第14話「旅路は新たに」

あの日からしばらくが経ち、私は必要なだけの荷物を荷馬車に乗せ、御者の席に座り、家を眺めていた。

私はこの家で勇者としての役目を終えてから約30年を過ごした。

妻と不慣れに畑を耕し、息子を育て、やがて妻が逝き、それからは一人で。

つらいことより、楽しいことのほうがたくさんあったように思える。

デルケが割って一枚だけ新しいガラス窓、ここからも見ることができる窓際の大時計。

木に据え付けたブランコ、妻が作った鳥の巣箱。

家の中から、庭の端まで、すべてに思い出があり、すべてが私の宝だ。


私は前を向き、席から馬に鞭を入れる。

馬は力強く馬車を引き、やがて前へと進み始める。

管理のしっかり行き届いた芝を抜け、やがて私が作った木の門の下を潜り抜ける。

そして私はそこでいったん馬車を止めた。


「これからは息子たちを見守ってやってくれ。

さらば、愛する我が家」


振り返ることなく、そう告げると私はまた馬に鞭を入れる。

やがて森の中ほどにまで来ると、道の端から一頭のワーグが飛び出してきた。

馬が驚き、悲鳴のような声を上げる。

私はそれをどうにかたしなめ、ワーグへと向き直る。


『行ってしまわれるのですね』


「ああ、お前も長いことご苦労だったな」


『いえ、私としてもあなたとの生活はとても楽しく、それに幸せなものでした』


「お前がそういってくれると私もうれしいよ」


『ご安心ください。

あなたの息子は私が、あなたの孫は私の息子が。

子々孫々まで我々の一族がお守りいたします』


「ああ…ありがとう」


『お気をつけて勇者様、あなたに緑の風の加護がありますように』


「ああ、お前も。

達者でなジュラ」


私は友人にそう告げ、馬車を再び前に進める。

しばらく前に進み、森の外に出ると後ろから獣の遠吠えがいくつも響いて聞こえてきた。

私が振り返ると、そこには彼の家族であろうワーグの群れが、こちらに向かって遠吠えをしている姿が目に映った。


「さらばだ!我が友人たち!」


私がそう叫び、手を振ると真ん中の一頭がひときわ大きな遠吠えを放った。

これが我が家との本当のお別れだな、と噛みしめ、私は一路ミルレシア王国へと馬車を走らせた。



いくつかの橋を越え、私はミルレシア王国の跳ね橋へとたどり着いた。

ミルレシアはこの世界の中央にある国、橋の上を歩く人々はやはり多く、私は馬車専用に舗装された上を渡っていった。

検問につくとミルレシアの若い兵士が私のほうへ走り寄ってきた。


「おじいさん、これからどちらに行かれるのですか?」


「なに、少し友の顔を見によっただけだよ。

すぐにこの国を出るのだが、大丈夫かね?」


「うーん、じゃあとりあえず通行手形を出してください」


「おお、やはり今は必要なのだね。

そうだな、ミルレシアも人が増えた」


「ええ、世界が平和とはいえ、犯罪者がいなくなるわけではありませんからね。

えーと、もしかして通行手形をお持ちでない?」


「ああ、昔は随分こちらに寄ったものだが…もう10年近くミルレシアは訪れてないからの」


「ああ、それならあちらで発行手続きを行っておりますのであちらに…」


「おい!

お前、何をしてるんだ!?」


急に語尾を荒げた、いかにも老兵といった面持ちの兵士がこちらにかけてくる。


「え?

あ、隊長!

この方が通行手形をお持ちでないと…」


「バカもの!

お前、目の前にいるのがどなたかわからんのか!?」


「え…普通のおじいちゃん…」


私は若者の困り果てた表情を見て思わず笑ってしまう。


「ほっほ、なあにそれであっておるよ。

あちらで通行手形を発行すればよいのだね」


「いえ!

それにはおおよびません!

…ようこそミルレシアにお戻りになられました!アーロン様!」


隊長といわれた兵士は、興奮に頬を赤く染めながら叫んだ。


「アーロン…?

隊長、アーロンってあの…」


「ようやく気づきおったか」


「…勇者アーロンなのですか!

本当に!?

勇者様が私の目の前に!?」


若い兵士は私を見ると、驚愕と興奮が入り混じった表情となった。


「ああ、私が見間違うはずもない。

なんせ魔王討伐の祝宴の警備には私も参加したのだからな。

この方こそが30年前、世界をお救いになられた勇者アーロン様だ」


「そ、そんな…!

し、失礼しました勇者様!」


「はっはっは!

誰もこんな汚いなりをした爺をまさか勇者とは思うまいよ」


「いえ、あなたの顔を忘れようがありません。

…あなたはの国の、世界の希望だったのですから!」


熱く語る隊長は、槍を持つ手をただし敬礼をした。


「ようこそミルレシアへ!

おかえりなさい勇者様!」


そういって隊長は検問の門を開け放った。

私は二人に礼をし、馬車を門の中へと進めた。

門の向こうの街並みはあの時とほとんど変わらず、人々の活気に満ち溢れていた。

始まりの日を思いだす。

私は先ほどの門から入り、そしてあの角をまがってまず武器屋に向かったのだ。


「…最初に武器屋か…はは、若かったのう」


私は角を曲がらず、まっすぐに馬車を走らせた。

そのとき端目で見た武器屋は今もあの時のままで、店の前には若い旅人と思しき若者がたくさん集まっていた。

私はやがて見えてきた宿屋に目を向けた。

そこは驚くほどに昔のままだった。

窓際の鉢植えも、窓からのびたシーツ干しのロープでさえも、何もかもが昔のままに思えた。

馬車を宿の前にとめ、下男に任せると私は宿屋のドアを開いた。


「いらっしゃい旅のかた!

翼亭へようこそ!」


若い女性の声が店内に響いた。


「ああ、一泊お願いしたいのだが」


「お泊りですね、50ギルダになります。

…ここは初めてですか?」


「いや…もう何度も泊まっておるよ」


「あらやっぱり!

どこか懐かしいような気がしたんです!

小さいころよくお見かけしたような…」


「…母君のローラはお元気かね?」


「え?母ですか?

よく私が娘だってわかりましたね?

…母は数年前に亡くなりました」


「そうか…」


「そっか、母が主人だったころの常連さんだったのね。

私もよくお手伝いしてたから、納得だわ!

…おかえりなさい旅人さん!

ここはあの勇者も泊まったお宿です、寝心地は保証しますよ!」


「ああ、ありがとう」


私は渡された鍵の番号の部屋に入り、窓際に腰かけた。

変わらない景色だ。

今も鮮明に覚えている。

ここでガヴリノールと二人、冒険修行時代に滞在していたのだ。



「だから!

最初は武器に金を掛けたほうがいいに決まってんだろ!」


「いいや!

無駄なケガをして薬代がかさむと面倒だ!

防具を先にそろえるべきだ!」


「そんなもんこっちが攻撃を避けりゃいい話じゃねえか!」


「お前にそんな器用なことができるかアーロン!

最初の一撃を食らって死ぬのがオチだ!」


「いいやがったな堅物ガヴリーが!

大体お前の親父がケチなのがいけねえんだ!

修行の旅だか何だか知らねえが、金もないのにお前みたいなやつのお守なんてやってられるかってんだ!」


「き、きさ…ま!

よくも父上を愚弄したなこの下級騎士が!

そんなにこの修行の旅が嫌なら戦場の最前線でも送ってやるから申請すればいい!

そこでさっさとくたばってしまえ!」


「だれも嫌とは言ってねえだろーが!」


「言っただろうこのウスラトンカチ!」


ドン!


『おい!

うるせえぞ!』


「「…」」


「…腹減ったな」


「…下に降りて飯でも食おう」


「おごってくれんのか?」


「バカ、前のクエストの成功報酬が残ってただろ、知ってるんだぞ」


「ちぇっケチが」


「国を治めるものは皆父のようにケチであるべきだ」


「そうかねえ」


「そうに決まってる」



そうそう、ここの壁は見た目よりもずっと薄い。

少しでも騒ぐと隣の部屋のものが、怒鳴りつけてきたものだった。

ああ、何とも懐かしい。

我が始まりの宿。

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