第8話
ぐっ、という呻き声。ドン、という衝撃音。
「こいつか!!」
上官が警棒を構えた時、僕は部下を突き飛ばし、そのまま馬乗りになっていた。続いて殴りつけようとしたが、
「動くな!! これ以上我々に危害を加えれば、貴様の命はない!!」
バチッ、と電流の走る音がする。警棒にはスタンガンが内蔵されているらしい。僕は拳を振り上げたまま、そのままピタリと動くのを止めた。
目線だけ下げると、部下と目が合った。思いがけない攻撃を受けた彼は、目を大きく見開きながら頬を引きつらせている。
そうか。これが『怯え』の表情なのか。そんなことを、僕は頭の中の冷めた部分で思った。
「ようし、もう片方の腕を上げろ!」
上官は僕の後方、三メートルほどのところにいる。よく訓練された警備員であれば、この距離で僕との距離を詰めることは容易だろう。僕は右腕で握りしめた拳を解き、真っ直ぐ上げた。それから左手を上げる――直前、そっと部下の右腰に手を遣った。ベルトの、警棒が収められた場所に。
「おい、早くしないか!!」
上官の怒号が沈黙を破る。
『あんたの方こそ、黙ってればよかったのに』
僕は口には出さなかった。しかし、確かに思ったのだ。
『そうすれば、僕の反撃に遭う必要もなかったのに』
直後、僕は部下の腰元から警棒を抜きながら、前転するように跳んだ。
「チッ!」
突然の僕の挙動に、上官は一瞬ためらった。
もらった。
跳んでいる間に警棒の電源を押し込み、セーフティを解除。
足に力を込め、無理矢理二度目の前転を繰り出し、構えを取った。頭部と右の掌を床に当て、左手の片手持ちで警棒の狙いを定める。
そこだ。
真っ直ぐ突き出された警棒の先端は、大人一人を仕留めるのに十分な威力を発揮した。
馬鹿に大きな電撃音が、廊下に響き渡る。
上官の上半身が仰け反った。そのまま勢いよく後方へと吹っ飛ぶ。眉間を打ってやったのだ。きっと即死だろう。
それから視線を下に遣り、上官の死体が後方に倒れていくのを眺めてから、僕はゆっくりと振り返った。
「ひっ! ひいっ!」
自分の腰元をまさぐる部下をじっと見つめる。
「お、俺の警棒、何で、どうして!?」
知らなくていい。せめて、楽に殺してやる。
再び響く轟音。部下の眉間には、綺麗な穴が空いた。
「ふーっ……」
僕は天井を見上げながら、大きなため息をついた。
同時にバタバタと、誰かが駆けてくる音がする。これは……十人以上だな。
僕は警棒の電流にセーフティをかけ、手放した。
カタン、と警棒が落ちる音がしたのと、僕の意識が飛ぶのは同時だった。
※
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
「ん……」
僕を目覚めさせたのは、柔らかい電子音だった。目を開く前に深呼吸を試みる。ここは何らかの医療施設だろうか? 薬品臭い。
瞼を開くと、真っ白な天井が目に入った。しかし、あのヘッドギアのついた座席が並んでいる部屋に比べると、ずっと暖かい気分にさせられる。間接照明で日光を再現しているからだろう。左わきには地球の写真――人工衛星から撮影したのだろう――が飾られ、右側はカーテンで仕切られている。
それにしても、昨日から気絶させられてばかりだな。
念のため、僕は自分の身体の節々を確認する。両手両足はついているし、包帯で固定されている箇所もない。ただ、白衣は交換されたようで、警備員を殴打した時に付着した血飛沫の痕はどこにも見当たらなかった。
ただ、どこも異常がなかったわけではない。
「痛っ……」
僕は自分の額に手を遣った。すっ転んで床にぶつけたような、ジンジンという熱を帯びた感触だ。防菌シールが貼られている。
それに併せ、背部の左上、肩甲骨のあたりにも微かな痛みがある。きっと背後から撃たれたのだろう。が、それにしては痛みが軽くはないだろうか? もっと激痛を伴うと思っていたのに……。
僕は恐る恐る、左腕を回したり、左肩を張ったりしてみたが、僅かな痛みが伴うだけで動きには何の支障もない。
「もしかして――」
僕は顎に手を遣った。警備員たちは、僕への殺傷行為を避けたかったのではあるまいか。
だから、この背中の痛みは、実弾ではなく非殺傷電気銃によるものなのかもしれない。
いやそれよりも、どうして僕にあんなアクロバティックな挙動ができたのだろうか。
「うーむ……」
疑問は尽きない。
と、その時だった。ピコン、という何らかの受信音がした。
慌てて音源のある方、つまり左の細長いデスクの方を見ると、
「立体映像投影装置か」
ちょうど腕時計型の投影装置が置かれていた。それからヴン、と音を立てて、立体映像が流れ始めた。
《人払いは済ませてある。安心して聞いてくれ》
そんな言葉と同時に現れたのは、回転椅子に背中を預けたやや太り気味の中年男性だった。眼鏡をかけている。淡い青一色で映像が展開されているので、衣服までは判別がつかなかった。
僕は、リアルサイズの三十分の一に縮小された男性の姿を見ながら、首を傾げた。
「僕のことを知っているんですか?」
《もちろんだとも。私はミヤマ。君のお父さんの友人だ》
友人……? 父さんの?
「ちょ、ちょっと待ってください……」
僕は眉間に手を遣って、強く目をつぶった。オルドリンに来てからは全く会っていなかったから、三年間ぶんの記憶の空白がある。
僕の、父さん?
《ああ、そんなに悩まなくていい。命の危険を感じた後だから、記憶が混乱するのはよくあることさ》
ミヤマは随分と気楽に告げた。手をひらひらと振っている。
そんな映像を僕はぼんやり眺めていたが、最も尋ねるべきことをまだ口にしていなかったことを思い出した。
「ミ、ミヤマさん、僕、人を殺したんです! 二人、それも警棒で一打ずつ! 初めは僕が殺される立場だったんですけど、勝手に身体が動いて、二人を……」
《君は父上から特殊な訓練を受けている》
「く、訓練……?」
一体何のことだ?
《一種の護身術さ。自分の身は自分で守れるようにと》
「警棒を扱う技術も、そのうちの一つなんですか?」
無言で頷くミヤマ。
自分で言うのもなんだけれど、虫一匹殺すのにも抵抗があった僕が、警棒を使って殺人、だって? 何だか夢の中の話に思えてくる。
「んん……」
余計に混乱する僕を前に、ミヤマは
《君は幸運だったんだ。君のような特殊訓練を受けた人間を、当局はむざむざ殺しはしないからね》
当局。地球に置かれた、全惑星管理可能な人工知能システム。このシステムの判断には、生身の人間の外宇宙管理官――総勢十二名――一人分の権限が与えられている。僕たちには縁遠い話だったが。
「僕が殺されなかったのは、そういうことですか」
ミヤマが首肯するのを見て、僕はまだ訊くべきことがあることに気づいた。慌てて身を乗り出す。
「ぼ、僕は罪に問われるんですか!? 人を殺したんだから!」
《まあ落ち着いてくれ。あれはいきなり警棒を取り出した警備員に非がある。大丈夫さ》
「そういうものですかね……」
僕は視線を自分の掌に落とした。自分がすごい勢いで、ブラックホールに吸い込まれていくような気分になる。何か自分のあずかり知らぬところで、重要な歯車が動いている。
僕は何者かに踊らされているんじゃないだろうか。
《しばらくはこの施設にいるといい。誰も君を傷つけたり、捕まえたりはしないはずだ》
僕は立体映像の向こうのミヤマに向かい、顎を引いて首肯の代わりにした。
《よし。あ、そうそう。君のご友人も一緒に搬送された。もうそろそろ目を覚ますだろうから、訪ねてみるといい。廊下に出て右に歩いて、四番目の病室だ。それじゃ、何かあったらまたこちらから連絡するよ》
「えっ? ミヤマさん、ちょっと待っ……」
僕が言葉を言いきる前に、再びヴン、という音がして、ミヤマは消えた。
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