第23話
「フィン、操縦を代わってもらえるかい?」
「ええ、アルの方が検定試験では実力があったしね」
そう言うと、フィンはコンソールに両手をついて、身体をコクピット後方へ流し、反動で副操縦士の席についた。
「でも、どうにかできるの? 名案はある?」
「やってみなけりゃ分からないさ。フィン、君には船内の様子を逐一教えてほしい。旅客モジュールの気圧や酸素濃度の維持システムに異常がないか」
「了解」
いつになく素直に従うフィン。そんな彼女を見て、僕は自らも努めて冷静であるかのように振る舞った。
が、胸中は全く違う。否、真逆だった。
やっとここまで地球に近づいてきたのに、ここで動けなくなってしまってはこれまでの努力が水泡に帰すことになる。
ミサイルの第三波が来るかもしれないし、ワームホールに上手く突入できず、宇宙の塵になってしまうかもしれない。
何より、フレディの犠牲が無駄になってしまうかもしれない。
何としてでも、ワームホールに到達しなければ――。
「フィン、第三エンジンの出力が落ちてないか?」
「いや、落ちてるのは第四エンジンね。船体があれだけ回転したものだから、両方ともまずいと言えばまずいけど。切り離す?」
「待って。切り離した反動で機体が傾くから、タイミングが重要だ」
僕は、自分の手汗が酷いことに、今さらながら気がついた。
スラスターの使用で、辛うじて船首はワームホールに向かっている。だが、上方への角度はやや足りない。恐らくフレディが、機体の損傷を計算に入れていなかったがための誤差だろう。
「僕がカウントダウンするから、フィンは合図を待ってくれ」
「分かった」
僕は、目まぐるしく回転する視界の中に、出来る限りワームホールを入れ続けた。
この先に、地球がある。
僕たちの労働環境の実情を暴露するだけでない。
自分の憧れだった地球に、ついに降り立つことができる。
「第四エンジン、切り離しカウント入るよ!」
「了解!」
「五、四、三、二、一、今だ!!」
再びゴォン、とドラム缶を叩くような音がして、身体が後方へつんのめった。
と同時に、既に無用の長物となっていた第四エンジンの投棄により、機体の速度は上がったようだ。
僕は頭の冷静な部分を総動員して、対策を考えた。
「フィン、残りのエンジンを、第一から第六まで順に最高速度で点火! それぐらいの勢いでないと、ワームホールに突入できない!」
「でも、操縦はどうするのよ!? 下手に突っ込んだら機体は――」
「それを僕が調整する!」
「アル、できるの!?」
「やるしかない!」
僕はその汗ばんだ手で、操縦席左右にあるレバーを握り締めた。
ワームホールの座標を入力し、船首を向ける。
自動操縦では制御しきれないところを、スラスターを暴発させて無理矢理調整する。
皆に再び、耐ショック姿勢を取るよう大声を張り上げる。
そして僕たちは、乳白色の花弁へと、猛スピードで突っ込んでいった。
「うっ!」
真正面から背中にかけて、これでもかというGがかかる。正面からGがかかるということは、僕たちはワームホールの入り口から真っ直ぐ突入したということだ。作戦は成功したと言っていいだろう。
だが、それ以外に感じられるものは、他にはなかった。強いて言えば、僕の掌に握りしめられたレバーのぬるりとした感触ぐらいだろうか。
目を開けようとすると、しかし、眩い光の奔流で、すぐに目を閉じることになった。防眩フィルターは下りているだろうに、とてつもない光量だ。
だが、僕は薄っすらと瞼を開いた。ワームホールの中の様子を見てみたい、そして一刻も早く、その先にある地球をこの目で捉えたい。そんな気持ちだった。
声は出せず、視界も狭かったが、僕はワームホール内の様子に圧倒された。
突入時に僕たちを包み込んだ乳白色の光はなく、普通の宇宙空間、真空中を飛んでいるようだ。闇を背景に、幾何学的でカラフルな光の構成物が、船首から船尾へと流れていく。
その流れは、とてつもない速度を出しているはずのこのスペースプレーンからでも、とても鮮明に見えた。
次の瞬間だった。
「!?」
身体が、浮いた。シートベルトをしていなければ、頭を天井にぶつけていたかもしれない。いや、そもそも上も下も分からない。少なくとも、突入時に感じた強烈なGは、今は感じられなかった。まるで胎児のように身体を丸め、羊水の中を漂っているかのようだ。そんな記憶は、もはや残っていなかったけれど。
Gがなくなったといっても、身体の自由が利くようになったわけではない。脳神経から伝達されるはずの信号の一部が、失われてしまっているのだ。呼吸をしたり、心臓を動かしたり、胃の内容物を消化したり、といった生理現象は起きているようだが、随意筋――自らの意志で動かせる筋肉の自由は利かなかった。
ワームホールの中では、人間の意図した電気信号は麻痺してしまうらしい。
そして、次のステップは突然やって来た。
「ぐっ!!」
身体が、再び凄まじいGの衝撃に襲われた。随意筋の自由が戻ったのもその時だ。
突入する時には気づかなかった、ザーッ、という耳障りな音がする。
『突入時に気づかなかった』というのも、それだけ必死にスペースプレーンを操縦していたからだと思う。それでも直感的に、僕はワームホールの『出入り口』について、何らかの実感があった。それがこの砂嵐だ。
逆に、突入の際にこの砂嵐のような音がする、ということは、ワームホールから出る時も、その出口が近いことを表しているのだと思われた。
その時、僕は再び、あまりの光量に目を閉じることになった。この機体を取り巻く景色が、再び乳白色へと変わりつつあったからだ。やはり思った通り、出口は近い。
機体がガタガタと不規則に揺れる。ただし、今までのような『回転』ではなく『振動』だ。
そして、乳白色の風景は、全く唐突に途切れた。
ズバッ、と何かを切り裂くような音がした。途端にGがかからなくなり、僕は耐ショック姿勢――『胎児のようだ』と例えた姿勢――のままふわり、と浮かび上がった。シートベルトの許す限り。
すると、眼前に灰色の大きな球体が迫ってきていた。これは――。
「月?」
いろんな惑星にいろんな月が存在するが、この『月』こそ、特別な、この広大な宇宙に一つだけの『月』なのだと僕は知っている。
計器を見る限り、このスペースプレーンは月の周回軌道に乗ったようだ。月が、視界の下方へと流れてゆく。そして僕は、息を飲んだ。『それ』が月の向こうから昇ってきたのだ。
「……」
言葉にできなかった。ついに。やっと。ようやく。
僕はシートベルトを外し、
「おい、フィン! フィンってば!!」
「叩かれなくても起きてるわよ」
素っ気ない返答だったが、その視線の先には、僕が見ているのと同じ『それ』があった。
僕は座席を蹴って、旅客モジュールへと進んだ。するとそこでは、
「レーナ、大丈夫か!?」
「ん……」
「レーナ、起きるんだ!! 着いたぞ!!」
「おい、無理に揺するな」
いつの間にか僕の後ろにいたケヴィンが注意する。しかし、僕は一刻も早くレーナに見せたかった。コクピットからの景色を。
すると、レーナの頭がカクンと傾き、ちょうど僕と目が合った。
「アル……?」
まだ焦点の定まらない様子で、レーナは言葉を紡ぐ。
「ワームホールは……どうなったの?」
「無事突破した。今は月の周回軌道に乗ってる」
するとレーナの瞼が見る見る引き上げられ、
「じゃあ、私たち……!」
「見えるところまで来たんだよ、『地球』を!!」
ケヴィンはといえば、どこだどこだと旅客モジュールの窓という窓に貼りつき回っていた。
「ああ、悪いなケヴィン。今はコクピットモジュールからしか見えないんだ」
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