第5話

「さあ……僕に訊かれてもな」


 そうか。さすがにポールにとっても、これは異様な事態らしい。

 その時、僕は真っ先に憂慮すべき問題に至った。


「あっ、レーナ!!」


 慌てて立ち上がろうとした僕は、思いっきり頭上のヘッドギアに頭をぶっつけた。だが、そんなことはお構いなしだ。


「レーナ、聞こえていたら答えてくれ!! レーナ、無事か!?」

「待つんだアル! あんまり騒ぎ立てると、何が起こるか分かったもんじゃない!」

「で、でも……」


 すると、僕が喚いていたせいか、この部屋――恐らく体育館くらいの広さだろう――のあちらこちらから、声が上がり始めた。


「ん……ここ、どこだ?」

「何があったの……?」

「おい、誰か返事をしてくれ!」


 先ほどの僕の言葉と同じような台詞が飛び交う。自らも拘束されているためか、ポールもこの状況で『落ち着け』というのは無駄だと判断したようだ。

 すると、全く唐突に、機械音声が響き渡った。


《皆さん、落ち着いてください》


 柔らかい女性の声を模している。そこに穏やかさを見出したのか、皆は再び黙り込んで――ただし、今度は意識がある状態で――、その声に聞き入った。

 確認のつもりだろう、再び


《皆さん、落ち着いてください》


 という声が、このフロア全体に反響する。その頃には、完全にこのフロアは静まり返っていた。心理学に基づく、何らかの作用があったのかもしれない。


 そしてようやく、アナウンスは本題に入った。


《皆さんの居住スペースのあるドーム、オルドリン土着型コロニーの近辺で、火山活動が観測されました。極めて危険性の高いレベルであり、火砕流の発生や、火砕岩の噴出の恐れがあります。よって、皆さんをここ、地下シェルターへと避難させていただきました》


 避難? だったら口頭で伝えればいい話ではないか。何故僕たちは、わざわざ気絶させられたのか。いや、もしかしたら、強制的にここに連れ込むために意識を失わされた……?

 僅かな沈黙に続き、アナウンスは続いた。


《よってしばらく、皆さんをここで保護致します。食料や水分、トイレや入浴施設は常備されておりますので、ご安心ください》

「おい、俺はこの星が、地殻変動が少ないからって聞いて来たんだぞ?」

「そうだそうだ。地震もなかったのに、火山噴火ってどういうことだ?」

「あーっ! 私、専用のシャンプー、マンションに置きっぱなしなのに!」


《補足します》


 まるで咳払いをするかのようにして、アナウンスは続く。


《皆さんの頭上には、ヘッドギアが用意されています》


 ヘッドギアとは、簡単に言えば情報端末を装着したヘルメットのようなものだ。


《ここに集められているのは、将来、頭脳を使った研究を行う方々です。現場でテラフォーミングに直接携わる方々は、ここにはおりません》


 つまり、ケヴィンとフィンはここにはいない、というわけか。


《さて、ここで一つ問題があります》


『問題』という単語に、皆が固唾を飲んだ。


《皆さんは、研究職に就くにあたり、これからも脳を鍛えていかなくてはなりません。それが、大学での勉強になるはずでした。しかし、今回の噴火、並びに地殻変動により、他の星へ移動することが当分はできなくなりました》


 今度はブーイング混じりのざわめきが起こったが、機械音声は構わず続ける。


《シャトルやスペースプレーンの航行もままならない状況です。どのくらいの期間、こんな状態が続くか、見当が尽きかねております。そのため、皆さんにはヘッドギアを装着していただき、それによって遠隔で大学の講義を受けていただきます。順次個室や会議室、娯楽室などを設けますので、しばらくの間辛抱してください》


 すると、その言葉が終わるか否かも分からないうちに、ヘッドギアが頭上からはめ込まれてきた。突然のことで慌てる者もいる。


《それでは、皆さんの脳の状態を確認し、ヘッドギアを快適な状態にセットアップします。そのまましばらくお待ちください》


 まさにその直後、


「――!!」


 とんでもない激痛が、僕の、否、僕たちの脳に襲いかかってきた。きっと僕は悲鳴を上げていたと思うのだけれど、それが自分でも聞こえないくらいの痛みだ。棘だらけの小さなボールが、いくつもいくつも脳内に放り込まれ、跳ね回っているような感じ。

 時間も場所も身体の状態も、さっぱり分からない。分かろうという気すら起きさせない。いっそ殺してくれと思うような痛みと痺れが、頭から背中を下り、腰の方へと走っていく。

雷に打たれるようなイメージだ。もっとも、雷というのは気体のある惑星で発生するものだから、僕にはイメージしかできないが。


どのくらいの時間が経過しただろうか。痛みは襲ってきたのと同じように、全く唐突に、ぷっつりと途絶えた。ヘッドギアが上に引き上げられ、頭が解放される。


「かはっ! ぐっ……」


 僕はその場に屈み込んで、嘔吐しそうになった。しかし腕は固定されているし、そもそも吐き戻すほどのものを食べていなかったことを思い出し、せり上がってくる胃液をなんとか飲み込んだ。喉の奥がヒリヒリして、異様な臭気が鼻の機能を麻痺させる。


《ヘッドギアの調整が完了しました。皆さん、どうぞ立ち上がり、ご自由になさってください》


 と言われても、まともに立っていられる状態ではない。僕は背もたれに身を沈め、目を閉じた。


「はあ、はあ、はあ……」


 荒くなった呼吸を落ち着ける。どうやら頭痛が続いている間、身体は酸素を取り込む暇すらなかったらしい。肺が、脳が、心臓が酸素を求めて喘ぐ。


 どのくらいそうしていただろうか、僕はようやく落ち着きを取り戻し、両腕を肘掛けに載せた。


「くっ……」


 何とか腕に力が入るよう、神経を集中させる。どうにかして立ち上がり、周囲の状況を確認しなければ。

 尻を前にずらし、今度は足に意識を――と思った瞬間、


「うあ!?」


 足がもつれて転倒。危うく顔が床にぶつける寸前に両の掌をつき、頭部を守った。

 四つん這いの姿勢のまま、僕は長い息をつき、


「なあポール、だいじょう――」


 と言いかけて、思わず顔をしかめた。

 異様なまでの鉄臭さ。何だ、これは?

 鼻血でも出たのかと思い、僕はぶるぶると上半身を震わせた。ちょうどその時、ポールのいる席のすぐ前に、赤い液体が滴っているのが見えた。そうか、ポールはぶっ倒れて、鼻先を床に打ちつけてしまったのか。


「ポール、鼻を骨折したんじゃないか?」


 息苦しい中、言葉を紡ぐ。全く、油断でもしたのではないか。そう思って、僕は少し笑みを浮かべた。上半身を起こし、振り向く。しかし、そこにいたのはポールであってポールではなかった。


 ポールは、座席に背を埋めていた。眼鏡はズレてフレームが歪み、ひび割れた状態で、片耳からぶら下がっている。そして、その顔から出血していた。

 鼻だけではない。目からも耳からも口からも、血は溢れ出していた。


「な、なん……」


 何だこれは。そう僕は言いたかった。しかし、それは言葉にならない。

 明らかに、ポールは死んでいる。白衣を着せられ、そこに川のように赤黒い筋ができている。僕が目にした血の雫は、そうして頭部から下ってきたものだったのだ。


「う、うわ、うわあああああああ!!」


 僕は無様に尻を引きずり、両手両足を全力で動かして後退した。僕も着せられていたのは白衣だけだったので、掌も足の裏も擦りむいた。しかし、そんなことは全く些細なことだ。

 親友が死んだという事実と、その死体がもたらすおぞましさが、僕を恐怖のどん底に叩き落とした。


 馬鹿みたいに口を開け、唾を飛ばしながら僕は喚き散らした。もう背中が壁についているというのに、それでも引き下がろうとする。どうしようもなかった。本能的な動きだった。

 自分も出血しているのではないか。僕は慌てて、自分の顔の部品一つ一つに触れた。

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