、姉の整った眉が眉間に寄った。


「ちょっと。その言い方だと、私がこの状態のままにしてるみたいに聞こえるんだけど?

 違うからね」


「ああ、ごめん。言い方が悪かった」


 「まあ、いいわ」と俺の謝罪を受け入れた姉は、眉間に入れていた力を抜いて手の上の白い球を見つめた。


「本来ならね。この状態では留まらずに、直ぐにでも人の形になる筈なの。

 でも、当のユスティアがそれを拒んでいる、とまでは言わないけど、望んでいないみたいなのよ。

 ユスティアが刺されていたのも、その辺りが原因の、消極的な自殺だったようね。

 この娘が本気で抵抗していたら、あんなにもあっさりと殺される訳が無いもの」


「消極的な……自殺……?」


 俺はその言葉が、受け入れられなかった。

 受け入れてしまったら、それを認めてしまったら、ユスティアを助けようとしていた俺の全てが――


「だから、ね」


 否定的な方向へ向かっていた俺の思考は、少し張られた姉の声に遮られ。


正義まさよし、あんたがユスティアに――生きる気力を取り戻させるのよ。

 救うなら、最期・・まで責任を持って救いなさい」


 そう言って、じっと俺の目を見つめる姉の目は、俺の知る中で一番の力がこもっている気がした。

 その目を見つめ返しながら、姉の言った意味を噛み締める。


 そうだ。俺は俺の全てを賭けて救うって決めて、手を出したんだ。いまさら怖気づいてどうする。

 もしユスティアが、本気で生きる事を望んで無かったとしても、俺はそれを彼女から直接聴きたい。で、本当に余計な事だったら、全力で謝ろう。


「ああ。そうする。俺が何とかするよ。

 ……ただ、まぁ。方法がまったく、見当つかないけどな」


 なんだか気恥ずかしくて、知らず右手でウナジの辺りを触っていると、姉がにっこりと笑った。


 なんか嫌な予感がする!


「よく言ったわ。それでこそ、三椿みつば家の男子よ。

 って事で――はい、プレゼントっ」


 予感は的中した。

 事もあろうに、姉は身を乗り出して、手の上に乗せていたユスティアの魂が入った白い球を、俺の胸へと押し当てたのだ。

 リアルに世界中の強い奴らに逢いに行ってる姉の不意打ちを、俺が避けるなんて不可能だった。


「ちょおおおっ! なにしてんだよアホかッ!」


 慌てて服の上から胸元をまさぐるが、手に感じるのは柔らかな二つの膨らみだけだった。


「そんなに慌てなくても平気よ。さっきの例えで言えば、その身体を卵の殻の代わりにするだけだから。

 しかも、その体は元々ユスティアの身体だっただけあって、相性はこの上無いのに加えて、あんたが見聞きした事が、中のユスティアにも伝わる特別仕様だし。

 ね? 何も問題は無いでしょ?」


 何その誂えた様な好条件。初めから、こうするつもりだったじゃ……?


「……聞く限りじゃ、問題は、無さそうだけど……でも、身体の中にってのは……」

 

 口籠もり、煮え切らないる俺を見て、姉は、笑みを深めた。


 あ。これ止めを刺しに来たぞ……。


「さっき言ったじゃない、何とかするって。

 適任持ちなさい、男でしょ?」


「ッ……」


 ぐおおおおっ、なんも言い返せねぇ!


 ホント、男ってやつは……辛いっ。

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