第26話

 僕はしゃがみ込み、マンホールの開錠スイッチを押した。音もなく縦穴が開く。真空中だから当然なのだが。それから僕は、ケヴィン、フィン、レーナの順に目を合わせてみた。皆が互いに視線を彷徨わせている。


「ったく、しょうがねえな……」


 そう言いながら、斬り込み隊長を務めることになったのはケヴィンだった。案の定そうだとも言える。小口径の銃弾ならびくともしない体格を持つ彼が、危険地帯に乗り込むには確かに適任と言えた。


「すまない、ケヴィン」


 僕は再び膝を折って、ケヴィンとヘルメットを接触させた。


「気にすんな。マグマが噴き出してこないだけマシだ。下に降りたら、無線でアルに合図する」


 そう言って、ケヴィンは真っ暗な穴の中へ、ゆっくりと下りていった。

 真っ白な宇宙服が、黒々とした闇に飲み込まれていく。空気のない、つまり光が屈折せずに直接差し込む真空中では、その明暗は驚くほどはっきりと見えた。まるで、ケヴィンの宇宙服が、足元から黒いインキに浸されていくようだ。

 宇宙服の胸部で点滅している真っ赤なランプが、その黒を押しのけるようにしてゆっくりと沈んでいく。


 無線で連絡があると分かってはいても、僕はそのランプの点滅が消えっ放しになってしまいやしないかと、心配で心配で仕方がなかった。ミヤマ博士というのは、人を心配性にさせる趣味でもあるのだろうか?


 その時だった。


《こちらケヴィンだ。床に足が着いた。照明のスイッチがあるようだが……押してみるか?》

「ああ、頼む」


 僕と誰か――今回はケヴィン――との会話はオープン回線で、他の二人にも聞こえるようになっている。ケヴィンからの通信に、レーナはほっと胸を撫で下ろし、フィンはふむふむと頷くような動作をしていた。

 すると、これまた無音で、二十メートルほど下方から照明が点き始めた。一メートル間隔だろうか。そのお陰で、この縦穴通路が高強度のブロック状素材を組み合わせてできていることが分かった。


「照明の点灯を確認した。これからゆっくりそちらに下りる」

《了解》


 僕はレーナとフィンに顔を向け、手で自分を指さしてからそっと足をマンホールに入れた。重力は変わらず、しかし僅かには働いているようで、僕はふわりふわりと下りていく。すぐ後にレーナが続き、フィンがしんがりを務めた。再び音もなく、頭上の蓋が閉まる。

 ケヴィンは少し広さのあるフロアに足を着いていた。わきにどけると、レーナ、フィンの順で、残り二人が下り立つところだった。するとケヴィンが、


《重力、かけるぞ》


 と一言。

 小さく、しかし重いヴーン、という音がして、


《人工重力場が発生します。ご注意ください》


 とのアナウンス。カウントダウンが入り、『零』が告げられた時点で、僕たちの肩に重さがどっとのしかかってきた。オルドリンコロニーと同様な、人工重力発生場があるようだ。

 突然かかってきた重力に、レーナはよろめき、フィンは少し顔をしかめたが、ケヴィンは何事もなかったかのように肩をそびやかせていた。僕はといえば、もっとひどい負荷がかかると思っていたので、逆に軽く飛び跳ねてしまった。


「おいアル、遊んでる場合じゃねえぞ」

「誰も遊んでなんかない」


 僕はぶっきら棒に答えた。本当は、危険かもしれない場所に最初に踏み込んでくれたケヴィンに礼を述べるべきなのだが。

 どこかしら、僕の心の中で苛立ちが募っていた。この感覚――最初に警備員二人を殴打した時のような、凶暴な感情に似ている。

 この先に、一体何があるのか? その一種の不信感が、そんな僕の苛立ちを倍加させる。


「アル、どうしたの?」

「あんたが進まないなら、あたしたちが置いてくよ」

「……え?」


 振り返ると、レーナが心配そうに、フィンが不満げに僕を見つめていた。


「ああ、悪い」

「ア、 アル?」

「……」


 僕が苛立っていることに、レーナは気づいているだろうか? そもそもこの苛立ちは、一体どこからやってくるのだろうか?

 廊下の照明は、先頭のケヴィンが進めば進むほど、段々と点いていった。真っ白な壁がやや眩しく感じられる。

 僕らが横並びで進んでも余裕があるほどの広さの廊下。それでも、先頭はケヴィンで変わらなかった。まるで、前方からの敵襲に備えるように。やはり僕だけではなく、皆も少しピリピリしているようだ。


 ゆっくりと、二百メートルほど進んだだろうか。突如として、見慣れたマークが目に入った。気圧調整モジュールを示すマークだ。

 ケヴィンは無言で、ゆっくりと開錠ボタンを押した。


《皆、入ったか?》


 全員が頷くのを確認したケヴィンが頷き返すのを見て、フィンが壁面のバーに手を載せる。フィンがロックをかけると、自動的に気体が充満し、『気圧調整完了』の青いランプが点いた。誰が何をせずとも、来た方とは反対側のドアが開く。

 宇宙服を脱ぎ、ヘルメットを脱いだけれど、僕たちの会話はめっきりなくなってしまったようだ。そんな『雰囲気』とでもいうのだろうか。

 僕は試しに軽く振り返り、レーナの手を取ってみた。


「あっ」


 突然のことで、レーナは目を見開く。

 

「どっ、どうしたの、アル?」


 不安と驚き、それに恥ずかしさも相まってか、レーナは少し顔を赤らめる。

 そんな彼女の姿に、僕はどこか微笑ましいものを感じた。お陰で僕も、少しばかりの落ち着きを取り戻す。


「レーナ、怖くない?」

「だ、だって、私たちはミヤマさんに会いに行くんでしょう? ミヤマさんは私たちをずっと助けてくれたし、フレディさんとも友達だし……」


 だから怖くない、と言いたいのか。しかしそれは見当違いではないかと思う。

 フレディが僕たちと行動を共にしているのを知って、ミヤマは大変驚いていた。フレディの同行というのは、ミヤマにとってイレギュラーな事態だったのだ。しかもその驚き様からするに、悪い方向の異常さを表していた。ミヤマ――一体何者なのか?


 ミヤマの導きあっての僕たちの道のりだった。彼なくして、僕たちは地球まで来ることはできなかった。

 しかし、だからと言って全面的な信頼を置くのに、僕にはどこか抵抗がある。そもそも、僕たちを本気で助ける気があるなら、もっと強引な手を使ってもよかったはず。

 にも関わらず、僕たちは自分たちでずっと険しい道を乗り越える必要に迫られてきた。


 まさか、試されているのか? だが、何のために? その問いこそ、僕たちの正体に関わる事態ではないのか?

 などなど頭をフル回転させていると、ばふ、と何かに正面からぶつかった。ケヴィンの背中だ。


「おい、着いたぞ。『ミヤマ研究室』だそうだ」

「あっ、ああ」


 僕はごくり、と息を飲んだ。そこは廊下の突き当りになっている。この向こうに、重大な『何か』を持っている人物がいる。


「アル、お前が話しかけてみろ」

「えっ、ぼ、僕が?」

「大体、お前が言い出したことだろ? 今回の作戦。もちろん俺も協力はするが、こういう場面ではリーダーに面に立ってもらわんとな」


 ケヴィンは二、三歩後ろに下がり、『さあ』と僕の背中をそっと押した。


「ん……」


 入口ドアは、特にロックと思われる電子機器は取りつけられていなかった。ただ、『開錠』のボタンがあるだけ。見上げると、そこには物言わぬ監視カメラが目を光らせていた。

 カメラがついているなら、室内にいるであろうミヤマが僕たちを目にしているはず。だったら向こうから開けてくれてもいいのではないか。

 いや、しかし、今は僕たちが『訪問者』なのだ。こちらから入室するのが筋ではないだろうか。『やっと自分たちはここまで来たのだ』と、報告すべきではないか。


「おい、何迷ってんだ、アル」


 苛つきを隠さないケヴィン。僕は監視カメラと目を合わせ、ゆっくりとボタンを押し込んだ。

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