第9話

 それから僕は、しばらくぼうっとしていた。家族のことを考えようとしていたのだ。

 僕が中等部を卒業し、このオルドリンにやってくる前。確か両親と祖母が、スペースプレーンの発着場まで見送りに来てくれた。しかし、どうしてもその顔が思い出せない。


 まるで、ひと昔前のパソコンのウィルスバスターが、『このソフトウェアは危険』『開示不可』とでも告げているようだ。靄がかかったような不快な感覚が、僕を過去の記憶から遠ざける。


「まあ、仕方ないよな」


 家族とはいえ、ここ三年間顔を見ず、連絡さえ取っていなかったのだから、記憶など薄れて当然だろう。しかし、この違和感は何だろうか。


「よっと」


 僕はベッドから足を下ろした。痺れや痛みは感じられない。ただ、床が少し冷たかった。

 スリッパを探して足につっかけ、向かった先は廊下だ。確か、僕の友人が目を覚ますところだったという。

 友人? ポールは死んでしまったし、ケヴィンやフィンはあのヘッドギアの椅子の並んだ部屋にはいなかった。となると、『友人』という呼び方にはいささか語弊があるが、やはり――。


 僕が廊下に出た、まさにその瞬間だった。


「いやあああああああ!!」


 僕ははっと息を飲んだ。


「レーナっ!!」


 やはり、僕と一緒にこの施設に運び込まれたのはレーナだったのだ。叫び声を聞いて確信した。

 廊下に出て、何番目のドアだったのかは頭から吹っ飛んでいた。ただ、間違いなくレーナのものと思われる叫び声のした方に、僕は駆けた。ロックはかかっていない。僕はその扉を思いっきり引き開け、自分も『レーナ!!』と連呼しながら病室に飛び込んだ。


「ああ、君、ちょっと!」


 医師と思しき男性を押しのけ、ベッドが見えるように身体を看護師たちの間にねじ込んだ。そこにいたのは、まさしくレーナだった。


「そんな! ポール!! ポール……!!」


 ベッドの上に座ったまま、泣き崩れている。


「おい! お前らレーナに何をした!?」


 看護師たちが身を引いたところから察するに、どうやら僕はそれなりにすごい形相をしていたようだ。


「レーナ、大丈夫か!?」

「アル、ポールが、ポールがぁあ!!」


 両手で顔を覆うレーナ。その膝の上には電子ボードがあり、そこにはヘッドギアで殺されたポールの遺体が写っていた。


「アル、ポールが、死んじゃった……」


 僕はごくり、と唾を飲んだ。涙目で僕を見上げるレーナ。

 彼女には申し訳ないが、レーナが泣いてくれたお陰で僕はほっとしていた。何せ、レーナはショックで発狂してしまったのでは、などと思っていたからだ。こんな風に泣くのが、彼女らしいというか、通常の反応だろう。


 再び手で顔を覆いながら、レーナは


「私、どうしちゃったんだろう……。私が直接見た時は、もうポールは死んじゃってたのに、何で血を拭いたりしなきゃ、なんて思ってたんだろう……」


『自分で自分が分からない』。そう言って、レーナはわんわん泣き出した。幼稚園児かとツッコミたくなったが、レーナの性格上、こうなるのは仕方のないことなのかもしれない。


「レーナ」


 仕方がないので、僕はレーナの肩に腕を回してやった。この程度なら周りの目もさほど気にならない。


「レーナはポールを見て、すごいショックを受けたんだ。だから気が動転して、まともに考えられなくなっちゃってたんだよ。レーナがおかしかったんじゃなくて、あのヘッドギアが変だったんだ。レーナはどこも、何ともおかしくないって」


 まあ、こんな説明は先ほどのミヤマの言葉の受け売りだが、何もできないよりはいいだろう。


「アル……」


 僕はしばらくの間、レーナの頭を撫でてやっていた。

 それにしても、僕たちの処遇はどうなるのだろうか? ミヤマは安全だと言っていたが、僕と話すために『人払いをした』とも言っていた。つまり彼は、僕たちの安全を保証するのに欠かせない人間であり、かつ秘密的組織にでも属している、ということなのだろう。


 などなど考えながら、僕はレーナの元に食事が運ばれてくるまで、彼女の頭に手を載せてやっていた。


         ※


 しばらくの間、『静養』という名目で、僕とレーナはこの建物の中で暮らすことになった。別に軟禁されていたわけではない。単純に、この施設――オルドリンのコロニーの地下にあたるらしい――の外に『物理的に』出られなかっただけだ。またヘッドギアを被らされるよりは、ずっとマシだという考えもないわけではなかったが。


 僕はレーナを元気づけようと、彼女の病室に通い、いろんな話をした。しかしそれはもしかしたら、ポールという親友を失った僕が、彼との思い出を忘れようとしていただけなのかもしれない。


 問題は、一週間後に起きた。

 ピカッ、と鋭い閃光が、眠りに落ちかけていた僕の視界を横切ったのだ。


「!?」


 再度走る閃光。見れば、ミヤマが通信に使うと言っていた腕時計型の映像装置が点滅していた。

 何かの合図だ。僕は装置を手に取り、起動ボタンを押し込んだ。すると、


《こちらミヤマ。今は人払いが完全ではない。よって音声なし。文字と映像だけで、現在の状況を説明する》


 と表示された。


「何だ、一体……?」

《まず、この映像を観てほしい》


 映し出されたのは、ヘッドギアを被らされたあのフロアだ。映像の下には『学習フロア』とのテロップが出されている。

 正面から、部屋の全景を収めるようなアングルの映像。確かに、『ここでも研究のための学習ができるようにするための措置だ』みたいなことが、アナウンスされていた記憶がある。

 だが、


「ん?」


 明らかに様子がおかしい。今は休憩時間なのだろう、生徒たちが自由に歩き回っている。しかし、その歩き方がおかしいのだ。生気がなく、千鳥足で、まるでゾンビのようだと僕は思った。

 すると視点が切り替わり、一人の女生徒を正面から捉えた。彼女は確か、ポールのガールフレンドだった子だ。しかし、


「同一人物なのか、これ……?」


 僕が彼女を特定できたのは、特徴的なツインテールに髪を結っていて、その髪が赤みがかったブラウンだったから。その他の顔のパーツからは、『生きている』という一種の重みのようなものが感じられない。魂がふわりと飛んでいってしまったかのようだ。


「これはどういうことだ?」


 僕がそう口にするのと、解説用のテロップが出るのは同時。


《これが『頭脳労働』を強いられた人間の末路だ》

「頭脳労働?」


 それからしばらく、僕は頭の中で整理をつけながら、何が起こっているのかをまとめていった。

 まず、『頭脳労働』とは、自分の脳が一種のコンピュータのようにして扱われることらしい。今現在に至るまで、人類は量子コンピュータ――二十世紀から使われ始めた一般のコンピュータを遥かに凌駕すると言われる、全く新しいコンピュータ――の完成をみていない。よって、それまでの繋ぎとして、生身の人間の脳を使うというアイディアが提唱されたらしい。

 それを、発達途中で柔軟性のある若者の脳で、しかも百人を超える人数で行えば、量子コンピュータに追いつけるのではないか。

 それが、この惑星オルドリンや、近隣の惑星で行われているらしい。ただし、この頭脳労働というシステムには、決定的な弱点がある。脳の劣化を早めてしまうのだ。

 この一週間の間に、学習フロアが実に酷い変貌をしてしまったのは何故か。その答えがまさに『被験者の脳の劣化』だ。


 僕は声を低めながら、


「これを止めさせる手段はないのか?」


 と呟いた。


《残念ながら、私の権限ではとても不可能だ》


 とのこと。しかし――。


《地球へ来る気はないか?》

「えっ……」


 ドクン、と胸が一拍高鳴った。

 これでは地球に憧れている場合ではない、と思っていた矢先に、地球に招待されるとは。

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