「かめちゃん、ご飯よ。早くいらっしゃい」


『はい。いつもすみません。ありがとうございます』


 彼は私の前をスッと横切り、キッチンの床に正座し餌の入った器をジッと見ている。


 まさか、食べないよね?

 あれは猫缶のマグロとタイだ。


 彼は私の視線が気になったのか、チラッと振り返った。母はキッチンの床に彼が正座しているのに、素知らぬ顔で食器を洗っている。


 これって、某テレビ局のドッキリに違いない。『もしも飼い猫が人間になったら?』ってだ。


 私はそんなのに引っかかったりしない。

 どこにカメラを仕掛けたのかしらないが、テレビ局が期待するような、リアクションなんてしないんだから。


 こうなったら、無視だね。


『いただきます』


 彼は器に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐ。


 うわ、まじで?

 無名俳優も大変だな。

 テレビとはいえ、猫缶まで食べちゃうの?それとも、猫缶に見せた別の食べ物なのかな。


 彼は器に右手の人差し指と中指を突っ込み、まるでスプーンのように餌を掬うと、ペロペロと舐めた。かめなしさんも右手で餌を掬い、器用にペロペロと舐めて食べる。


 確かにそっくりだけど、彼は人間だ。

 よくやるよ。


 私は彼を横目で見ながら、冷蔵庫から牛乳を取り出しグラスに注ぐ。こうなったら、この状況はスルーするしかない。


 ……待って。テレビ撮影なら、私が何を言っても母は断れないはず。これはチャンス到来かも。


「ねぇママ。今日、美子みこと原宿行くの。少しカンパしてくれない?」


「またなの?もう勘弁してよ。この間もだったでしょう?」


「だって、色々付き合いがあるの。就職したら、今みたいに遊べないし。ねっ、お願いします!」


「お小遣いせがむ暇があったら、早く就活しなさい。美子ちゃんは大学卒業までに内定がもらえたのに、卒業したのに就職先が決まってないなんて、優香だけだよ。家事手伝いなんて、我が家にはいりませんからね」


「私は家事手伝いでもいいけど。家事労働を給料に換算したらかなり貰えるみたいだし」


「ダメダメ。ママはタダ働きしてるんだから。家事手伝いに給料なんて払えません。もうしょうがないな。五千円だけだからね」


「サンキュー、助かった」


『まだ親に寄生してるのか?大学卒業したのに親に金をせびるなんて、どこまで依存してるんだ。就職出来ないならバイトしろ。いい加減自立しろよな』


「……は、はい?」


 小馬鹿にしたような声に、視線を向ける。


 大学は卒業したけど、いまだに就活中だ。即ち、今は無職。正直、就活に疲れ干からびている。


 彼が空っぽになった器をペロペロ舐めながら、ジッとこちらを見ていた。


 そんなことまでして、テレビに出たいの?私なら絶対にNOだ。


 そんなことまでして、働きたくない。

 私のことが言えるのかな。大人なら、仕事、選びなさいよ。

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