中学生編
矢野君
中学生になったら手汗は治ると思っていたけど、甘かった。全然治ってないし、むしろひどくなってる。手の平を見ると、今日も汗が水滴になってる。
「新一~。ウチで遊ぼうぜ」
矢野君だ。最近バスケ部の練習が終わると、毎日矢野くんの家で遊んでる。ちょっとヤンキーっぽい彼とこんなに仲良くなるなんて。矢野君は内田有紀の大ファンで、部屋に大きなポスターを飾ってる。
「何やってんだよ新一。おまえゲーム下手だな~。貸せよ」
すかさず矢野君が僕からゲーム機のコントローラーを奪った。
「何これ? 超濡れてんだけど」
ふだん細目の矢野君の目が大きくなった。
やばい! コントローラーを見ると、僕の手汗でべちゃべちゃ。矢野君に嫌われたらどうしよう……。
「おい、何固まってんだよ。俺のコントローラー壊す気か、てめぇ」
「手に汗かいちゃって」
ひきつった顔でそう言うと、
「これお前の手汗? ほんと気持ちわりぃな」
矢野君は目を三日月のような形にしてニヤッと笑う。でもそれは心の底からそう思っているのではなくて、僕の弱点を見つけて嬉しそうなニヤニヤだ。
「ちょっと手見せてみろよ。うわ、すっげえ汗。お前びっくり人間でテレビ出れるんじゃね?」
「いやいやいや。テレビ見た人引くでしょ」
家族以外の人に手汗のことを話したのは初めてだ。矢野君でよかった。親友だからネタにしてくれたんだ。だまって手をふかれるのはすごく傷つくけど、ネタにされるなら気持ちは軽くなる。
ガチャ。ドアが開いて、矢野君のお母さんが入ってきた。
「新一君、ラーメン食べる?」
「あっ、いつもすみません」
「いいのよ。この子いつも新一くんのこと話してるのよ。バスケのシュートがうまいとか、いつも服を一緒に買いに行って選んでやってる、カラオケも上手なんだって?」
「ババアいいからさっさと出てけよ!」
矢野さんの顔が赤くなってる。
ずずずずず……。
矢野君と食べるラーメンはうまいなあ。
「ピッチャーびびってる。ヘイヘイヘイ」
ピッチャーの投げるタイミングに合わせて、思いっきりバットをふる。
「ストラ~イク」
くそっ。さすが野球部。ボールが速い。体育でも手加減なしかよ。
「ストライク」
かすりもしない。次に空振りしたら終わり。手にギュッと力をこめ、体がちぎれるほどフルスイングする。
「うわあ」
ピッチャーが飛び上がる。見たかピッチャー返し! と思ったがマウンドを見るとバットがくるくる転がっている。
「バットを投げるんじゃない!」
審判の先生に言われてようやく気付いた。手汗でバットがすべってピッチャーめがけて飛んで行ったのだ。
「すみません」
マウンドに走り、汗でしめったバットを持って帰る。超恥ずかしい。
グローブをはめてライトの守備につく。ボール飛んできませんように。
「うわっ」
願いは叶わず特大のフライが飛んできた。全力でボールを追いかけるけど、大きく後ろに飛んでいった。
「はあ、はあ、はあ」
ようやくボールをつかみ、内野に投げようとしたが汗でボールがつるっとすべって誰もいない所に飛んでいく。
「どこ投げてんだよ」
ごめん、汗ですべっちゃって。でも恥ずかしくて言えない。
カキーン。
うわまた飛んできた。走ってボールを追いかける。ボールの前に入ったが、ポーンとはねて後ろにいってしまった。
「ぜええ、ぜえええ」
長い長い攻撃が終わってベンチにもどる。
「朝田、グローブ貸して」
ああ、数が足りないのか。はいよ。
「うわああああああああ!」
そう叫んでグローブを放り投げた。どうした?
「お前、手汗はんぱねえだろ。びちょびちょではめられねえよ」
そうか……。ごめん。打つのも守るのも、手汗持ちに野球は向いてない。みんなに迷惑をかけるだけだ。
ジャジャジャーン。
今日も部活終わりに矢野さんの家で遊ぶ。ギターを弾いている矢野さん。
「新一も弾く? あ、手がびちょびちょだから無理か」
「ギターは絶対に無理。汗で壊れるよ」
ひひひと笑う矢野さん。彼は僕の汗の自虐ネタが好きみたい。
「お前の分も買っといたから」
えっ? チケット?
「内田有紀のライブ。握手できるんだぜ、ヤバいだろ? お前も付き合え」
「ええっ。いや僕は別にファンじゃないし」
「ふざけんなよお前。観月ありさのライブ付き合ってやっただろ?」
うっ、そうだった。好きな観月ありさのライブに付き合ってもらったんだ。
「でも握手会は無理だよ。手汗がすごいから」
「タオルでふけば大丈夫だろ」
いやいやいや、ダメだよ。でも矢野さんの頼みは断れない。困った……。
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