瞳の中のコバルトブルー【旧】
岩井喬
第1話
「皆、見えたぞ!!」
僕は今までにないくらいに興奮していた。何せ、ついに初めて肉眼で『それ』を見ることができたのだから。丸窓の向こう、果てしなく広がる暗い宇宙空間で、『それ』は青々と輝いていた。
現在、僕たちの乗ったスペースプレーンは、月の軌道を周回しながら『それ』への突入方法を模索しているところだ。
すると仲間たちが続々と、壁を蹴り、手すりに掴まるようにして、僕と同じ丸窓に見入った。
「本当に、こいつは正真正銘の実物だな」
「綺麗……」
「あたしたちも、ようやくここまで来たのね」
本来だったら、感動のあまり互いに抱き合ったり、肩を叩き合ったりするものなのかもしれない。しかし今は、全員が目の前の光景に圧倒されていた。
《スペースプレーンT121、軌道エレベーターへの着艦を許可します。繰り返します。スペースプレーンT121、着艦を……》
アナウンスが聞こえはするが、気にはしない。僕の脳内では、達成感と充実感、安堵感の波がうねり、とても冷静ではいられなかった。
あと少し。もう少しで僕たちは、自分たちの『本当のルーツ』である場所に足を踏み入れることができる。ずっと憧れだった、『地球』という星に。
※
やっぱりこんなところからじゃ見えない、か……。
僕は天体望遠鏡を眺めながら、ふっとため息をついた。もうすぐ授業が始まる。これ以上は時間をかけても無駄だろう。いや、そもそもこんな宇宙の片隅から探そうというのが無理な相談だったのだ。いつか生で見てみたいと思ってはいるのだけれど。
僕が天体望遠鏡――製造から一世紀は過ぎた、アンティークものだ――を仕舞っていると、僕がいる屋上へ通じるドアがバタンと開いた。誰が来たのかは、経験上分かりきったこと。
「あー! やっぱりこんなところにいた! アル、もう時間だよ!」
「ごめんごめん、つい夢中になっちゃって」
「毎日呼びに来てる私の身にもなってよね!」
そう言って腰に手を当てる少女。彼女に向かい、僕――アルフレッド――は肩を上下させた。
「分かってるよ。すぐに行くから」
とわざと不愛想な態度で望遠鏡をバッグに入れる。
「あっ、もう五分もないじゃない! 急いでよ!」
「はいはい」
先ほどから僕を急かしているのは、同学年でクラスメートのレーナだ。いつもは周囲に気を配り、誰かを急かしたりする性格ではないのだが、僕が相手だとそうでもないらしい。
理由は簡潔。レーナは、僕の彼女だからだ。不機嫌そうに唇を尖らせているが、そんなレーナの唇はとても美しかった。
「な、何よ?」
「いや、ちょっと見とれてた」
「星に?」
「君に」
その途端、レーナは一瞬で顔を真っ赤にした。それこそ火が出そうな勢いだ。
『君に見とれてた』なんて陳腐な台詞だが、実際そうなのだから仕方がない。
「へ、変なこと言ってないで、早く教室に戻るよ!」
と言いながら、レーナは頭から湯気でも出かねない勢いで、屋上から下りる階段に歩を進めていった。
テラフォーミング目標惑星・ナンバー394、オルドリン。
それが今、僕たちが立っている星の名前だ。重力は人工重力場によって地球と同じだけの重さがかかるようになっており、気圧もまた一気圧に保たれている。
ただ、僕たちがオルドリンに住んでいて思うのは、やはり狭苦しいということだ。
この星は、テラフォーミングが完了したわけではない。むしろ始まったばかり。ここ――オルドリン宇宙工学研究学校高等部――を中心とした、大型のドームで、僕たちの生活圏は閉ざされている。直径約四十キロといったところか。
ドームの外に出たことはない。それでも手狭な感は拭えなかった。厚さ一メートルという隔壁に閉ざされていても、透明な素材で造られたドームから外部を窺うことはできる。そしてなまじ隔壁の外の世界が目に入ってくる状態では、その広さに圧倒されて生活圏の小ささを思い知る。
また、オルドリンには気体がない。しかも、ドーム状のコロニーを覆っているのは、新素材開発で手に入った特殊な超硬質なガラスなので、夜間であればいつでも天体観測ができる。雲や降水などがないのはありがたいことだった。
僕が階段に足をかけると、僕の影がすっと階段の踊り場まで伸びた。朝日が昇ってきたのだ。もちろん、有害な太陽光線はガラスが防いでくれている。
オルドリンの中での生活であっても、一日は二十四時間に区切られている。だからこそ、こうして夜に授業が入る時もある。自転速度が地球とは少しズレているらしい。
僕が階段を下り、教室――三年G組に入ると、既に授業は始まっていた。
『遅いよ、アル!』とでも言いたげな目線をレーナが向けてくる。一クラスの規模は二十五名。僕は教室後ろのドアからこっそり忍び込もうとしたが、すぐに担当教諭に見つかってしまい、口頭注意を受けた。
そんな僕の慌てぶりが面白かったのだろう、
「おいアル、また天体観測か?」
「飽きないなあ、お前も」
「いっそ地球と結婚しろよ!」
などなど声をかけられる。僕は照れ隠しに後頭部に手を遣った。
その日の授業は、専ら今までの学習の復習が主だった。この学校を卒業後、皆が宇宙開発に携わることになる。宇宙服の着方は何度となく習ってきたが、違うクラスでは無重力空間で身体を操る、などということもやっているらしい。
この場合、『違うクラス』というのは、主に惑星表面のテラフォーミングに携わったり、EVA――宇宙船での船外活動を行う訓練をしたりしているクラスのことを指す。
現在のところ、学術的研究を行う生徒――頭脳労働をする者たち――と、新たなテラフォーミング作業の管轄を行う生徒――外部労働をする者たち――の間でクラスが分けられている。僕やレーナは前者、頭脳労働派の人間だ。そして僕らの親友がもう一人。
休み時間に、彼は僕の机の前にやって来た。
「また地球探しでもしていたのかい、アル?」
「なんだ、ポールか。まあそんなところだよ」
「いつも飽きないな。皆、呆れるのを通り越して尊敬しているよ」
ポールは一年生の頃から、僕やレーナと同じクラスだった。他人より頭一つ分高い長身、キラリと光を反射する眼鏡、それに常に落ち着き払った態度。優等生とは、こんな人間に与えられる言葉なのだろうと常々僕は思っている。
「僕たちはあと一週間で卒業だ。せっかくだし、昼食は屋上で食べないか? 五人一緒に」
「ああ、それはいいな」
僕は軽く机を叩いた。
「レーナも来るだろう?」
「あ、うん。私も行く」
「決まりだな。それじゃあ、次の授業が終わったら、屋上に直行することにしよう。じゃあ、その時に」
「あいよ」
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