第15話 「別れ」
明朝、宿で一晩を過ごし私は下男から馬車を受け取り、宿の娘に別れを告げた。
まだ日が少し姿を見せた程度の朝。
道を歩く人影はなく、石畳の道を馬のひづめの音だけがこだました。
私はできるだけ大きな音をたてぬよう気を付けながら馬に鞭を入れ、入城した時とは反対側の通用門を目指した。
門の前につくと、私は一度そこで来た道を振り返った。
今思えば、こうして再びここに立つまでに何年時が流れたろう。
いつの間にか、懐かしいと思うまでに歳をとってしまった。
ここは友と二人、初めて外界へ飛び出した始まりの場所。
「願わくば、この国がいつまでも不変に…平和でありますように」
私はそうつぶやくと、前に向き直り、馬車を前に進めた。
通用門には当直の兵士が二人、門の端に立っていた。
「おはよう。
朝早くにすまんね、門を開けてくれるかの」
「ああ、おはようご老人。
どうかお気をつけて」
兵士はそういって手を上げ、上にいた門の開閉のための巻き上げ機を操作する兵士に合図を送る。
しばらく待つと、門は鎖と木のすれる音と共にゆっくりを開いていった。
もう朝日はその姿を現しきったのか、門の隙間からまばゆい光が差し込んでくる。
私が手でひさしを作り、そのまぶしさをこらえていると、どこからか軍楽ラッパの音が鳴り響いた。
ドラムロールが続き、様々な管楽器の音が朝の町並みにこだまする。
同時に多くの人の声と万雷の拍手が鳴り響いた。
そして門が開け放たれる。
「あ!
勇者様だ!」
「勇者様!
お元気そうで何よりです!」
「勇者様ぁ!」
「勇者様万歳!
ミルレシア万歳!」
そこには多くのミルレシアの民たちが、人垣を作って道をなしていた。
私は驚きのあまりに声をなくし、馬車を前に進めることができずにいた。
「さあ、勇者様!
前に出て下され!」
先ほどの兵士が馬車の馬を引き、前へと進める。
「おお…おお…!」
声にならない感嘆が喉の奥からあふれてくる。
私が門の外に姿を現すと、人々の歓声はさらに勢いを増していった。
「勇者様ー!」
「アーロン様!
あなたはミルレシアの誇りです!」
「お気をつけて!
またミルレシアにお戻りください!
勇者様!」
私は目頭を抑えながら、馬車をゆっくり前へ前へと進める。
その間も歓声はやむことなく、私は内に滾る叫びたくなる衝動を抑えながらも、腕がちぎれんばかりに民衆に手を振り続けていた。
やがて私は人垣の終結にたどり着く。
そこには、国の礼装に身を包んだ私の息子デルケと、その妻ロレンが馬に乗り、私のことを待っていた。
「…」
デルケはにこやかに笑いつつも、何もしゃべりはしない。
私が馬車から降りると、デルケも馬から降りた。
私がデルケのほうへと歩いていくと、デルケもまた私のほうへ歩いてくる。
そしてお互い、手の届く距離にまで来ると、私たちはお互いを強く抱きしめた。
「父さん…ッ!」
「息子よ…デルケよ…」
私は力を込めて息子の体を抱きしめた。
二度と忘れることのないように。
「驚いたぞ…出発の日は教えてなかったろうに…」
「…それもひどい話だよ父さん。
僕たちはおろか、民たちにまで内緒で国を出る気だったのかい?
…なんだか嫌な予感がしてたんだ、僕は」
「ほっほ、許せといわん…それにもうこうして皆にばれてしまったのだからな。
今更謝っても仕方がない」
「ああ、もう本当に…父さんのわがままっぷりは筋金入りだね。
陛下に聞いてた通りだ」
「おじいちゃん!」
衛兵の中から、孫のデルカが飛び出してきた。
「…おお、デルカ!」
私はデルカを抱きとめる。
「おじいちゃん、どこかにいっちゃうの?」
「…ああ」
「かえってくる?」
「…」
「…ごほんよんであげるって、やくそくしたのに…」
そういうとデルカは胸に抱いた小さな本を抱きしめた。
「そうだな…」
「…」
「…デルカ」
「…はい、おじいちゃん!」
そういってデルカは胸の本を私に差し出した。
「…これは」
「もっていって、おじいちゃん!
ぼく、おじいちゃんによんでほしい」
「…」
「かえってきたらごほん、よんでね。
ぼく、まだわからいじ、いっぱいあるから」
「…ああ、やくそくだ」
そういってデルカを強く抱きしめると、デルカも力強く抱きしめてくる。
しばらくすると、ロレンがデルカの腕をとって自分のもとへと抱き寄せた。
「…ガヴリノールは、やつは来ているのか?」
「いや、陛下がどこにいるのかは僕もわからない。
今朝から行方知れずなんだ」
「…そうか」
「ああ」
私は背後にそびえるミルレシアの城に目を向ける。
…友よ、行ってくる。
「…では、わしはもう行くとするよ」
「…ああ!
…父さん、体に…気を付けて」
「ああ」
「…風邪とか、ひくなよ」
「ああ」
「…もう歳なんだからさ」
「ああ」
「………。
…父さん…ッ!」
デルカが勢いよく私に抱き着いてくる。
「おお…はっは、どうした…?
泣き虫が再発か、だめだぞデルケ」
「とうさん…ッ…とうさん…ッ!
本当は、行っちゃ…!
行っちゃいやなんだ…ッ!
嫌なんだよ……父さん…」
デルケの様子に民たちの歓声と楽団の演奏がぴたりと止まった。
「ああ、わかっておる。
…わかっておるよ、息子よ」
「…ずっと、ずっと一緒に…父さん…」
「ああ、いとしい息子よ。
そう、わがままをいってくれるな…」
「…」
「ロレン殿」
涙で頬を濡らしたロレンが頷いて答える。
「はい」
「息子を、デルケを頼みました」
「はい…はい、お義父さま…」
そういうと私はデルケを優しく引き離し、肩に手を当てて目をまっすぐ合わせた。
「いいかデルケ。
優者たるもの、己に誇りを持て。
お前の背の守るべきもの、支えられ支えなければならないものを忘れるな」
「…」
「光を常に心に」
「…剣は一人の笑顔のために」
「…頼んだぞ」
「…ああ、父さん。
…行ってらっしゃい」
デルケはそういうと姿勢をきりりとただし、腕を前へと広げ街道を差示した。
再び軍楽団の演奏が再開する。
私は再び馬車に乗り込み、鞭を入れて前へと進みだした。
振り返ると、デルケとデルカとロレンが、並んで私に手を振っている。
こみ上げるものを抑えながら、私は大きく手を振り返した。
「さらばだ、我が故郷。
…さらばだ、愛しき我が家族」
そうつぶやくと、私は前へと向き直り、それから外れの街道まで振り返ることはしなかった。
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