第22話
「あなたも来てください! 僕たちを助けてくれたじゃありませんか!」
しばらくの間、スピーカーが沈黙した。
「答えてください、フレディさん!」
《私はいかない》
「な……?」
《私は、君たちが何者なのか知っている。だが、それは君たちが自分で確かめねばならないことだ。もしかしたら、知らない方がいいことなのかもしれないが……》
僕は一瞬、スピーカーに釘付けになった。目だけではなく、耳も。
僕たち自身のことで、かつ知らなくてもいいことなんて、あるはずがないと思っていた。だが僕たちも、自分自身をどれほど知っているのかと問われると、果たしてどれほどのものか。
《私から言えるのは、君たちが選ばれた者だということ、それだけだ。手紙の件、頼むぞ》
すると、通信は向こうから強制的にシャットアウトされた。
僕は慌ててコンソールの『モジュール間通信』ボタンを連打したが、どこにもその信号は届かない。
「くそっ!!」
僕はコンソールを蹴るようにしてコクピットモジュールから離脱。旅客モジュールに戻る。
「おいアル、一体どうしたってんだ!?」
「ケヴィンもレーナもそのままでいてくれ! すぐ戻る!」
と言いながら、第一エンジンのコクピットに続くスライドドアに手をかけた。身体を捻りながら、引き開けようとする。しかし、ドアはぴくりとも動かない。ただ『DANGER』の表示が立体映像で流れるばかりだ。
ケヴィンの鉄拳なら開けられたかもしれない。だが、それは無理な相談だった。このドアが開いてしまったら、旅客モジュールが真空に晒されることになりかねない。
いつになく激昂した僕は、思いっきり拳をドアに叩きつけた。
するとこちらをモニターしていたのか、フィンが鋭い声を上げた。
《あんたも席に戻って、アル! シートベルトもちゃんと装着して!》
「くっ……!」
僕が席に戻り、シートベルトを締めた直後、フレディがカウントダウンを始めた。
《第一エンジン切り離しまで、五、四、三、二、一――》
「……」
僕は拳をエアロックにぶつけたまま、強く強く目を閉じた。その直後だ。
ガコン、とくぐもった音を立てて、第一エンジンは投棄された。外からは、真空中であるために音は立たなかっただろう。
しかし、フレディは第一エンジンを操縦するだけの実力と手段がある。僕は席に着いたまま顔を上げた。
「フィン、周囲の状況は?」
《今そっちに立体映像で出すから、少し待って》
すると間もなく、僕たちの頭上に一つの球体が表示された。青い中心点がこのスペースプレーンで、高速で接近する赤い点――こちらをロックオンしたミサイル――が二つ、迫ってくる。
これらに対し、黄色い三角形がゆっくりと向かっていく。切り離されたエンジンを表しているマーカーだ。すると唐突に激しい揺れが、スペースプレーンを木の葉のように揺さぶった。
「うわっ!?」
「きゃっ!!」
すると、青い矢印、すなわちこのスペースプレーンは回転を始めた。ちょうど第一エンジンとミサイルの第一波が衝突する方へ、近づきはしないが船体の腹を見せるような向きに旋回する。
その時、ようやく僕はフレディの意図を悟った。
ミサイルの操縦士は、オルドリンとワームホールの間でスペースプレーンとミサイルがぶつかるよう、軌道計算をしているはずだ。
そこでフレディは、一旦その軌道を逸らすように計算し直し、直線軌道を避け、わざと第一エンジンと第一波ミサイルのぶつかる方へとスペースプレーンの腹を向けた。
スペースプレーンは、大気圏突入時に生じる摩擦熱から自機を守るように設計されている。それがいわゆる『腹』だ。部品の交換なしに何度でも使えるようにするために。
機体を旋回させたのは、その丈夫な腹から、ミサイルとエンジンの爆風――真空中に風は吹かないから、『爆圧』とでも呼ぶべきか――に機体を突入させるため。僕たちは無謀にも、爆発の中に飛び込もうとしている。
そうなると、再び機体は回転し、しかも爆圧によって速度を増した状態でワームホールに向かうことになる。ミサイルの第二波は、これに追いつけない。
そこまで考えついた僕は、次の衝撃が来るのを察した。
「皆、船首の方に引っ張られる! 気をつけて!」
と叫んだ。
「頭を膝の間に入れて、後頭部を押さえるんだ!!」
その直後、窓からガシャン、と金属の触れ合う音がして、防眩フィルターが下ろされたのが分かった。過度の光量を感知すると、自動で閉じるのだ。
それでも、フィルターと窓枠の合間からは、凄まじい量の光が差し込んできた。機体はひどく揺さぶられ、それに遠心力が加わって、スクランブル・エッグを想像させるほどだった。
その間、恐らく十秒ほど。
この高性能なシートベルトには、感謝しなくてはなるまい。これだけの振動に耐えたのだから。
気づいた時には、既に防眩フィルターは引き上げられ、爆発による光は収束に向かっている。
「んっ……」
僕は薄く開いた瞼から視線を走らせ、相変わらずこのモジュールに展開された球形立体映像に目を遣った。そして僕は二、三回瞬きをしてから、
「やった……。フレディの作戦は成功だ! ワームホールまでの軌道に乗ったぞ!」
その声に、レーナとケヴィンも顔を上げる。
立体映像に映されていたのは、青い三角形とその後をのろのろついてくる赤い三角形。そして青い三角形の先には、ワームホールのマーカーが近づきつつあった。
《皆、大丈夫? 怪我はない?》
フィンの落ち着き払った声音に、僕は安堵感からか、どっと背に汗が滲むのを感じた。
「レーナもケヴィンも、大丈夫か?」
親指を立てるケヴィンの隣で、レーナが吐きそうな顔をしている。僕はゆっくりと手を差し伸べた。
「レーナ、トイレは――」
「……ううん、大丈夫」
とのこと。
《全員無事なのね?》
「ああ、大丈夫だ」
と、僕は三人を代表して答えた。フレディ・カーチス。彼のことは、絶対に忘れまい。
僕が拳を胸に当て、ぎゅっと目をつむった――その時だった。
ヴーン、ヴーンと警戒警報が流れ始めた。照明が一瞬で赤色灯に変わる。
「フィン、どうしたんだ!?」
《船体に亀裂!! きっと、さっきの爆発で飛んできたミサイルの破片が刺さったのよ!!》
何てこった。事ここに至って、計画が破綻するとは。
「航行に支障は!? ワームホールに辿り着けるか!?」
《ワームホールまではギリギリ……だけど、この状態での大気圏突破は不可能!! 地球の近傍に出て、それから先は誰かにサルベージしてもらわないと……!》
「フィン、僕も副操縦席で状況を確認したい。機体を安定させられるか?」
《今、第二エンジンと残りのスラスターで軌道調整中! 少し待って!!》
先ほど赤色灯が点いた途端に、球形の立体映像は消えてしまった。僕としては、何としても状況を把握しておきたい。
ワームホールは、ブラックホールと違い、きちんと『どこか』に繋がっている。それを人工的に運営できるようになったのは、前世紀の終わり頃だ。
物体――主にスペースプレーンなどの宇宙船――の輸送に時間をかける必要がなくなったのは、一部の科学者たちから第五次産業革命とまで呼ばれている。ついに人類は、地球の外でも産業革命を成し遂げたわけだ。
しかし、当然ながらその恩恵を享受するには、ルールを守らなければならない。この場合で言うならば、『ワームホールの引力圏まで航行しなければならない』ということだ。
回りくどいことを考えてしまったが、要はワームホールに入れるか否か、ということ。その一点に尽きる。
「フィン、外部映像を点けられるか?」
「ええ。これね」
フィンがスイッチを押し込むと、船首からの映像が見えた。そこには――。
『それ』を中心に、周辺は真空の暗闇が広がっている。これだけなら何の変哲もない宇宙空間の様子だ。だが、多少ブレながらも、画面中央に大きく花開くように迫ってくる『それ』は、確かに異様と言えば異様だった。
『それ』すなわちワームホール。
色は全体的に乳白色で、巻貝のような形をしている。僕たちはそれに文字通り巻き込まれ、地球へと向かうのだ。
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