第21話

「その通りだ、アルフレッドくん」


 フレディの首肯は、実に力強いものだった。


「少しメインコクピットを貸してくれ。私が怪しい挙動を取ったら、すぐに射殺してくれて構わない」

「何をする気なんです?」


 僕が口早に尋ねると、


「計算だ。こういう場合、航空管制センターのコロニー防衛部は、二段構えの作戦でくる。つまり、二発のミサイルで君たちを落とそうとしてくるだろう」


 ということは、どこでどう爆破させるか、向こうも計算しているわけだ。


「フレディさん、敵のミサイルを妨害する気なんですか?」

「ああ」


 別なモジュールに滑り込もうとするフレディを追って、僕は尋ねた。


「きちんと計算する。いや、計算し『直す』と言った方がいい。少しばかり、軌道変更が入る」

「それは、一体どうやって……?」

「それより、君は他の皆を説得してくれ。ケヴィンくん、だったか? 彼は何をしでかすか分からないからね。納得してもらうには――」


 と言いかけて、フレディは目線を明後日の方向へ遣った。


「いや、納得してもらう必要はないな。ただ、今の私は君たちの味方だ。それだけは信じてほしい」


 こちらに背を向け、手元の立体キーボードに指を走らせるフレディ。そんな彼に、僕はかける言葉を見つけられないでいた。

 味方? 人質だったのに? 一体何が、彼の心を変えたのか? 

 いや、彼だけではない。僕もフレディに『信頼』を置き、彼のとんでもない作戦を自然と受け入れようとしている。これでは『信頼』という言葉の定義が分からなくなりそうだ。


 考えてみれば、教師以外に頻繁に接触する『大人』は今まで存在しなかった――両親の記憶が曖昧である以上は。逆に、僕たちを殺さんと立ちはだかってきた『大人』たちもまた存在し、彼らとの駆け引きをフレディは行っている。

『大人』とは、一体何なんだ――?


「さ、君も早くメインモジュールに戻った方がいい。皆の乗ったスペースプレーンは、君が操縦するんだろう?」

「は、はい。ほとんどは自動操縦ですけど」

「それでも、君の両肩には、君たち全員の命が懸かっている。まあ、その自動操縦のプログラムにも、少し細工はさせてもらったが」


 フレディの頬が緩むのが、微かに見えた。僕は黙り込むしかない。どういう意図でフレディが微笑んだのか、分からなかったからだ。僕が当惑していると、フレディは宇宙服の胸ポケットに手を遣った。


「ああ、そうだ。これを」


 手渡されたのは、今では珍しい、封筒に入った手紙。


「あの、これは……?」

「読めば分かる。ただ、読むのはワームホールに無事突入できてからにしてくれ」

「……はい」

「さあ、早く移動するんだ」


 僕は『分かりました』とだけ告げて、第一エンジンの操縦モジュールの壁を蹴り、旅客モジュールに戻った。


         ※


「アル、あいつは何だって?」


 フィンが、訝しげな気配を隠さずに問うてくる。


「え? ああ、ちょっとね」

「あんた……二人で何か怪しい企みでもあるんじゃないでしょうね?」

「疑ってるのか?」

「そりゃあね」


 フィンは肩を竦めてみせた。


「敵の友は敵、って感じかしら?」


 僕が渇いた笑い声を上げると、興味が失せたのか、フィンはコクピットモジュールへと入っていった。

 振り返ると、ちょうどレーナが目に入った。自らの肩を抱くようにして、モジュールの内癖に重心を預けている。僕は、ようやく慣れてきた低重力下で床を蹴り、そっとレーナに近づいた。


「大丈夫かい、レーナ?」

「……うん」


 しまった。『大丈夫かどうか』など、愚問の真骨頂と言うべきだ。こんな状況下で、レーナのメンタルが正常であるはずがない。だが、気丈にもレーナは口を利いた。


「フレディさん、優しい人だね」

「ん? ああ……」


 ゆっくりと顔を上げるレーナ。


「きっと上手くいく、よね」


 僕はその儚い笑顔に、見惚れてしまった。

 しかし、流石に耐えきれなかったのだろう。レーナの瞳から、涙が水滴になってふわりと浮かびだす。

 僕はそっとその水滴を拭いながら、そっと声をかけた。


「強くなったね、レーナ」

「え……? だって、私泣いちゃってるし、今まで皆の足を引っ張るばかりで……」

「でも、誰かに泣きついたりしてないじゃないか。自分で自分の悩みを抱え込むのはよくないけど、でも、我慢が必要な時もある」


『例えば、今とかね』と言葉を続ける。


「アル……」

「ん?」


 僕はレーナの顔を覗き込んだ。すると、


「馬鹿!!」

「わっ!!」


 ものすごい剣幕で、レーナは顔を上げた。


「誰かに泣きついちゃいけないの? 私、本当に辛かったんだよ? アルが危なっかしいことばっかりやるから、その、死んじゃうんじゃないかって……」

「そ、それは」


 言葉を紡ぎ切れないでいる僕。その合間を狙ったかのように、レーナが床を蹴った。


「!」


 レーナが、思いっきり抱きついてきた。ゆっくりと僕の身体が背中の方へと流されていく。


「お願い、生き延びて。私、アルを守れるなら何でもする。代わりに拳銃も撃つ。撃たれたって構わない。だから、もう危ないことは――」

「レーナ……」


 僕はようやく、レーナの背中に腕を回すことができた。


「おい、そろそろ座席に就いた方がいいぞ」


 ケヴィンは特に何の感慨もなく、僕らに注意を促した。

 僕たちは席につき、シートベルトを装着する。


《アル、とにかくフレディのことは信用していいわけね?》


 フィンは相変わらず疑い深いが、僕は『そう思ってる』と一言。


《了解。じゃあ、自動操縦で発進する》


 すると、コクピットモジュールと旅客モジュールが閉じられた。フィンと彼女以外の僕たちは完全に隔離されたことになる。


《カウントは省略。過重に注意して!》


 ドッ、と背中がシートに押しつけられる。まるで、重力が座席の背中側から全身にかかっているようだ。

 その勢いはドン、ドン、と断続的に響く。ブースターが次々に点火されているのだ。


《これからレールが斜め上に上がっていくよ。注意して!》


 何をどう注意すればいいのか分からなかったが、とりあえず歯を食いしばり、舌を噛み切ることのないようにする。

 次の瞬間、重力のかかり方が変わった。真後ろから斜め下へと、背中の下部に血液が集中し始めたのだ。

 飛ぶ。オルドリンから離れて、ワームホールへ。ついには地球へ向かって、飛ぶ。


《離陸!!》


 フィンは短く、それだけを告げた。


《オルドリン重力圏離脱まで、加速三十秒!! 第一エンジン、切り離しまであと百八十秒!!》


 きっちり三十秒後、背部にかかる重力がふっと消えた。加速を止め、慣性航行に移ったのだ。はあっ、と僕は、止めていた息をついた。思わず前屈みになる。

 だが、そんなことで気を抜いているわけにはいかない。僕はベルトを外し、コクピットモジュールへのドア開閉ボタンを押し込んだ。


「フィン、そっちへ行ってもいいかい?」

《ええ。今開けるわ》


 パシュッ、と軽い音を立てて、旅客モジュールとコクピットモジュールの間のドアが開く。


「運行状況は?」

「だいぶワームホールからは離れてるわね。でも、フレディがそうしろって言った軌道なんでしょ?」

「ああ。フィンも彼を信用する?」

「それしか方法がなかったから、こうしてるだけよ。それに、彼を信用するか否かは、一番頭の切れるあなたの判断だし」


 いや、それよりも。


「少し船内放送のマイク、借りるよ」

「ええ」


 その時、ビーッ、ビーッと警戒警報が鳴り響いた。レーダーを覗き込むと、何かが接近してくるところだった。後方からだ。


「フレディさん? 聞こえますか?」

《ああ。聞こえている》


 その口調が、少し角ばっているのが僕には気になった。


「あなたの指定した軌道に乗りました。それと、オルドリンのコロニー防衛部のミサイルが発射されたことを確認しました。予想される第一波の爆発まで、あと五十秒です。フレディさんも早く旅客モジュールへ――」

《その必要はない》


 ……え?


「だって、このままじゃあなたのいる第一エンジンは切り離されてしまいます! 今この角度で切り離されたら、ミサイルの第一波に直撃します!!」

《そのつもりだ》

「自殺する気ですか!?」

《君たちのためだ》

「何ですって?」


 僕は自分の脳内が砂嵐に見舞われたような気になった。

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