第35話
前後左右の感覚も捉えられずに、僕とケヴィンは落ちて行った。ただ、上下の感覚はある。落ちているのだから当然か。そしてもう一つ――地面が近いということも。
このままでは、二人共命はない。これでは、今まで死んでいった友人たちはどうなるのだろう。
何とかして、生き延びなければ。
その意志が、満身創痍の僕の腕に力をもたらした。錐もみ状態で落下中だった僕とケヴィン。目まぐるしく回る視界の隅で、地面がいかなる速度で近づいてくるものか、僕は辛うじて把握した。エレベーター内部のカウントダウンが、そのまま僕の脳に刻まれ、継続されたかのようだ。
「ぐっ……」
より強く、ケヴィンの巨躯を抱きとめるように力を込める。
僕に与えられた生存手段はただ一つ。ケヴィンを下敷きにして、衝撃吸収材にすることだ。
落着までの僅かな時間――五秒にも満たなかっただろう――、僕とケヴィンは互いに相手の上にのしかかる姿勢を取ろうと、腕を思いっきり引き合った。
その五秒間ほど、僕は『生きている』ことを実感したことはない。実際に『死』の可能性が迫ってきているというのに、皮肉なものだ。
『生きているということには、死ぬことまでも含まれる』という言葉を聞いたことがあるが、だとしたらこれほど僕が『生』について思索を巡らせたことはない。
奇妙なことだろうか? 僅か五秒間、しかも生命維持機能が途絶えかけている状態で、そんな哲学的なことを考えるのは。
ただ、僕が感じていたのは一種の達成感だった。このまま落下し続ければ、僕かケヴィン、あるいはその両方が命を落とす。もう、どうしようもない。だからこそ、そんなことを考える余裕があったのかもしれない。
落着直前、まさにその時だった。
「!」
レーナの笑顔が、網膜にふっと浮かんできた。たとえそれが刷り込みされた記憶であろうと、僕とレーナは幼馴染で恋人同士だったのだ。
もしかしたら、レーナが迎えに来てくれたのかもしれないな――。
そして僕の身体は、すごい勢いでバウンドした。落着の瞬間にケヴィンを下敷きにする、という作戦は成功したらしい。
僕はケヴィンに抱きしめられるような格好で、そのまま二度、跳ね回った。それから息が止まるような感覚と共に、地面に投げ出される。事実、肺の片方くらいは潰れてしまったのかもしれない。
ごろごろと転がり、何かにぶつかって、僕の身体は停止した。
薄れゆく五感の中で、僕は周囲の状況を確かめようと試みた。
ここは地球だ。ついに、地球にやって来たのだ。たとえそれが刷り込みによる憧れ、考え方の指向性に基づく思いだったとしても。
だがそこは、僕の思い描いていた地球とはまるで違っていた。
うつ伏せになっていた僕は、自分がぶつかったものが何なのかを視界に入れた。それは、『KEEP OUT』と書かれた、錆びた看板だった。しかし、さらに僕の視界の先、広がっていた光景は――。
どうやら、地球は今夜間であるらしい。しかし、真っ暗で静かな夜とは程遠い。 あちらこちらから立ち上がった巨大な煙突から、もの凄い勢いでスモッグが吐き出され、雲を成している。そこに、化学プラントのものと思われる派手な回転灯の光がぶつかって反射され、周囲を明るく見せているのだ。
次に僕が感じたのは、圧倒的な臭気だった。これは重油か? ガスか? それとも新たな化学物質が気化したものか? いずれにせよ、有害であることに変わりはないだろう。
ここが、地球。もし僕に生存の望みがあったなら、そんな馬鹿なと憤慨していたところだろう。地球はもっと綺麗で、生命に溢れ、輝いていたはず。それが、そのはずの地球がこんなにも酷い環境だったとは……。
だが、今の僕には心身共に嘆く余力すらなかった。
ここで僕は死ぬのだ。僕の憧れが裏切られた、しかしそれを悲観する間すら与えられずに。
低空飛行した警察のドローンが数機、僕の頭上を通過していく。
そうか、もはやこの星には、僕に優しく手を伸べてくれる人間すらいないのだ。
一パーセントの絶望と、九十九パーセントの無力感を覚えながら、僕の意識はブラックアウトした。
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