第36話

 今度こそ、前後左右に加え上下の感覚もなかった。視界は真っ暗。音も臭いも感じられない。味覚が機能しないのは分かるとしても、触覚すらないのは参った。自分の足がきちんと地に触れているか、それすら定かでないのだから。


 僕は――一体どうしたんだ?


 その時(いや、時間の感覚すら曖昧だったのだが)、こんな『情報』が認知されてきた。恐らく、僕が人間の姿で産まれる前に行われた『刷り込み』とは、こういうものを言うのだろう。その内容はこうだ。


         ※


 親愛なるアルフレッドへ。

 こんにちは。と伝えたいのですが、何と挨拶をしたらよいのか分かりません。私はレーナです。あなたと宇宙を旅した、そしてケヴィンに撃たれたあの私、つまり『本物の』レーナです。


 ケヴィンに撃たれた後、私は一命を取り留めました。軌道エレベーター管理局の方が救ってくださったのです。それから一旦カプセルに戻され、傷の治療を終えました。カプセルを出てからお医者様にお尋ねしたら、弾丸があと数センチずれていたら、内臓が損傷を受けて命はなかっただろう、とのことでした。

 繰り返しますが、私は生きています。


 ケヴィンは助かりませんでした。軌道エレベーターから落下し、背中を強打して、多臓器損傷を起こしたのだそうです。即死です。それはそれは、あまりにも残酷な光景でしたので、お伝えするのは控えましょう。

 

 次に私は、あなたのことをお話しなければなりません。

 あなたも今、生きています。しかし、私と全く同様に、とはまいりませんでした。

 多くの臓器や筋肉が損傷していましたが、すぐさま軌道エレベーター管理局(こちらは地上基地にいた方々です)によって、あなたは高度先端医療センターに運び込まれました。

 そして九死に一生を得たのです――脳だけは。


 現在、あなたの身体は脳だけです。腕も足も、心臓すらもありません。想像したくはないでしょうが、カプセルに浸されて辛うじて生存状態を維持しているところです。

 また、脳の部位の中でも小脳の損傷は治癒する見込みがなく、あなたの脳を他の身体に移し替えても、すぐに死に至るのだそうです。あなたはこれから先、何も見えず、聞こえず、体験することもできません。本当に残念なことです。


 今は、私たちが地球への旅に出てから三ヶ月が経過したところです。

 私は国連の、人類宇宙開拓評議会の議員を務めています。

 なんだか大層な呼び方ですが、要は『私たちのようなアンドロイド・クローンの創造を禁止する』ことを訴えているのです。アンドロイドにしろクローンにしろ、感情はあります。気持ちの揺れ動きはあります。そんな私たちを使い捨ての機材のように扱うことの非人道さ、残酷さを叫んでいます。


 その訴えを受けて、人工知能『Ω』も、方針の転換を迫られています。つまり、私たちのような人造人間は、今後造られる可能性が低くなった、ということです。

 その流れは、一般の人間の議員たちにも受け入れられ、『過重労働を目的とした人造人間の開発の防止条約』の制定が間近に迫っています。


 私は今、地球の北欧で生活しています。スウェーデンという国の田舎町です。アル、あなたなら地図を見なくとも、どのあたりか見当がつくでしょう。

 このあたりは、未だに人間の快適な居住に適した気候や風土を保っています。夜に空を見上げれば、『オーロラ』を見ることもできます。それがどんなものか、あなたは知っているかもしれませんが、実際に見てみると本当に素晴らしい……というか、言葉では表現しきれない感動と感慨に囚われます。


 そう、この光景をあなたにも見せてあげられたら、と。

 しかしもう、私はあなたと行動を共にすることはできません。あなたを抱きしめてあげることも、手を繋ぐことも、一緒に望遠鏡を覗き込むことさえもできません。

 それを思うと、未だに胸が張り裂けそうになります。それに、このメッセージにしたって、あなたの知覚にきちんと届いているかどうか、それすら分からないのです。


 何だか暗い話になってしまいましたね。ごめんなさい。

 私には、今里親がいます。あのフレディ・カーチスさんのご両親です。それに、フレディさんの奥様や、先月産まれたばかりの息子さんとも仲良くやっています。

 私は名字を名乗ることができるようになりました。堂々と、『レーナ・カーチス』というバッジを胸につけて、今後の人類の行く末を思案することができるのです。


 最後になりましたが、私は生涯、結婚しないことを既に決意しています。子供を産める身体でないであろうことは想像していた通りでしたし、そもそも、あなた以外に人生を共に歩んでいける人間に心当たりはないのです。私の心はいつも、あなたと共にあります。


 まとまりのない文章で申し訳ありません。しかし、伝えたいこと、伝えるべきことはこんなところなのです。

 もしかしたら、医療技術の革新で、あなたも自分の身体を取り戻せる日が来るかもしれません。その時は真っ先に、私がお伝えに参ります。

 それでは。


 永遠の友、レーナ・カーチスより、愛を込めて。


 THE END

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瞳の中のコバルトブルー【旧】 岩井喬 @i1g37310

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