第34話

 証拠? レーナも一緒に来るんじゃなかったのか? でもレーナは取り残されて、僕たちはエレベーターに――。

 しばしの沈黙の後、僕は驚いた。頭で理解できないことが本能で知覚されたのか、凄まじい勢いで足元から頭頂までが熱に侵されたのだ。

 こちらに背を向けて立っているケヴィン。その場でゆっくりと、僕は立ち上がった。


『こいつがレーナを殺したのだ』


 ようやく、状況を理解した。


「ケヴィン」

「何だ、アル」


 ケヴィンは振り返りもせずに、適当な返答を寄越した。


「どうしてレーナを撃った?」


 するとケヴィンは、呆れたように首を左右に振りながら、


「仕方ないだろう? 証言台に立つ人間は、冷静でいなくては。その方が、レーナが泣いてみせるよりも有利な展開に持ち込めると判断させてもらった」

「だから殺したのか」

「殺したくはなかったさ。お前の彼女だものな。だが、地球に着いてからの立ち振る舞いを考えれば、冷静な奴こそ行くべきだ。一番役に立たない奴を置いていくしかない。しかも説得している時間はなかった。だから撃ったのさ」

「貴様、それでも人間か!!」


 自分が発した思いがけない大声。しかし、僕は驚かなかった。そんな心理的余裕はなかった。

 だが、ケヴィンを怯ませるには十分だったらしい。振り返ってきたケヴィンに向かい、僕は思いっきり右腕を振りかぶり、彼の左頬に叩き込んだ。


「ぶっ!」


 流石にケヴィンも予期していなかったようで、彼は上半身を仰け反らせた。

 僕たちは互いに相手のリーチを測り、背中を壁につけるように押しつけるようにして距離を取った。


「俺とやる気か、アル?」


 その言葉が終わる前に、僕は飛び出していた。

 僕の顔面目がけて振りかぶられた腕をかわし、懐に飛び込む。そのままジャブとストレートをワンセット、ケヴィンの腹部に叩き込んだ。しかし、効果があるとは思えない。まるで大木を殴っているような感覚だ。


 殴られているのを無視して、ケヴィンは中段蹴りを放った。僕はさらに屈んでこれを回避する。同時に下段蹴りを放ってみたが、ケヴィンはやはりびくともしない。

 すると隙を見せてしまったのだろう、ケヴィンは僕の髪を掴み、無理矢理引っ張り上げた。


「さっきからうるせえぞ、アル!」


 そのまま無造作に、僕はエレベーターの反対側に放り投げられた。


「がはッ!!」


 何とか後ろ手をついて、背中、ひいては脊髄にダメージが及ばないようにする。だが、こんな調子ではとても相手にならない。


 何か。何かないのか。僕は瞬時にエレベーターの四隅に視線を走らせた。そんな僕を、ケヴィンはボクシング風の戦闘態勢で待ち構えている。

 かと言って、彼とて長くは待ってくれないだろう。こんな狭い箱の中では。

 僕は壁に背を貼りつけるように後ずさりした。


 その時、僕の手に何かが触れた。スイッチのようだ。

 待てよ。このスイッチはもしかしたら――。


「ふん!」


 僕が考えをまとめる前に、ケヴィンはステップを踏みながら回し蹴りを放ってきた。壁にくっついて反転しながら、僕はこれを回避する。すると、ちょうどケヴィンの足先が、スイッチを押し込むようにボタンを粉砕した。その直後、警報と共にエレベーターは赤色灯に包まれた。


《非常安全装置を起動します。金属性の物品をお持ちの方は、直ちに身体から離してください。繰り返します――》


 それにも関わらず、ケヴィンは攻撃を繰り出してくる。僕は我ながら華奢な身体で、回避し、時には致命傷を避けるため骨の一部を犠牲にしながら、ケヴィンと殴り合った。

 拳を引いて突進してくるケヴィン。突き出されたそれを叩くように流して回避し、前のめりになったケヴィンの頭部にハイキックを叩き込む。


「かはっ!」


 ケヴィンの前歯が宙を舞う。だが、ケヴィンはその場に留まる愚を犯さず、すぐさまバク転して反対側の壁に背をついた。

 しばしの闘いで、僕の方が疲弊していることは明らかだった。だが、僕にはケヴィンにはない強烈な感情がある。殺意だ。ケヴィンはレーナを殺したのだ。絶対に許してなるものか。

 

 そこまで時間を稼いだ――警報が鳴り始めて三十秒ほど経っただろうか――、その時だった。


《非常安全装置、起動》


 その一言と共に、絶叫がエレベーター内に響き渡った。ケヴィンの悲鳴だ。


「ぐっ! がはっ! ち、畜生!」


 非常安全装置。その仕組みは、軌道エレベーター内部に特殊磁場を発生させ、エレベーターを減速させるというものだ。その磁場が、ケヴィンの身体の表層部に撃ち込まれていた弾丸を振動させ、激痛をもたらしているのだ。


 その痛みの鋭さたるや、凄まじいものがあるだろう。弾丸が身体に食い込んでくるのだから。まるで磔にされたようなケヴィンに向かい、しかし、僕は鋭い視線で戦闘態勢を崩さなかった。


 こいつが、こいつがレーナを殺したのだ。レーナはもっと苦しい思いをしていたに違いない。ケヴィンにかける慈悲はない。

 武器もなしに、どうしてケヴィンと戦っていられるのか、僕には分からなかった。だが、レーナを殺された恨み、それを晴らさんとする執念が、自分を突き動かしていたのは間違いない。


「ぐあああああああっ!!」


 呻き声を上げるケヴィン。殺すなら今しかないが、僕にはそれだけの攻撃力はない。


「畜生!!」


 僕は、背を壁に押しつけられる格好のケヴィンに肉薄し、ひたすらに殴打を続けた。顔面から胸部、腹部に至るまで、人間の急所となるところを殴り、蹴りつけ、時には肘や膝を叩きつけた。だが、いずれも致命傷には及ばない。ケヴィンの筋肉層が厚すぎる。


 それでも鼻先をへし折るべく、僕が右の肘打ちを叩き込もうとした瞬間だった。


「ふざけ……やがって……!」


 ケヴィンが無理やり腕を動かし、掌で覆うように僕の肘を掴み込んだ。

 その直後、バキリ、という明瞭な破砕音が、エレベーター内に響き渡った。


「う、わ」


 突然失われた右腕の感覚。次に走ったのは激痛だ。右腕の肘を中心に、肩から手先までを切り刻まれていくような。


「ぎゃあああああああ!!」


 たまらず僕は――いや、僕『も』か――、悲鳴を上げた。

 ケヴィンはそのまま、僕の腹部を正面から蹴りつけ、反対側の壁まで突き飛ばした。


「ぶふっ!!」


 僕は吐血した。今の蹴りで、胃が破裂したらしい。一般の人間なら即死だろうが、生憎と僕やケヴィンはアンドロイドだ。まだ意識が途切れたりはしない。


 その時だった。今までの警報音に混じって、アナウンスが流れたのは。


《軌道エレベーター、管制システムとのリンクを構築できません。地表まで残り一キロメートル、自由落下します。地表到達まで、あと三十秒。衝撃に備えてください》


 今までの内部の闘いで、エレベーターが故障したのだ。しかも自由落下ときている。

 すると突然、真っ白な煙がエレベーター内部に充満した。


「ぐっ!」


 それは、緊急事態用のエアバッグが展開される際に出る煙だった。

 エアバッグの白と、自らの吐血による赤。その二色に揉まれながら、僕は身動きが取れないでいる。だが、ケヴィンは違った。その剛腕で、エアバッグを割り始めたのだ。彼を押さえつけていた磁場は、もう発生していない。


「アル、死なばもろともだ!!」


 自らの死を悟ったのだろう、ケヴィンは僕を道連れにする気だ。

 右肘を左腕で押さえる格好の僕に向かい、ケヴィンは突進。僕を、自分の身体とエレベーターの内壁とで挟み込んだ。

 この状況でケヴィンに本気を出されたら、僕は圧死してしまう。


《地表到達まで、あと十五秒》


 冷酷なアナウンスが響く中、僕とケヴィンはただひたすらに、相手の死を願った。

 僕たちは生き残るために、オルドリンを脱出してきたのではなかったのか? 

 そんな思いが脳裏をよぎったが、今更それが何になるというのだろう。


《地表到達まで、あと十秒》


 その時だった。ふっと、僕の背中の圧迫感がなくなった。

 まさか。いや、しかしそのまさかの事態が起こった。エレベーターの壁面が外れたのだ。


 ここで落ちたら、僕までもが確実に死んでしまう。僕はケヴィンの着ていた貫頭衣の裾を思いっきり引っ張った。


「うおっ!?」


 そして僕たち二人は、何も囲うもののない、空中へと投げ出された。

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