第24話

「おい、それをさっさと言えよ!」


 ケヴィンはそう言いながら、勢いよく座席を蹴ってコクピットモジュールへと流れていく。


「さ、レーナも来なよ!」

「う、うん!」


 特別な何かを想像したのか、レーナもまた、シートベルトを外そうとした。が、手が震えて思うようにいかない。


「レーナ、落ち着いて」


 僕がボタンを操作すると、二本のベルトは軽い擦過音を立てて座席のわきに引っ込んだ。

 それからレーナの手をそっと引いて、ケヴィンの後を追うようにコクピットモジュールに入っていく。


 フィンが立ち上がったのを機に、レーナがそっと身を乗り出した。僕も同じ方に視線を遣ると、ようやく全員揃って地球を眺める形になった。


 二、三の言葉を交わしながら、僕は地球を見つめた。瞼の裏に焼きつけるように。それは、とてもとても眩しく、美しく、愛おしい。そして、圧倒的な存在感を誇っていた。

 闇に輝くサファイアの欠片のようだとも思ったが、そこに数十億の人々と、さらにずっと多くの生命体が存在しているのだ。このスケールは、生で見た人間でなければ分からないだろう。


 ただ一つ気になったのは、以前講義で見たことのある映像より、地球が少しばかり紫色に近づいて見えたことだ。やはり、大気、海洋、土壌と、それぞれの汚染は進んでいるらしい。


「アル」

「……」

「ねえ、アル!」

「あ、ああ」


 僕は、フィンの声でようやく頭の回転速度を戻した。


「さっき、フレディと何か話してたでしょう? もし支障がなければ、あたしたちにも教えてほしいんだけど」


 うっかり忘れていた、というには、フレディにあまりに申し訳なかった。が、ワームホール内の光景や、地球の姿を見てしまっては――そしてその衝撃を受けてしまった後では――、やはり手紙を受け取ったことなど霞んで見えてしまう。

 だが、その手紙の内容は、僕たちを狼狽させずにはいられなかった。


「アル、それは何?」


 と尋ねてきたレーナに、


「フレディに託された、最後のメッセージだよ」


 その言葉にピンと来たのか、ケヴィンもフィンも振り返ってこちらに身体を流してきた。


「読み上げてみようか」


 封筒の中には、また小さな封筒が二つ入っていた。それぞれに『遺書』の文字がある。

 僕は、二文字の下に『愛する家族へ』と書かれた方を先に朗読した。

 どうやらフレディの奥さんは妊娠中で、出産予定日は二ヶ月後に迫っている、ということが分かった。

 まあ、言ってみればただの奥さんへのラブレターと思われても仕方がない。

 だが、問題になったのは、やはりもう一通――『これを読まれる心ある方へ』の方だった。


 僕はこれもまた、朗読してみた。

 まずは自分の身分、すなわち、オルドリンコロニーの警備員であること、じき地球へ転属になること、そしてその前にどうしても、この宇宙レベルでの大スキャンダルを、物証とともに提出したいと思っていることなどが述べられていた。


「我々警備員の発信する文書や映像、音声その他は、全てコロニー官庁の検閲下におかれている。よって、こうしたアナログな手段を取るしか方法がなかったし、この手紙が官庁や当局の手に渡れば、即座に廃棄されるだろう。それでも、僅かな希望を託して、この手紙をしたためることとする」


 僕はここで一旦息を吸った。


「随分と大仰な言い方だな。それで?」


 ケヴィンが続けるよう促してくれたので、僕は淡々と続ける。


「このオルドリンコロニーの警備員を務めて早三年、私は子供たちが過酷な労働を強いられている、という事実にぶち当たっていた。それは、その子供たちが一番よく知るところであろう。しかし、そんな子供たちに、彼ら自身の正体を告げるのは、今の段階ではあまりに酷である。よって、この手紙が、最大の物証である子供たち自身の手によって、地球の最高評議会に持ち込まれることを望む」

「私たちが、伝達者になるのね」


 レーナは興奮半分、怖さ半分といった調子で告げた。僕は彼女と目を合わせてから、続きを読み上げる。


「私事だが、妻が妊娠している。この手紙を書いている時点でもう産まれているかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、そこに私は、異様な不自然さ、不気味さを覚えずにはいられない。何故なら、同じ子供であるにも関わらず、平和に過ごせる子供たちと、強制労働に駆り出される子供たちの二種類が存在するからだ。私は一人の父親として、その事実を酷く痛ましいことと認識している」

「大人にも分かってる人はいた、ってことね」


 フィンが皮肉のこもった言い方をしたが、僕はそれを無視して、最後の段落に差し掛かった。


「子供には等しく教育の機会を。それは前世期から、ずっと言われ続けてきたことだ。それが未だに達成できず、まして強制労働などということに駆り出されている子供たちのことを思うと、人類の未熟さ、不完全さを痛感せずにはいられない。どうか、この手紙を地球の有力者、有識者始め、多くの人々の眼前に晒してほしい。それから、全地球人、また、地球から派生したコロニー開拓者たちの間で議論してほしい。これが、私の望む全てである」


 僕は朗読を止めて、三人の顔を順々に見回した。皆、難しい顔をして黙り込んでいる。


「これで終わりだ」


 と、僕は告げた。


「つまり、俺たちが何者なのか、ってのは、俺たち自身で探り出すしかねえってことか」


 ケヴィンは腕を組んで、ため息をついた。


「いい加減、誰か教えてくれねえもんかな」

「で、でもケヴィン」


 横からそっと声をかけたのはレーナだ。


「この手紙の内容からすると、私たちにとってすごくショッキングなことみたいだよ? 私、怖い……」


 そんなレーナに向かい、


「じゃあ、あんたは自分が何者なのか、ずっと知らずに生きていくってわけ?」


 やはりフィンの指摘は辛辣だ。しかしレーナも負けてはいなかった。


「そんなに自分のことを知るって、大事なことなの? 自分を傷つけてまで、知らなきゃいけないことなの? 私、そうは思えない」


 僕は、レーナがそっとこちらを窺う気配を察した。何とか助け船を出してあげたいところだが。


「それも一理あるね」

「アル、あんたはレーナの肩を持つの? まあ、そりゃあガールフレンドだし、そうしたいのは分かるけど」


 ぐっ、と僕は息を詰まらせた。今の僕は、ケヴィンやフィンほどの理論武装をしていない。


「そっ、そういうことじゃ……」

「じゃあどういうことなんだ、アル?」


 ケヴィンも便乗し、こちらを見下ろしてくる。仕方ない、僕は使える知識を総動員して、論点をぼかすことにした。


「昔、とある動物園に、動物のいない檻があったそうだ。タイトルは、『この世で一番恐ろしい動物』。そこには何があったと思う?」


 ケヴィンやフィンはもとより、レーナまでもが首を捻って考え出した。だが、今は楽しいクイズに興じている場合ではない。


「答えは、鏡だ」

「鏡?」


 ケヴィンが訝しげな表情で、オウム返しに言った。それに対しフィンは、顎に手を当てながら


「なるほどね」


 と一言。


「おい、どういう意味だ?」


 すると、次にこの問いの意を察したレーナが、


「つまり、『この世で一番恐ろしい動物』っていうのは、その鏡を覗き込んでいるその人自身、ってことじゃない? ねえ、アル?」

「レーナの言う通りだ」


 僕が頷いてみせると、


「その鏡と、『俺たちが何者なのか』って問題は、どう繋がってくるんだ?」

「つまりさ」


 僕はケヴィンを怒らせないよう、言葉を選びながら説明した。


「ケヴィンの言う『自分たちが何者なのか』の正体が『この世で一番恐ろしい怪物』だったとしたら、そしてそれを知ってしまったとしたら、誰もいい思いはしないだろう、ってことだよ」

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