72

 ―屋上―


 高いフェンスに囲まれた屋上。

 屋上に設置されたベンチに腰掛け、数名の患者と家族が話をしている。


 青空が広がり、屋上の片隅には洗濯物がヒラヒラと風に揺れていた。


「いるわけねーよな」


 屋上に背を向けると、「中原」と名前を呼ばれた気がして振り返る。


 数メートル先に、矢吹の姿があった。


「マジかよ」


 なんでいるかな。


 俺は仕方なく、矢吹の傍に行く。


「検査の結果はどうだったんだ?大丈夫か?」


 何で、俺の体調を心配してんだよ。

 優しい振りすんなよな。


「急性気管支炎だよ。それより、話って何だよ」


 矢吹はポケットに手を突っ込んだまま、空を見上げた。


「入院してるのは、涼風凪すずかぜなぎ。二年前、ある事情により高速道路でスリップ事故を起こし、車が横転し昏睡状態に陥った。二年前からずっと眠ったままだ」


「……ずっと昏睡状態」


「凪は……俺の恋人だった」


「……恋人!?彼女は優香にそっくりだった!お前、昏睡状態の恋人がいながら、優香に手を出したのか!優香は彼女の身代わり……」


「そう捉えられても、致し方ない」


「お前、自分のしていることがわかってんのか!優香がこのことを知ったら、どれほど傷付くか……!」


「……申し訳ないと思っている」


「俺は許さねーぞ!優香が幸せなら、俺は身を引くつもりだった!それなのに、それなのに!」


 俺は矢吹に殴り掛かる。

 パシッと鈍い音がし、拳に痛みが走る。


「……お前なんか!お前なんかなんか!優香と付き合う資格なんてねえ!」


 無抵抗な矢吹を何度も、何度も拳で殴った。周囲にいた者が、「キャー……」と、悲鳴を上げた。看護師が俺の周辺に集まる。


「乱暴は止めなさい!警察を呼びますよ!」


 ――次の瞬間、俺の体は吹き飛んだ。


 何が起こったのか、咄嗟に判断出来なかった。


 鳩尾に痛みを感じ、俺の足はコンクリートから離れスローモーションのように宙を舞いドスンと落下した。


 後頭部をコンクリートに打ちつけ、青空がぐるぐると回っている……。


 ――次第に意識が途切れ……

 目の前が、暗闇に閉ざされた。

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