第2話
昼休み。
僕はレーナと肩を並べて、屋上へと出た。木陰に置かれたベンチが涼しそうな顔をしているが、ここまで来て昼食を摂るのは僕たちぐらいのものらしい。
そこには、既に到着していたポール他二名の姿があった。
「俺は腹が減ってるんだ、早く来いよ」
と難癖をつけてきたのはケヴィン。二メートル近い長身に、がっちりとした身体つき。一体どれだけ筋トレをやっていればそうなるのだか。羨ましくはないけれど。
「そんなに焦らなくても、誰もあんたの弁当を盗ったりしないわよ」
とツッコミを入れたのはフィン。さすがに女性だけあってケヴィンのようなガタイはしていない。しかし、切れ長の瞳に首の後ろでまとめられたポニーテールは、どこか鋭い存在感を放っている。
ケヴィンとフィンは、僕たちとは別クラスで、外部労働派の人間だ。それなのに何故僕たちが仲良くなれたかと言えば、一年生の時に同じクラスだったから。頭脳労働派か外部労働派かの分別は、二年生でのクラス分けで行われる。
「さて、全員到着かな」
とポールが僕たちを見回す。
僕とフィンは落ち着いていたが、落ち着きがないのはケヴィンとレーナだった。
ケヴィンは早く食わせろというオーラを放っているし、レーナは僕の横で何やらそわそわしている。
ポールは軽く息をついた。
「それじゃあ、いただきます」
と言って自分の弁当箱に手をつける。しかし、その時には既に、ケヴィンは自分の弁当箱に入れたチャーハンを半分以上かき込んでいた。
「ねえケヴィン、そんな食べ方、品がないわよ」
「人の勝手だろうが。口出しすんな。お前の弁当まで食っちまうぞ、フィン」
初見の人にはさも恐ろしく見えるであろう、ケヴィンの形相。だが、言っていることはまさに冗談だ。
「全くケヴィンは……。ねえレーナ、女性として、こんな男どう思う?」
「……」
「レーナ?」
この遣り取りで無言を貫くレーナに、多少困惑の輪が広がる。
「大丈夫? 気分悪いの? だったら保健室に――」
「これっ!」
レーナは唐突にフィンの反対側、僕の方へと向き直った。俯いているので感情は読みづらかったが、頬が染まっていることは見て取れた。そして差し出された、布にくるまれた箱。
見るからに弁当箱だ。
「これ、僕に?」
カクン、と頷くレーナ。これには僕も赤くなってしまった。残り三人の視線が、僕の挙動に集中している。
受け取ってやるのか? やらないのか?
「……あ、ありがとう」
僕は素直に礼を述べ、また素直に弁当箱を受け取った。
「さすが、三年生でもベストカップルだね、二人とも」
ふふん、と鼻を鳴らしておちょくるポール。微笑ましく見つめてくるフィン。そんな彼女らの横で、
「……」
「まあ、ケヴィンの食欲はしょうがないわね。体力訓練してるから」
「あ、でもさ、フィン」
ポールが話題の舵を切った。僕とレーナが気まずくなるのを危惧してのことだろう。僕たちをネタに遊びすぎたとでも思ったのか。
「君も直接テラフォーミングに関わるのなら、君の筋力だって相当あるんじゃないか?」
「筋力ねえ……」
フィンは顎に人差し指を当ててう~ん、と唸ったが、
「私はどちらかというと、現場での作業員というより監督官なの。コロニードームの内側と通信したり、危険地帯を現場作業員に教えたりする。それでもいざという時の訓練は受けてるけどね。万が一事故があった場合に備えて」
「なるほど」
ちょうどその時、昼休みの終了五分前を知らせるチャイムが鳴った。
「それじゃあ皆、戻ろうか」
ポールの一声に、僕たちは腰を上げた。
それから二、三の授業を受けた後、僕たちは帰路についた。
時間は午後六時。地球では夕方にあたるらしいが、オルドリンの自転速度では、今は太陽光がさんさんと降り注いでいる。
「ところで皆は、どんな仕事に就く予定なんだい?」
「俺は――」
とケヴィンが言い出して、皆がぱっと手を挙げた。
「分かってるよ、ケヴィン」
僕がまあまあと落ち着ける。
「現場での開拓マシンの操縦でしょ?」
フィンが止めを刺す形で、さっと言い終えた。
「あー、俺にはどうも『研究』ってのが肌に合わなくてな……。お前らならもう知ってるだろ? 俺の性分は」
皆が頷く中、
「ふふっ、確かに」
とレーナが一言。するとケヴィンはレーナに目を留め、じっと睨んだ。
僕の背中に、一瞬汗がどっと流れた。ケヴィンが怒ったら、そしてレーナに迫ったら、僕には止められない。その危機感にようやく気づいたのか、レーナは慌てて笑顔を消した。
「ちょ、ちょっと、ケヴィン? もし怒ったのなら謝るけど、それはレーナ一人の問題じゃないわ。ほら、ポールもアルも言ってやってよ!」
「あ、ああ、そうだよ! 悪かったのはこんな話題を振った僕の方だ。すまない。なあ、アル?」
「……」
「アル?」
「えっ!? あ、そ、そうだ、僕が悪い……」
「誰それの問題じゃないわよ、ケヴィンにとっては大事な進路選択なのに、それを笑うなんて……。本当にごめん」
その間、レーナは俯き、微かに震えていた。皆の『ごめんなさい』の応酬の間中、ずっと。
しかし、しばらくするとケヴィンが肩を揺すり始めた。
「ふ……ふふっ、はははははははっ!!」
「ケ、ケヴィン!?」
「お前ら、俺が黙り込んだだけで、よくもそう慌てられるなあ!」
「おいっ!!」
ようやく僕は声が出せた。
「ケヴィン、レーナはこんなに怖がってるんだぞ! ふざけてたんだったら、お前の方こそ謝れ!!」
「あ、ああ、そうだな。アルの言う通りだ。すまないな、レーナ。皆のリアクションが見てみたかっただけなんだ」
「そ、それならよかった……」
レーナは安堵のため息をついた。
「わ、私も……。ケヴィンがそんなに真剣に将来のことを考えていたなんて、知らなかったから……」
その時、ふと僕は妙な感覚に襲われた。
僕らはいつもこの五人で行動してきた。常日頃なら、レーナもケヴィンも気楽に会話ができる関係だ。しかし、突然にふざけて怒り出し、その巨体でレーナに迫り、怖い思いをさせたとしたら。
僕は頭の中で、『すまないな』というケヴィンの声を繰り返す。レーナに向けた言葉だ。しかし、僕は納得がいかない。このもやもやした感情は何なのだろう。
皆が談笑に戻る中、僕ははっとした。
そうか。僕は悔しかったのだ。自分でケヴィンを止め、レーナを守る。それができない、否、それ以前にそんな勇気のない自分に嫌気が差したのだ。
「お、おい、今度はアルが黙り込んじまったぞ?」
と、ケヴィンが心配げな声を上げる。
「アル? どうしたの?」
レーナが僕と手を重ね、同時に肩に手を載せる。
「いや、何でもないよ」
それから、自分の考えを吹っ切るように顔を上げ、
「ところでレーナは何を専攻するんだい?」
「私は……テラフォーメーションにおける植物学について。未知の土壌にどんな植物が植わるのか、それを研究してみたいの」
僕は無言でポールに目を遣った。
「僕は、ブラックホールの特異点の研究だな。そこから宇宙誕生の鱗片が見えるかもしれない」
ケヴィンがひゅうっ、と口笛を吹いた。
「さすが、委員長殿はやることが違いますなあ。で、アル、お前は?」
「分かってるわよ、今さら訊かなくっても」
フィンは肩を竦めながら、
「地球の環境保全に関する研究、でしょ?」
「あれ? 僕そんなこと皆に言ったっけ?」
フィンは眉間に手を遣りつつ、
「あんたほどの地球オタク、今となっては本当に珍しいのよ? 誰だって推測できるわ」
確かにフィンは、僕の胸中の的を射ていた。しかし、『環境保全』という分野まで当てられるとは
「皆、夢を諦めずによく勉強してきたと思う。一ヶ月後……地球時間で言うと四月にあたるかな。それぞれの道に進むわけだけど、僕らはずっと友達だ。いつかまた、集まれる時が来る。その時は、お土産抱えて乾杯だ」
と、ポールが話をまとめた。
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