第5話「彼女の傷はまだ、濡れている」
今、
もはやこの
それでも、前線へ行く前に立ち寄る兵士達で普段は賑わう時もあるという。
ぼんやりと統矢は、ノイズが入り交じるテレビの映像を見詰めていた。
『全国総合競戦演習、本日は第一回戦が四試合行われましたが……解説の
『ええ。我々は先日、一人の英雄を失いました。しかし、新たな時代のヒロインが現れ、我々の戦いを導いてくれるでしょう。
『では、本日の第三試合、
まるで戦時中だと笑って、そりゃそうだと統矢は胸の奥で
百年以上前の世界大戦よりも、今の地球は薄暗い
当時と違って、全面降伏も
敵は対話不能な謎の機械群で、地球と人類文明の存亡の危機だと思われているのだ。
統矢達一部の人間だけが、敵の真実を知っている。
パラレイドの正体は、未来から襲い来る地球の人間。
その指揮を
「……またこのシーンか。徹底的にプロパガンダにする気なんだな」
ずるずると統矢は、止まったマッサージチェアの上を滑り落ちる。
ポケットに百円玉を探しつつ、彼はテレビ画面へと
そこには、新たに【
一試合での撃墜数、14機……これは個人のスコアとしては大会新記録である。
だが、その片棒を担がされた統矢は面白くなかった。
まるで、桔梗の劇的な舞台演出を手伝うことで、一人の少女を忘れてしまうような。
世間に
そんな時、まさに表舞台に躍り出たアイドルの声が背後で響く。
「摺木君。隣、いいですか?」
振り向くとそこには、
風呂上がりなのか、
同時に、ポケットから取り出した百円玉を放り込んだ。
少しカビ臭いモーター音が再び鳴り出して、ゴリゴリと背中の筋肉を
「……別に、どうぞ。
「ここのお風呂、混浴じゃありませんから。……あら? ニュース」
「丁度今、桔梗先輩のことやってましたよ。一試合で14機撃破、エースだって」
「ええ。そうなるようにって、摺木君にも手伝ってもらいました。それと、罰ですよ? ふふ、開会式を台無しにした……罰」
にこやかに微笑む表情は優しいが、どこか桔梗の気配が遠く感じる。
ニュースでは解説者の軍人が、アジテーションを昂ぶらせる。
その間ずっと、桔梗の
統矢も見たが、人間技とは思えない。
そこにもう、パラレイドのトラウマに怯える少女の面影はなかった。
「わたくしは
「やっぱ、敵の銃口とか見てるんですか? 全部」
「銃口だけでなく、手持ちの火器全体を見るんです。銃口と、
「銃身の直線上にいなければ、当たらない……言うのは簡単ですよ、でも」
「わたくしには、できます。きっと摺木君にも」
「桔梗先輩……もう、怖くないんですか? 戦いも、パラレイドも」
「いつも怖いですよ? 手が震えて、逃げ出したくなります。でも、もう逃げられないだけの理由もありますから」
だらしなくマッサージチェアに腰掛けてる統矢の、まだ濡れている髪へ桔梗が触れてきた。彼女は結局、隣に座らず統矢を見下ろしている。
頭を
だが、その理由を統矢は知っているから、どうしても面白くない。
そのことが余計に、昼間の過剰演出な戦い方を思い出させてしまう。
だから、桔梗の優しさがついつい、彼女自身を飾るためのものに思えてしまうのだ。
「摺木君……あれからちゃんと、泣きましたか?」
「いや、俺は」
「千雪ちゃんのことは、気持ちの整理をつけていかないと……次は、摺木君が死にます」
「それでも、俺はっ!」
「誰かが死ねば、誰だって泣きます。そうして涙で流さないでいると、迷いが摺木君を――」
「それはわかってるんです! 知ってるんですよ! でも!」
統矢は思わず、叫んでいた。
静かなロビーに絶叫が響いて、思わず彼は立ち上がってしまう。
目の前には、眼鏡の奥から自分を真っ直ぐ見詰める桔梗の顔があった。
だが、その眼差しから逃げるように統矢は目を背ける。
「桔梗先輩っ、あなたは千雪じゃないし、俺だってあなたの死んだ弟じゃない」
「摺木君……」
「そういう優しさって、
自分でも
そして、放たれる言葉が丸い刃となって桔梗を切り刻む。
顔向けできなくて、当夜は視線を逃して
そんな中で重苦しい沈黙を、
「……桔梗先輩? え、あ、いや! その、すみません! すみませんから! 謝りますから! なに脱いでるんですか!」
突然、桔梗は
そして、統矢は顔を覆った手と手の間から見た。
白い背中に、巨大な
肩越しに振り向く桔梗は、自分の消えない
「この傷は、かつての
「……背負い過ぎですよ、先輩」
「背負わされてしまったんです。泣いてももう、この傷は消えません。けど」
そのまま浴衣を
背の高さは丁度、統矢と同じくらいだ。
千雪の方がちょっと高くて、いつも彼女は統矢を涼しげに見下ろしていた。そして、いつも統矢が見上げる間近にいてくれた。
目線の高さははっきり違うのに、距離を感じさせない二人だったのを覚えている。
「摺木君、泣ける時に泣いた方がいいですよ? そうしてくれると、わたくしも安心するんです。死んだ人はもう、涙を流せないんですから」
「泣いて、忘れないと、いけないって……先輩は」
「忘れるんじゃないんです。しまっておくんです。また取り出すために、心の奥へしまうんです。そうしないと……死んだ人間に引っ張られてしまいますから」
桔梗はそう言うと、剥き出しの肌へ統矢を抱き寄せ、その胸に抱いてくれた。
そして、話してくれた。
彼女の身になにがあったかを。
焼け落ちる家から這い出た彼女は、両親と弟の悲鳴や絶叫を聴いた。
背中の傷はその時のものだ。
そして、パラレイドの無慈悲な無人兵器群が虐殺をやめて消えるまで、息を殺して逃げ惑った。救出された頃には、東京は廃墟の街へと変貌していたのだ。
「そのあとすぐ知りました……
桔梗の胸に顔を埋めて、濡れるようなしっとりした声に統矢は
だが、ゆっくり桔梗の肩に手を置いて離れると、
桔梗が自分を弟のように見ていてくれる……それはとんだ
彼女はそんな弱い人間ではないし、それは統矢も同じだ。
大切な人の死を乗り越えた人間が、乗り越えるべき人間に接する当たり前のことだったのだ。そして、桔梗のぬくもりはそれを優しく伝えてくる。
そうこうしていた、その時……不意に悲鳴が響いた。
「きっ、桔梗先輩っ! とっ、とと、とっ、統矢さんから離れてくださぁい!」
二人で振り向くと、そこに浴衣姿の更紗れんふぁがいた。
真っ赤になった彼女は、震える手で統矢を指差し、鼻息も荒く歩み寄ってくる。
慌てて統矢は桔梗から離れた。
だが、勘違いされた。
絶対にやばい。
れんふぁは思い込みの激しい一面が少しだけある。
そして、あの
統矢と同等に強いパイロットは数える程しかいないが、フェンリル小隊の面々はその筆頭だ。まして、隊長で部長の辰馬とは、まともにやっても勝てる気がしないのだ。
そう思っていると、ガシリ! とれんふぁが統矢の手を握ってくる。
「桔梗先輩っ! そっ、そういうのは辰馬先輩とやってくださぁい! めえっ、です!」
「あらあら……その、ごめんなさいね? 誤解させてしまったみたいで」
「誤解ってなんですか、誤解ってぇ! わたしっ、統矢さんのこと任されてるんです! 千雪さんからっ! だから……赤ちゃんが欲しかったら、辰馬先輩にお願いして下さい!」
旅館のロビーが静まり返った。
れんふぁは本気だ。
そして、彼女は百年近く先の未来から来た。
今以上に激しい戦火に
むーっ! と上目使いに桔梗を
統矢は絶句してしまったし、ぽかんとしたままの桔梗はくすくすと笑い出した。
「なっ、桔梗先輩っ! わたし、怒ってるんですよぉ~っ! もお、ふしだらです!」
「ふふ、ごめんなさいね。でも、れんふぁさんが赤ちゃんだなんて」
「だって、そうじゃないですか! ……ち、違うんですか? えっと……わたし、早とちり、ですか?」
「そういうことにしておきましょう。それと、辰馬さんにはナイショにしてあげてください。とってもヤキモチ焼いちゃう人ですから」
「……桔梗先輩、ちょっと、なんか……悪い女の人みたいですぅ」
「そう、ですね。わたくしは悪い女かもしれません」
れんふぁはあうあうと
慌てて統矢は桔梗に挨拶を投げかけ、スリッパをペタペタ言わせながら続く。
ようやく浴衣を着直した桔梗は、笑顔で手を振っていた。
だが、大股で歩くれんふぁは怒り心頭のようで、肩を怒らせ廊下を進む。
「統矢さんも統矢さんですぅ! そ、そりゃ……桔梗先輩も千雪さん程じゃないですけど、美人だし? おっぱい大きいし! 男の子って、しょうがないんですからっ! もぉ!」
「おいおい、れんふぁ……ちょっと待て、待とうぜ? なあって」
そのままれんふぁに引っ張られていると、向こうから二人組が歩いてくる。ラスカ・ランシングと
二人は近付く統矢に声をかけてきた。
だが、れんふぁは「はい! こんばんはっ! おやすみなさいっ!」と
「ちょっと、待ちなさいよ統矢! なに、今度はれんふぁの尻に
「違う、これは違うぞ! おい、二人共助けてくれ!」
「統矢殿っ、グッドラックであります! 自分達は負け戦には参戦しないのでありますよ。そう……自分達は
「おい、沙菊っ! お前っ、千雪の言いつけとかないのか! 俺を守れとかないのかっ!」
顔を見合わせ黙って頷き、ラスカと沙菊は統矢を見捨てた。
黙って手を振り、互いに笑いを噛み殺して顔を見合わせる。そうして後輩達は大浴場の方へと行ってしまった。
そのまま統矢は、れんふぁの部屋へと監禁されるように放り込まれてしまうのだった。
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