第18話

「この地図、本当に正確なんだな?」

「あ、ああ、間違いない」


 凄んでみせるケヴィンの前で、フレディはこくこくと首を縦に振った。

 今まで信用してきた地図だ。それが今さら『偽物だ』と知らされても、騙されたまま突き進んでも、負けは負け。そこにフレディの注釈が入ったところで、どうにもならない。

 だが、先ほど見せたフレディの感慨というか、持論というか、それを語っている態度というか――。そういったものが、僕たちに一定の信頼感を与えていた。


「アル、お前はどう思う? こいつは元々、敵だったんだぞ。信用できるか?」

「それを確かめるために地図を確認させようと言ったのはケヴィンじゃないか」

「ん、まあそうだが……」


 ケヴィンが頭をがしがし掻いている間に、僕は作戦のおさらいをした。作戦の、最も肝要な部分だ。

 やることは単純。地図に沿って廊下を歩き、カードキーで宇宙服装着室に入る。次に、全員の装着を確認してからエアロックを解放、コロニーの外へ出る。コロニー外に足を踏み出すのは、僕とレーナにとっては初めてのことだ。

 それから、ミヤマの言っていたスペースプレーンに搭乗する。それまでの間は、宇宙服の腰に結びつけられたケーブルで、何かあっても吹き飛ばされないようにする。


 後はカタパルトまでスペースプレーンを移動させ、管制官の指示を無視する形で発進する。この時、人質としてフレディがいてくれたことは、結果論的にありがたいことだった。

 目標到達地点は、ワームホール。宇宙空間のトンネルとして、瞬間移動を司っている。そのうちの一つ、正式名称WH1697に突入し、地球側のワームホール、WH0348へと移動する。

 それから、月面を周回するコースに乗り、ゆっくりと離脱して、宇宙エレベーターに緊急着陸する。

 地球からのエレベーターまでの到達時間は、スペースプレーンが最初のブースターを始動させてから二時間四十一分後との計算結果が出た。


「よし、皆行くぞ」


 僕は手順に従い、宇宙服装着室のドアを開けた。幸いにも、宇宙服は五着揃っており、フレディの分を含めてもちょうどだった。

 本当なら、ポールが着ていたかもしれないのに――。

 僕は眉間に手を遣って、そんな暗い考えが出ていくのをじっと待った。

 宇宙服の形は、二世紀前のものとあまり変わってはいない。ただ、身体にフィットしやすく、ひいては動きやすくなったとは言えた。互いに背中のジッパーを上げ、ヘルメットの位置を確認する。この作業も、宇宙服の可動域が増えたお陰だとフレディが呟いていた。


「皆、ヘルメットの接続と背中のジッパーを再確認しよう。お互いにね」


 すると、なんとなしに僕とレーナ、ケヴィンとフィンに班が分かれた。一人でヘルメットの脱着を繰り返すフレディが気の毒だったので、僕が面倒を見てやった。


「よし、エアロックに入るぞ」


 僕がロッカーわきの赤いボタンをバコン、と押し込むと、『気圧調整中』の文字がドアの上で輝いた。それもすぐに『気圧調整完了』との表示に切り替わり、プシュッ、といってドアが開いた。

 その先にあったのは、狭苦しいスペースだった。部屋というほどの広さもない。僕たち五人は、宇宙服を着込んだままでぎゅうぎゅう詰めになりながら、二枚目の扉が開くのを待った。

 先ほどと同様、『気圧調整完了』との文字が光り、僕は初めて真空空間に足を踏み出した。

 そして、空に見とれた。


 必ずどこかに光源があったコロニー内とは異なり、星々が急にこちらに向かってくるような錯覚に囚われる。しかし僕には、それはとても心地よいものだった。


《わあ……》


 レーナが感嘆の声を上げるのを聞きながら、僕は注意を促した。


「宇宙服のロープがコロニーの出入り口に接続されているか、各自確認してくれ」


『注意を促した』というのも、ヘルメット内に装着されたマイクを通しての話だ。当然ながら、真空中では互いに触れ合うか、無線機を通してしか会話はできない。

今のところ、僕たち五人の会話は全てオープンになっている。誰が何を言ったか、全員に聞こえる設定だ。


《アル、見て!》


 地球の六分の一とされるオルドリンの重力下で、レーナは思いっきり屈伸し、跳び上がって見せた。しかし、これはまずい。


「レーナ!」


 僕はレーナの後を追うようにジャンプし、オープン回線を閉じて接触回線を開いた。ゆっくり下りてくるレーナの腕を取り、軽く引っ張ってヘルメットを接触させる。


「レーナ、はしゃぎたいのは分かるけど、今は駄目だ。ケヴィンやフィンが――」

《あっ……》


 さすがにレーナも気づいたらしい。

 ケヴィンとフィンはこの重力下で、過酷な労働と、それに伴う友人たちの死を目の当たりにしてきたのだ。それを知っていて遊び気分になられたのでは、その怒りたるや凄まじいものがあるだろう。

 僕はすぐさまレーナの手を取ってゆっくり着地した。軽く砂埃が舞い散る。それからオープン回線に戻し、振り返りながら声を吹き込んだ。


「全員エアロックからは出られたかい?」


 すると、ケヴィンとフィンは親指を立ててみせた。フレディは足に巻きついたロープを解きながらも、『大丈夫だ』とオープン回線で伝えた。


 するとフィンが、軽く地面を跳ねるようにしながらフレディに近づいた。足に絡まったロープを外し、腕を組む。フレディがそう遠くへ逃げられる恐れはないと思ったが、フィンとしては、それでは落ち着かないのだろう。


《しかし、君たちは本当に地球に行きたいのかい?》


 ややくぐもった呼吸音に混じって、フレディの言葉が聞こえる。


《そうだ》


 と肯定したのはケヴィンの声。


《ポールや俺たちの友人を殺した奴らの首を折りに行く》

《ちょ、ちょっと、ケヴィン、それ本気なの?》


 レーナが心配げに、ケヴィンと僕の間で視線を行き来させたが、


「僕の提案した『仇を討つ』というのは、飽くまで法に則った方法で、という意味だよ。ケヴィン、君も分かってるだろう?」

《ああそうだ。さっきのは冗談だ》

《そっか、良かった……》


 さすがにこれ以上、レーナに精神的苦痛を与えるのは好ましくないと考えたのだろう。ケヴィンは納得してくれた様子だ。しかし、実際地球に乗り込んだら、テロでも何でもやらかしかねないのではないか。そんな殺気を、僕は薄々感じていた。


 それにしても――。


「なあケヴィン、さっき撃たれた傷は大丈夫なのかい?」


 普通の人間ならハチの巣になっているところだが。


《ああ。動くのに支障はない。後で弾丸を取り除いて、処置してくれればいい》


 元々、僕たちが通っていた学校では、『頭脳系』と『運動系』に大きく分かれていた。しかし、その中でもさらに分岐があり、『運動系』では『身体増強科』というコースがあったはずだ。そこでは、毎食プロテインの摂取が求められ、それによって身体の特定の部位を薬物療法で鍛えることとなる。

 ケヴィンの場合は肩から背中にかけて、だった。これなら、普通の銃器で殺害されることはほとんどない。


「ケヴィンには申し訳ないけど、いずれにせよ治療は無事スペースプレーンに搭乗した後、ってことになるね」

《了解だ。心配するな》


 僕たちはコロニーの方を振り返りながら、ゆっくりとスペースプレーン発着場へと近づいていった。いや、こんなに重力のない場所で、早いも遅いもないのだが。

 僕が先頭で、ミヤマから指示を受けた『121』号を探し、しんがりはやはりケヴィンが務めた。


 発着場には、様々な角度に調整されたカタパルトが整然と並んでいた。まるで、ひと昔前のコミックの一場面のようだと、僕は妄想を膨らませる。しかし、その記憶もまた曖昧であることには変わりない。

 地球に辿り着いたら、何か手がかりが見つかるのではないか。

 僕はいつしか、そんなことを考えていた。

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