第4話「冥王スプリス」

少女は手にしている杖をコツコツと床につきながら、私たちのいる部屋と歩みを進めてきた。

その一挙動、一挙動はまるで神の降臨を思わせるようであり、彼女の歩いた後には残り火のように淡い緑の光が漂っていた。


『全く、あれだけのことを成し遂げたんだから立派なお城にでも住んでいるのかと思えば…。

あなたに隠居生活なんて似合わないわよ英雄さん』


「デルカ…下がりなさい!」


デルケが息子と妻を後ろに下げ、あからさまな警戒を少女に向ける。

ムリもない、彼女の相貌、雰囲気は人間のそれとはまるで異なるもので、片方ずつ色の違う目は人外のそれを思わせた。


『あら、ずいぶん大きくなったじゃない坊や。

それは…あなたの息子ね、小さいころのあなたにそっくり』


「なに…?」


少女は頬に手を当てつつあたりを見回す。


『あらあら、みんな年を食ってしまって…あらあら、あなたガヴリノール?

随分といい見た目になったものねえ、いかにも王様って感じになったじゃない』


「そ、そなたは…」


「が、ガヴリーのだんな…この方は…」


『リドルゲン…あんたずいぶんむさくなったわね、若いころはかわいかったのに…。

あら、わからない?

いやねえ、みんなまだボケる歳でもないでしょうに』


私は彼女が家に入ってきた時からその言葉遣いといい、立ち振る舞いといい、纏った雰囲気といい、そのすべてに覚えがあった。

そして、その言動から確証を得た。

私は椅子から立ち上がり、そして彼女の前に跪いて問うた。


「スプリス…なのかい?」


「スプリス!?

こ、この少女が…!?」


ガヴリノールが驚きの声を上げる。


『あら、やっぱりあなたなら気づくと思っていたわよ。

私の英雄さん』


「し、しかし…!

スプリスはあの時…!」


『ああ、その話はやめてちょうだいガヴリノール?

せっかくお祝いに来たのに、空気が重くなっちゃうでしょ?』


スプリスは片手でガヴリノールを制止すると、こちらに向かって微笑みかけてきた。


『久しぶり』


「スプリス、無事生まれ変われたんだね」


『ええ、少し手間と時間がかかったけどね。

おかげであなたはそんなにも歳を取ってしまった。

おまけにもう孫までいるなんて…あーあ、わたし、すっかりお嫁に行きそびれちゃったわ』


「スプリス猊下…!」


ガヴリノールも彼女の言葉から確信したのか、マントをただし、恭しく跪いた。


『相変わらず、あんたってばにぶいのねえガヴリー?

そういうとこ嫌いじゃなかったけどね』


「スプリス…スプリスってあの…!

冥王スプリスですか!?

…こ、これはとんだ失礼を!」


デルケが驚きの声を上げ跪き、ロレンもそれに続いた。

ムリもない、彼女は現在、神話でしか語られることのない神族の一人なのだから。

父や王が冥王スプリスと認め、かしずいたのだから。


『あら、その呼び名はやめてくださらない皇太子さま?

私、若いころのやんちゃをからかわれてるみたいでその呼び名好きじゃないの』


「めいおう…?」


デルカは事の大きさが分かっていないのか、親指を咥えてスプリスを眺めている。

スプリスはデルカの視線に合うようにかがむと、デルカの頬をつまむ。


『あらあら、よくみたらかわいい顔をしてるのね僕。

そうね…どことなく彼女の面影があるわね、憎たらしいと思ってしまうのはなぜかシラー?』


「あうう…」


『…あーん!かわいいッ!

私も子供作っときゃよかったなぁ…』


スプリスはデルカにごめんね、というと立ち上がった。


「しかしスプリス、なぜ君はそんな…こじんまりとしちゃったんだい?」


私がそう問いかけると、スプリスは不満そうに頬を膨らませて腕を組んだ。


『あら、随分はっきりというのね英雄。

そうね、やっぱり昔の体形のほうがあなたの好みかしら?』


スプリスはそういうと自分の胸に手を当てる。


「いや、自分なりに責任を感じているだけさ…」


『あらやだ、あんたずいぶんと…やっぱり年をとったせいかしらね。

昔はそんなこと言わなかったじゃない。

私のことずっと突き放してたくせに』


「それは…その…すまん」


『…ふーん。

…かわいくなっちゃってこのこのー!!』


いきなりそう叫ぶとスプリスは杖を投げ捨て、もう耐えきれないとばかりに私の胸に飛びこんできた。


「おおッ…?

はは、スプリスどうしたんだい?

いや、なつかしいな…君はよくこうしてとびこんで…」


『大丈夫!

この体は何年かしたら元に戻るわ!

神族は体が熟すまでは結構早いのよ?

また元のナイスバディになるからね!』


「…ふふ、そうかい…」


『だから…あと10年でいいからさ…』


スプリスが顔をうずめるあたりが暑くなる。

これは私の熱ではない。


『…やっと会えたんだから…まだあちらにはいかないでよね…えいゆう…』


しんとした部屋にその一言が響いた。

私はあたたかな彼女の頭をひと撫でする。

スプリスはしばらくの間、私の胸から顔を外さなかった。

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